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初めましてダライ・ラマさん

 昨日は、ダライ・ラマさんの講演を初体験しました。彼の書籍、映像は数多くあるので、そのプロフィールを詳しく語る必要はないでしょう。
 壇上の人は、報道関係者の撮影フラッシュの後、エンジ色の僧衣の上に同じエンジのサンバイザーをかぶってにっこり。「照明がまぶしいので…」。

 慈悲や思いやり、許しは、使い古され色褪せた言葉。私が知りたいのは、辛い運命の中での慈悲と許しを実践している、生きている言葉と態度です。そして何より、宗教家であり政治家でもあるということの意味。
 超常現象、宗教的な真実をどう語る? チベットの現状への憂国の情は? しかし彼は、異なる宗教、異なる文化、中国を非難する言葉を一切、口にしません。政治的配慮? いいえ、単なるかけひきのレベルを超えた深い思いやりが、彼の態度の節々から自然にあふれていました。マスコミ関係者等からの無慈悲な質問に答える時ですら。

「私が死んだ後、今まで通りの方法でダライ・ラマを選ぶか、別のやり方にするどうかは、チベットの民が決めることです。チベットには伝統があります。私は変わってしまってもかまわないと思っています」。

 普通のおじさん? 有為転変の境遇で普通であること、自然であること、幸福であることがどんなに難しいか。憎しみ悲しみに心が歪み、見方や考え方が偏るのが実際の普通です。ダライ・ラマさんの普通は凄い。

 怒りは弱さという…ああ知ってる、私は傷つきすぎたから。とっくの昔に。乾かない傷口の隙間から、怒りや悲しみがあふれ出している。心の奥深くに幸いを感じることが出来るとしても。

 1935年7月6日。この日の「Talks」の記述をひもとくと、知人の訃報に接したラマナ・マハルシが「死者は幸福です。誰かが死んでも、嘆き悲しむ必要はない」と説いています。
 この日、遥か遠いチベットの村で、後のダライ・ラマ14世が生を受けました。

 ダライ・ラマ…そのように世界と折り合うことが出来るなら、俗世の生活も悪くなさそうです。


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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

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Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

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