FC2ブログ
   
12
1
2
3
4
5
6
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
   

こころが無いということ①

玉川上水彼岸花3

 こころ、感情が無いとは、どういうことでしょうか。

 インド哲学では、感情は捨て去るべきもの。捨て去るモノを分析するのは無用というけれど、私は敢えてトライ。ゴミの分別は日本の常識?大事です。これから棄てる人には。
 学会発表できるなんて有り得ないにしろ、心理学的にも妥当な説明に出来る限り近づけてみたいです。

 根本的な問題として、「こころを棄てて、無くなってしまう」、すなわち「感情が抑えられるだけでなく、それがずっと持続する」、なんてことが実際にあるのでしょうか。

 まず最初に、瞑想とはどういう心の状態なのかを確認しておく必要があります。感情を棄てるとは何なのか。

 インド哲学等の精神世界では、心は、手綱の無い馬に例えられて来ました。様々な考えや感情がひっきりなしに浮かんでは消え、自分のものなのに自分ではどうしようもない、それがヒトの心だと。誰もが納得の事実でしょう。瞑想の最初の目標は、そのような自分の心と向き合い、弱さを見つめ、コントロールすることにあります。
 念仏・呪文・神様の名前を唱えたり、自分の呼吸や数を数えたり、儀式、食事法、肉体鍛錬etc. 宗教宗派によって、お勧めの修行法は異なりますが、どれもこれも、集中力を高めて心を鎮めるためのテクニックです。

 自分の内面への集中力が身に着くと、やがて、感情も肉体感覚も無い、浅い夢のようにふんわりとした状態が訪れます。夢と違うのは、冴え冴えとして遥か彼方まで見渡せるような意識感覚。多分、脳波は間違いなくアルファ波、リラックス状態でしょう。更に修行が進んだら、もっと別の状態が訪れますが、その説明はまたの機会に…。通常、瞑想が終われば、感情の状態も元通り、日常意識に戻ります。

 それでは、瞑想以外で心理学的に「感情が無くなる状態」はあるのでしょうか。

 一般的に、感情が無いように見えるのは、ストレスにより感情を抑圧している状態です。泣きたい、怒りたい、叫びたい等々の感情を、抑え込んで我慢しているっていうことですね。抑え込んで、自分の弱さも悲しみも、その原因も見ないフリ、考えないフリ。それは、自分と向き合う瞑想とは似て非なる状態です。

 誰もがきっと、心の傷=トラウマを、多かれ少なかれ抱いて生きているのではないでしょうか。言いたいことが言える人間はむしろ稀。みんな、ほんの少し我慢したり、心の底にしまいこんだりして、社会に適応して生きている。それが普通の生き方、日常意識なのかもしれません。

 それでは、感情の抑圧が極限を越えて、心の病気になったらどうでしょうか。鬱病や統合失調症、神経症等で、感情が無くなることはあるのでしょうか。
 心を病む人は、確かに無表情に見えることがあります。しかし、その内面はとめどない悲しみや苦しみで頭がいっぱい。自分を際限なく責め続けたり、悲しい思い込みが幻覚や幻聴になったり。症状は様々ですが、要するに心が慢性疲労で、正常なコントロール機能まで失くした状態です。その荒馬が止まるのは、心のエネルギーをとことん使い果たしたときだけ。感情も消耗してボウっとお休み状態。やはり、瞑想とは異なるようです。

 アルツハイマーや認知症等ではどうでしょう。お年寄りは動作がゆっくりなので、感情も穏やかというイメージがありますね。しかし、このような脳の老化で最初に失われるのは、短期記憶力。つまり物忘れしやすくなる、ということです。感情の機能は、最後まで残るのだそうです。理由は分からない(忘れた)けど、悲しかったり悔しかったり。そんな感情を抑えられないのが、この種の病の特徴です。

 それ以外に、感情がほとんど無いようにみえる障害として、自閉症スペクトラム?(アスペルガー症候群)があります。
 ヒトには、向かい合う相手と同じ表情をするという本能があります。目が合ったら互いにニッコリ。それは、世界共通の、何処でも通用するご挨拶です。その本能的智慧を持たずに生まれてきたのが自閉症スペクトラムのようです。脳機能の障害というのが最近の説ですが、知能そのものには障害が無い例も多いとか。その場合でも、相手の表情も周りの状況も分からない=空気が読めないというのが、この障害の共通の特徴です。いわゆる「空気読めない普通人」が、100点満点の30点位なら、自閉症スペクトラムの人はほぼゼロ点。今、笑ったのか、顔が引きつったのか、というところから説明しなければなりません。
 知的でクールな自閉症スペクトラムの人にも、感情はちゃんとあります。無いのは、自分の感情を他人に表情で伝える能力の方です。喜びや悲しみを分かち合えない!? それは、感情にフタをして抑圧しているのと同じ。彼らはガマンの限界が来たら、泣いたり怒ったりする替わりにパニックを起こします。どうみても、瞑想の安らぎとは無関係のタイプです。

 身体を病むのも心を病むのも、みんな悲しいですね。いずれにしても、心の病が、瞑想のリラックスとは程遠いことが分かると思います。

 自分の心と向き合うのが瞑想、向き合わないのが抑圧。その違いをわたし的に表現するとしたら、感情の元栓を探してOFFにするのが瞑想、感情の出力部分にフタをするのが抑圧っていう感じでしょうか。
 元栓を切らない、抑圧された感情は不安定で、爆発するチャンスを窺っているもの。そこに真の幸福感、安定感はありません。

 私は、精神を病むヒトに魅かれているのかもしれません。苦しみから救うことはおろか、友達付き合いを続けることさえ困難だったけど、今までは。それでも、病む人を直観的に見分けられるようになりました。
 彼らは、私とは違う種類の人間でした。どんなに詳しい分析を受けても、私には精神病の要素なんて無い。それが分かった今でも、彼らの剥き出しの痛みと孤独が、どうしようもなく愛おしいのです。

 13のわたし。感情のやってくる場所を内側へ探しに行って、OFFした私は、自己流の瞑想状態でした。自分が何をしているのか、当時は知らなかったけれど。誰も私に話しかけてこないのはラッキー?誰とも話さなければ、とことん自分を見つめ続けられる!
 私はそれを自分のキャラに設定。それはまさに、自我を確立する前の思春期だからこそ出来たことでした。

続く…?

 

スポンサーサイト



テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

Comment

Secret

Trackback


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

まとめ【こころが無いというこ】

 こころ、感情が無いとは、どういうことでしょうか。 インド哲学では、感情は捨て去るべきもの。捨て去

プロフィール

Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

FC2カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR