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新しき年―祈るということの意味を問いたい

2020.1.8唐松神社1-2

 遅くなってごめんなさい。今頃、初詣のお話( /ω)?
 皆々様、お正月にはやっぱり神社やお寺へお参りしたんだろうなあ。
 今回は、クリスマスと結婚式は教会へ、お彼岸とお葬式はお寺へ、お正月は神社へ行く、無節操で無宗教な日本人にとって、祈るってどういう意味があるのか、とことん追求してみました。

 興味があるのはパワースポットと占い? 欲しいのは現世利益だけ?
 
 祈りたい。その気持ちは、誰にとっても大切です。

 子供の頃、神様と仏様ってどこが違うの?という素朴な疑問をもったことはありませんか。日本では、ちゃんと答えてくれる大人は、まず居ないと思います。違う宗教だからって言われて、何となくごまかされた気分。
 これは、お坊さんや神主さん、神父さんが悪いのはなく、本当に知らないのだと思います。そもそも、宗教家は疑うよりも信じるのがお仕事です。自分の宗教以外の宗教はあんまり勉強していません。
 「神とは何か」「人間とは何か」等々のテーマ探求は、哲学者の得意分野なのだと、覚えておいてください。

 インド哲学では、はっきりと答えています。悟りを開いて仏になるとは、神を知ることであり、神に成ることでもあると。
 20世紀初頭のインドの聖者、パラマハンサ・ラーマクリシュナさんは「人生の目的とは、神様に会うことだ」と断言していました。
 パラマハンサとは、神に酔っぱらった聖者という意味です。彼の眼には、実際にその御姿が見えていたのだとか。

 「神を知る」「神に会う」「神に成る」。この三つは、インド哲学ではほとんど同じ意味とされています。
 神様に会うためには、厳しい瞑想修行をして、神様と同等の高い境地に達する必要がある。故に同じだと。
 預言を行うシャーマン、巫女さんは、神様の言葉を聞くその瞬間だけ神に成るらしいです。これには特別な才能が必要だけど、普通人でもお祭り等の儀式なら、ちょっとだけ体験できるのかも…。


ナマハゲ画像2020

 瞑想で悟りを開き、仏様でなくて神様に成る⁉ インドでは、神様と仏様を区別してないようです。ヒンズー教と仏教は似たようなもの、というのが常識らしいです。
 たしかに、護摩の語源はサンスクリット語のホーマ。日本でも、神仏習合の歴史の中で、お寺でも神社でもほとんど同じで焚き方で行われています。

 すべてはひとつ。各種の経典や聖典をたくさん読んだ学者でも、それを理解できる人は少ないけれど――。
 それでも、祈る心がひとりひとりにとって大切なのは、日本も外国も変わりありません。
 
 たかが現世利益、されど――恋や病気や貧困等の苦しみは、世に尽きなくて。
 そしてそれは、スピリチュアル、霊的世界の大切な大切な入口なのです。


2019.11.26修善寺

 私達は、何に祈っているのでしょう。叶えてもらえるの? まず、各種宗教の教義を、軽くおさらい。

 神道には、教義らしい教義はありませんが、祈祷、お守り等のパワーが主な「ウリ」⁉
 以前見たアニメで、女子高生が突然、神社の神様になるお話がありました。お仕事は、超能力で皆様の願い事を叶えること。
 確かに日本人にとって、神社ってそういう場所。鎮守の森の土地神が郷土を守ってくださっている、というイメージには説得力があります。地球の平和を守るSFヒーローよりもリアリティありそう。
 
 一方の仏教、お寺はどうでしょう。
 お釈迦様は、信者全員に出家してお坊さんになるよう勧めました。病人を癒したという記述はありますが、現世利益への欲は苦しみの元だとみなしました。
 遺言は、法灯明、自灯明。お釈迦様自身への個人崇拝(バクティ)は禁止して、弟子ひとりひとりに、法=教えに基づいて、自分で考えるように説きました。
 仏様が人々を救う、という信仰スタイルが生まれたのは、お釈迦様入滅したずっと後の時代です。仏像が作られるようになり、お釈迦様が個人崇拝されるようになりました。ヒンズー教の影響を受けて、如来、菩薩、天部など仏様の種類も増加。中でも菩薩は、救済活動を行っているありがたい御方として、人気が急上昇しました。
 お釈迦様の最初の教えとは全然違う。その良し悪しはともかく、結果として、お寺で願い事を聞いてもらえるようになりました。

 キリスト教やユダヤ教では、願い事OKでしたっけ? 
 イエスは病人をたくさん癒したと伝えられていますが、お金儲けは戒めていました。現世利益ダメそう。
 しかし、信者は復活と癒しという神の奇跡を信じるのが基本です。来世の救い以外の、いろいろな願い事をきいてくれそうです。その長い歴史の中で、偶像崇拝禁止のはずなのに、イエス像と宗教画が大人気。十字架やメダイなども、ほとんどお守りに近い気がします。プロテスタントやユダヤ教などで、お仕事、すなわちお金儲けも応援OKみたい。
 ただし、唯一神エホバが、現世利益を叶えるわけではなさそうです。
 現在のカトリック教会では、具体的な願い事は、守護聖人に頼った方がよいと教えているそうです。そういえば、聖ヴァレンタインは恋人たちの守護聖人でした。


   聖母子ラファエロ1

 ところで、ここで私が伝えたいのは、宗教史でも教義の解説でもありません。その種のお話は、学者その他の専門家に任せておきましょう。

 大事なのは概念ではなく、私たちが自分の体と心で感じていることなんです!

 ちょっと感覚が鋭いヒトなら、聖なる場所や祈りの場所で実際に感じているはずです。清々しさ、荘厳、喜び。
 それを、気持ちいいと感じた瞬間、思うはずです。神話や伝説は、あいまいでテキトーで、そのまんま信じることはできない。でも、思わず手を合わせたくなる何か、尊い存在がそこにある、居ますかもしないと。
 
 ぶっちゃけ、カミっぽい何かが居るという前提で、祈りはちゃんと届いているのか? 願いって叶うものなのか‼
そうでないのなら、私たちの祈りは何の意味もない。
 そんなのはイヤ!

 霊現象についは、インド哲学が詳しいので、そちらの言葉を主に用いて整理します。唯一の絶対神も、八百万の神々も、全部、カミ、と同じ名前で呼ぶのは誤訳というか誤解の元だから。

 まず、エホバとブラフマンなどの無形無限の神様が居ます。唯一神、絶対神、創造神。これは、同じ神様の別の呼び名、ということで良さそうです。
 次に、肉体はないけれど姿や名前、個性があるらしい神々が居ます。これらを、神でなく「精霊」と言い換えてみましょう。これで、ギリシャ神話、インド神話、日本神話の神々、各種シャーマニズムの霊も天使も、精霊としてカヴァーできるかな。
 生きている人間である仏様、神の化身アヴァターや、神の子、預言者などは、取り合えず聖者ということでひとまとめ。

 「無限の神」「肉体はないけど人格を持つ精霊」「聖者」。この三種は、どの宗教にも普遍的に現れる霊的存在なのではないでしょうか。
 仏様=神様。三位一体。それがどういう霊現象なのかを正確に説明するのは難しい。けれど、現世の普通人は、これらの聖なる方々を同じとみなしてよいのです。小さなスマホを、巨大データベースと同じに扱うのと似たような感じ、というと分かりやすいかも。別々だけど、ちゃんとつながっているから。ちゃんと!
 キリスト教では、イエスが神様。仏教とヒンズー教では、悟った人が神様。ラマナ・マハルシの呼び名は、バガヴァン(神)。
 イエスが唯一の神の子だと信じている人々、ムハンマドやクリシュナやお釈迦様等々が最高と信じている人々には怒られそうだけど。

 真理はひとつ。賢者たちは別々の名前でそれを呼ぶ。
 世界にどれほど多くの宗教があっても、同じ真理、同じ神様を別の名前で呼んでいるだけ。霊的修行を通して辿り着く最高の場所、境地は同じ。
 それは、霊現象についても同様です。宗教と言葉が違っていても、同じ現象を別の名前で呼んでいるだけ。それが、インド哲学が語る真理、ウパニシャッドです。


  パールヴァティシヴァ&

 それで、その神様は、私たちを本当にちゃんと守ってくれているのでしょうか。
 私たちの願い、祈りの行方は?

 神様はもちろん精霊も、生身のお坊さんや神父さん以上に高い境地にあります。当然、性欲も物欲もありません。それで、ヒトの恋や受験やお金儲け、健康長寿に、興味をもってくださるものなのでしょうか。
 聖者や神様が要らないといって捨てたものを、捨てた当人に願うのって変? 祈っても叶わないんじゃないの?

 その疑問はもっとも! でも、祈りはちゃんと届きます。そのシステムは多分、こんな感じ。

 スピリチュアルの世界では、能力開発による願望成就が大人気です。気功やヨガや初歩的な瞑想で、精神的パワーがアップして、仕事も恋も成功。その手のお話は、ネットや巷にあふれています。
 でもでも、霊的パワーを目的とする修行は、欲望とエゴを増大させる甘い罠なんじゃないの? 悟りを目指すまじめな修行者にはNG⁉
 しかし、この能力開発のちょっと先に、周囲の人の願いまで叶えるステージがあるのです。願望成就ほどには知られていない現象だけど。

 例えば、パワフルな人がそばにいるだけで、体の調子が良くなったり願い事が叶ったりする、という経験はありませんか。その延長のような現象です。
 実は、霊的にパワーが強い方の傍で、他の一般人も霊能力が使えてしまう場合があるんです。
 気功や霊視が、そばに居るだけの普通人にも起こってしまうのを、私は実際に体験したことがあります。
 霊能者本人が意識して「気」を使っている気配は、全くありませんでした。また、暗示や妄想ではないことも断言できます。強烈なパワーに背中がゾクゾクしたけれど。
 それは、霊能者の作り出す「気の場」だったのでしょうか。場を作っている当事者が、相手の願い事を聞いたり一緒に祈ってたりしていなかったことは事実なのです。互いの場を共有するだけで、その願いが叶ってしまう!

 聖者の伝説には、もっとすごい例がたくさんあります。
 ラマナ・マハルシの沈黙のパワーも⁉ 

 大聖ラーマクリシュナさんは、イエスがたくさんの病人を癒したことについて、「本人は意識していなかっただろう」と述べています。強い力をもつ聖者のそばで、そういう力が働くのって普通なのかも…。もちろん、聖者自身が祈れば、いっそう効果的でしょうけど。

 神社や聖地には、力のある精霊が守り神としていらっしゃいます。アルナーチャラも。
 肉体を持たな精霊には、生身の聖者のような制限がありません。望めば、守りたい人々の願いのすべてを、自分の内側で聞くことができます。それが数千、数万でも。
 精霊は本来、自他の区別があいまいです。祈りを、裁判官のように外側から聞くのではなくて、精霊自身の内側で感じ取るものなのです。頭で考えて合否判定するのとは、ちょっと違う感じ、分かりますか?
 祈る人の願いが精霊自身の願いと深く共鳴したときに、その願いは容易く叶うのです。
 
 清らかな心で、深く信じて熱心に祈れば、きっと叶う。
 私達みんな、当たり前の信仰から始めてよいのです。

 たかが現世利益。されど現世利益。
 神社でもお寺でも教会でもOK。祈るあなたに祝福を!

 合掌

 
   2020.1.8唐松神社2-2
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テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

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Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

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