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訂正:沈黙――愛の言葉をもっと

2019.5.8武蔵国分寺公園から (2)

 これは、ゆるしの物語です。私自身の。

 世の中には、生まれながらに美しい人、生家がお金持ち等など恵まれた方がいます。スポーツの金メダリストも、一流のクラシック演奏家等も、幼い頃から恵まれた環境で指導を受けているのが普通です。
 インド哲学では、そのような幸運は前世の良いカルマの結果と説明されています。
 けれど、皆さん、それでホントに納得できますか? 私は、やっぱりちょっとうらやましい…。
 貧富の差が大きすぎると、テロや暴動の引き金にもなります。男女平等も、LGBTも、発達障害も含めて、せめて社会だけは平等になって欲しいです。

 それでは、瞑想の才能はどうでしょうか。それこそ、前世のカルマなのだけれど。

 この霊性の世界では、十年、二十年古今の書物を読みまくり、お祈りも体の行も瞑想も頑張って頑張って、それでも解脱できなくて当たり前とされています。そんなものかと思っていたとき、何でもサクサク分かる天才が目の前に現れたら、ヒトはどう感じるものなのでしょう。
 頑張って修行をして得た地位、社会的評価。自信。けれど、それらをすべて否定されたような気分になるのでしょうか。

 絶望? 嫉妬? プライドが傷ついた? 他人にウケたい、頭がいいと見られたい。他人にバカにされるいわれはない。そんな感じ?
 そんなもの、捨ててしまえば楽になるのに。捨てても、真実の自分が失われることはないから。

「そんなこと、できるわけない」
「タダの理想、理屈だ」
 それが常識なんでしょうね。
 でも、本当に? 

 ところで、私には「プライド」がさっぱり分かりません。
 自己流の修行を始めた中学時代、真っ先に捨てたのが「プライド」だから。

 瞑想の才能は、本人にさえ分かりにくいものなので、まして他人様にどう見えているのか、分かりません。……自分にカンタンにできることが他人に難しいのってなんでだろ?うーん?

 ここにアルナーチャラがあれば、あるいはラマナ・マハルシなら、何もいわずに「沈黙」の力で相手の心を満たすことができるだろうに。
 
 さて、プライドがちっとも分からない私は、世間ではいじめられっ子。ただし、その日は珍しく、私の方から怒ってしまいました。
 嘘やごまかしなんて、大嫌いだあ。

 そのとき、ホーリーマザー、サラダ・デヴィさんのイメージが現れました。
 私には、霊を直に見る才能が無いというか、無かったはずなので、ビックリ!

      holyMother.jpg
 
「彼は、私の息子たちのひとりです。許してあげてください」

 すべての宗教の融合、愛の道を説いた大聖ラーマクリシュナさんは、ラマナ・マハルシのちょっと前の時代の方でした。サラダ・デヴィさんは、その霊的な奥様です。大聖者が自ら見出して、幼い頃から教育した、本当の意味で一番弟子ともいえる存在でした。
 彼がサラダ・デヴィさんを、カーリー女神の化身として扱った話は、あまりにも有名です。
 彼女は、生まれながらにカーリー女神の化身だったのでしょうか。それとも、素晴らしい訓育の成果で、普通の女性に女神の性質が現れたのでしょうか。私には分かりません。その違いは、わずかかも…。
 分かっているのは、彼女が控えめで清らかな心の持ち主だったこと。文字がほとんど読めなくても、知性と愛に溢れた教えをたくさん残していることです。

 ただし、主婦の立場からの教えは、私にとってはあまり役に立ちません。私は99%ひとり旅、ひとり御飯の人生。
 それでも、「他人の欠点を見つけて何になりますか。あなた自身の心が穢れるだけです」は、シンプルにすごいです。彼女自身が、それを実践しているのですから。
 しかし世界には、一方的に精神的、肉体的な攻撃を受けるトラブルが、少なくありません。欠点や汚点を、無理やり見せつけられるのです。
   ――必要なのはゆるし――。

 息子をゆるせって?

 サラダ・デヴィさんとラーマクリシュナさんとは霊的な関係で、実の息子はいません。弟子たちや熱心な信奉者、熱心な修行者達のことでしょう。彼女は、悟りを求める人々すべての母ともいえる存在なのです。
 カルマの重荷を軽くしてくださる、力のある聖者だったとも伝えられています。

 どちらにしても、彼女の伝記に、こんな言葉はありません。私が勝手に考えたにしては、気が利きすぎているセリフだと思いませんか。
 そう、どうみても、私のキャラから出て来るコトバじゃない。

 そして、何より胸を打たれたのは、サラダ・デヴィさんが、彼の信仰の深さをちゃんと知っていたことでした。彼自身は彼女の幻が見えないし、聞こえていないはず――それでも、ずっとずっと見守っていらした。
 信仰、祈りって神様にちゃんと届いているものなのですね。気付くことができれば、すぐそこにある、神様がいらっしゃる。
 私は元々無神論で、信仰軽視タイプだから、それこそが衝撃!!

 そして、どうなったでしょうか。


2019.5.17立川病院爪草 (419x640)

 神を見るとき、そこに区別の感覚は失われます。それが、悟りとかワンネスとか見神等々の体験の神髄のひとつだと、伝えられています。愛と呼んでよいもの。
 つまり、彼が彼女の息子なら、私の息子。

 私は「私の愛する息子」に、腹を立てることができなくなりました。年上でも目上でも、欠点だらけでも、皆みんな私の困った息子達です。
 仲直りできました。

 いや、100年の前の聖者、神が現れるなんてあり得ない。霊現象なんて、幻覚。ギャーナ・ヨガ、智慧の道が大好きな方に、そういう意見があるのはごもっとも。
 他に、こんなステキな言葉がやってきた現象を、うまく説明できるなら。

 傷ついた心を真に癒しすのは、加害者を憎むことでも罰することでもない。ゆるしであるというのが、真実です。
 怒りや憎しみは、誰よりも何よりも、自分自身の心を傷つけるものだから。

 ホーリーマザー、サラダ・デヴィは、その「息子」を、もしかするとそれ以上に、私自身を癒してくださいました。
 そこで、聞いていらっしゃいますよね。

 ありがとう

 私も、そんなねじれた心を解きほぐす言葉を、いえるヒトになれるといいなあ。 合掌
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テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

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Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

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