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2008年ディーパム祭の思い出

 私は11月生まれ。今となって私の誕生日がアルナーチャラ、そしてラマナ・マハルシと無縁のはずが無いと気が付きました。

 アルナーチャラ最大のお祭りであるディーパム祭は、インド暦、太陰暦で行われます。西暦の11月か12月の満月の日に。
 アルナーチャレシュワラ大寺院から、神像を載せた華やかな山車が街に繰り出されます。
 クライマックスは、日没とともにアルナーチャラ山頂に、大きな炎が灯される瞬間。山頂の灯りは、日没から夜明けまで、10日間ほど繰り返し灯され続けます。寄付されたギーの油の続く限り。2008年には、11日間でした。

 私は、私が生まれた日の月齢を調べてみました。それは、11月の満月から数えて、正確に11日後でした。
 ラマナ・マハルシは、南インドのティルチリの町で、シヴァ神の祭が終わった直後に生まれたと伝えられています。私は、その符号に絶句。

 2008年ディーパムの体験記は、このブログ開始前で、ネット未公開だったのを思い出し、以下にアップしました。読みかえしてみると、未熟で恥ずかしい部分がいっぱいだけど。

 今の気分?

 ヒトは思春期に、アイドルにも野球選手にもなれそうにないと気付き、大人になっていきます。
 私は、作家にも画家にも、ミュージシャンにも、人妻にさえ成れなかった。只のろくでなしで終わるのかと思ったら、答えが斜め上、それも1万メートルくらい上から来た感じ。


ディーパム祭のかがり火が灯されました

    2008年ディーパムへの旅
  この旅の話は、どこから始めるのが正しいのだろう。三度目の、十年ぶりのアルナーチャラへの旅は。
 2006年、およそ二年前の十二月のある日、私は考えるともなしに考えていた。職場とワンルームのボロアパートとの行き帰りの道すがら。電車の中で、あるいは駅へと向かう小道…山茶花が咲き湧水の流れる暗い道の上で、クリスマスのイルミネーションが眩しい店先を通りすぎるその時に。
 「祈らないで…私に祈らないで…私は○○じゃなくて…何もできなくて」
 人は無意識にいろんな事を考える。音、光、匂い、あるいは心に突き刺さったままの記憶の断片等々の刺激によって。原因は必ず在る。それではこの質問は何処から来て、私は何に返事しているのだろう。いつもの小道にも店先にも何処にも特別な気配はない。それでも何かが起ころうとしている。
 ああ、煙だ。誰かが焚き火をしているその匂いが風に乗ってきただけ。しかし、見渡しても煙の筋一つ見えない。人、人、人…むせ返るほどの喧騒と祈りのイメージ。暗闇と静けさと孤独だけしか見当たらないここで、何故心に浮かぶのだろう。
 アパートのドアに手を掛けた瞬間、私はドアの向こうにさらに濃厚な気配を感じてたじろいだ。インド! 祭! これってどこでもドア? あわてて真っ暗な部屋に飛び込み、バガヴァンのお写真とアシラムカレンダーを確かめると、ディーパム祭の日だった。気配はアルナーチャラのお山の写真から流れていた。
 アルナーチャラは、呼ばれなければ行けない聖地といわれている。その最大のお祭がディーパムだ。太陰暦であるインド暦に基づいているので、祭りの日は毎年異なるものの、12月の半ば頃。アルナーチャラの頂上でかがり火が燃やされ、アルナーチャラシュワラ大寺院からは、シヴァとパールバティの像が輿に乗せられパレードされるという。近年はとみに大勢の参拝者で賑わうらしい。
 インド人は信心深く日本人は無宗教と言われていても、お祈りの内容が現世利益ばかりなのは変わりないようだ。健康、商売繁盛、良縁に子宝……修行の成就よりもずっとずっと熱心だ。あれ? 何故私にそんなことが分かるのだろう。
 私の願い。私が私の取り分を捨てたら? 美味しい食事や割りのいい仕事や名声や恋を望む前に諦めたままでいたら、アフリカの隅で飢えた子供が救われるのか? そうでないとしても、何を願ったら世界のためになるというのだろう。
 シヴァを・・神を思い出せば、どのような方であるのか思えば、神が今ここに在るのを感じる。心の奥の途方もない幸福と、世間に誤解され非難され続ける痛みの中で、引き裂かれながら生きている。お金の残りを必死に数えながらの生活に、海外旅行の余裕はない。
 普通のふりのしないで生きて行くには、本でも出す他ないけれど、無名な私に道は遠い。私を呼ばないでアルナーチャラ!

ディーパム祭直前のアルナーチャラ

 2008年12月10日の朝、私はティルバンナマライの、シュリ・ラマナアシラムの前に立っていた。何一つ私の力ではなしに。
 インドに行く、ディーパムを見ると心に決めたのは、10月20日。強く勧めて下さる方がいなかったら、貯金をはたいても出掛けようという気にはならなかったに違いない。丁度満期の貯金は、無くなった祖母の残したわずかばかりの遺産だった。
 費用の問題と仕事の都合はクリアできても、旅立つには障害の山を一つずつ乗り越える必要があった。まず、12月9日発の格安FIXチケットをギリギリのタイミングで予約。次はホテルだ。
 ディーパムの日の宿は何ヵ月も前から予約で一杯と決まっている。クリスマス休暇も近いのだ。アシラムのゲストハウスは、18日以降に空きアリという返事だった。予想通り。残りはティルバンナマライの町中でホテルを見つける他ない。友人知人の返事を待つしかないもどかしさの中で、時間だけが刻々と過ぎていく。
 「ホテル見つかりました。奇跡です」という連絡を受けたのは、旅の一ヵ月前だった。それまでに何人の方に声をかけ、どれほど迷惑をかけたことか! 野宿を覚悟した。友人達に感謝の言葉を探すのに苦労した。
 旅行準備で目の回る忙しさの中、階段を少し登っただけで息切れする私。貧血がどんどんひどくなる。白血病? 癌? インドで死ぬのも悪くないが、まだその時期ではない。病院通いで不愉快な疑いを一つずつ晴らすことにした。ただの筋腫と分かり治療薬を手にしたのは、旅の二週間前だった。
 パスポートもヴィザも出来上がり、後は出発を待つだけのはずの11月27日、ムンバイのテロは起きた。日本人の被害者も出た想像以上の事件だった。貧しい人々の心の空洞がテロで洗脳されてしまう世界の現状。美しい街並や人々が堕落した攻撃対象にされてしまう、ありふれた悲劇の構図。犠牲の大きさに震撼とした。
 インドは広い。ティルバンナマライのような田舎町は狙われる心配はない。それが分かっていても胸が痛い。幸い、私のチケットはムンバイ経由ではなく、テロリストは翌々日には掃討された。もう何の心配もあるまい。
 11月30日、バンコク空港のデモ隊占拠事件を耳にしたときは、さすがの私も絶句した。私のチケットはバンコク経由チェンナイ行のタイ国際航空だったのだ。バンコク経由便全て運休中。
 この旅、始まりから変だったが、どうなっているのやら。これだけ周りに迷惑を掛けまくって決めた旅が、中止なんてあり得るのかしら。神様は私の来て欲しいのか、来て欲しくないのか? 何かが邪魔しているのか、悪戯(リーラ)なのか。
 空港を占拠したのは首相府を一ヵ月占拠したグループという。タイの首相のどこが悪いのか、マスコミの言い分だけでは判断しかねる。しかしこれから一ヵ月というと年末頃になってしまう。旅を妨げる最後にして最大の危機だった。
 旅行会社でも航空会社でも、前代未聞の事件で対応不明。ホームページで運行情報をチェックすることしかできない。出発予定の12月9日の便は未定。つまり、私の方からキャンセルや変更をしたら有料という意味らしい。
 整然としたデモ隊。自分の生まれた国を少しでも良くしたいという理想に燃える人々の熱気が、テレビの映像からも伝わってくる。私は、何を祈ったら良いのだろう。さっさと済ましちゃえば、なんてどうして自分勝手なことが言えるだろう。
 バンコク空港が平常に復帰したのは12月5日。旅の直前だった。首相が去り、あのデモ隊の人々の願いが平和的に叶えられたのだ。空港のインフラに手を出さなかった彼らの良識に祝福を! そして旅立てることに心からの感謝を! 私は、今度こそ何の心配もなく成田空港からアルナーチャラへと旅立った。

 成田からバンコク。そしてチェンナイ行きへ乗り換えると、周りはもうインド人ばかり。日本人は私ひとりきりになってしまった。
 不安はない。いつだって私はひとり。行くべきところへ行くだけのこと。
 深夜のチェンナイ空港の一歩向こうは深い闇だった。迎えのタクシーは、真新しいハイウェイを矢のように走り抜ける。目的地ティルバンナマライの町に着いたのは、自宅アパートを出てからほぼ24時間後。12月10日の夜明け前だった。
 十年前、デコボコ道でドアのないバスに揺られていたことを思えば、何という贅沢! あの頃ハイウェイは未だ無く、町に柳田先生が居たのだけれど。
 ホテルの窓の向こうの闇から孔雀の声。ラマナアシラムからそう遠くないようだ。濃厚な緑の香り。雨上がりの町は水たまりだらけで、風がひんやりと冷たい。私は毛布のないベッドの上で、開け放ったままの窓から流れてくる冷気に震えながら眠りについた。
 翌朝遅く目覚めると、窓の外はアルナーチャラ山の緑ではないか。私は喜び勇んでホテルを飛び出す。人の波は、ギリプラダクシナの巡礼コースのそばであるためらしい。私は、祭の準備で浮き立つ町を微かな記憶を頼りに歩いた。
 寂しい町外れだったラマナアシラムの門前は、すっかり様変わりしていた。町全体が巨大化し、ネットカフェ、携帯の音、土産物屋、スーパーマーケット、レストラン、そして華やかに着飾った人々で溢れかえっている。
 巨大な看板の群れに埋もれそうな門のアーチをくぐり、ついにアシラムの中へ。サマディーホールの透き通った空気と白い壁に包まれると、懐かしさに体が震えた。
 懐かしさとは何だろう。私はこれまで幾つの街に住み、幾人に別れを告げてきたのか。とっさに思い出せない数だ。二度と訪れることのない場所、二度と会えない人ばかり。幼い頃から、別れが悲しかったことはない。私に属するモノなんて初めからないし、縁があればいつか必ず逢える…それだけのこと。なのに、ホンの少し滞在しただけの場所がこんなに懐かしいなんて。
 14年前、初めてこのホールの白い壁にもたれて座った時は涙が出た。涙は、悲しみそのものではなく、悲しみの終わり。何かが私に告げた。私は私のままでよいと。その瞬間、様々な誤解や不愉快な記憶が蘇り、流れ去っていったこと。時は流れ、私と私の風景はどこか変わっただろうか。
 今、懐かしさを喚起するものは内側にも外側にも見つからない。それなのに、私の中の何かが引き寄せられ包まれ満たされ、喜びがそっと胸に迫る。これは誰の思いなのだろう。
 アシラムのダイニングルームとゲストルームのすぐ向こうで、山は濃い緑に包まれていた。帰ってきたよ。愛しいアルナーチャラ。
私は、メディテイションルームの空きをどうにかみつけ、ただ座った。

 12月11日。篝火の山、シヴァのハートといわれるアルナーチャラ最大のお祭ディーパムの本番である。濃い朝靄はとうに晴れ、雲が多いけれど上々のお天気になった。
 教えてもらったところによると、火が灯されるのは日没直後。アルナーチャラ山頂と、町の中央にあるアルナチャレシュワラ大寺院と、ラマナアシラムの三箇所という。
 この日の午後、サマディーホールの玄関前の人込みは、身動きできない状態になっていた。設えた祭壇の周りはロープで四角く囲まれ、その内側には男女に分かれたバジャン(讃歌)のグループ。私はすっかり出遅れてしまったようだ。何とか座らせてもらった場所から首を伸ばし眺めて待つ。
 バジャンのグループが先導して、アルナーチャラを讃える歌を歌い始めたのは、夕方五時半頃。アルナーチャラ、アルナーチャラと繰り返し繰り返し響くメロディーに身も心も染められて、夕闇がしだいしだいにせまる。
 六時を少し過ぎた頃、山頂の炎を合図にアシラムの火が灯される。その瞬間、町全体が大きな歓声に包まれた。高まった歌声はさらに数分の間繰り返され、バジャン終了。人々の波が一斉に表通りに流れだした。
 この晩にアルナーチャラ山を巡るギリプラダクシナを行うと、特に御利益があるという。赤々と輝く炎にはギーが絶えず注がれ、夜明け頃まで灯し続けられる。巡礼コースの寺院のシュラインにも火が灯され、一晩中賑わうはずだ。
 歌いながら、語りながら、家族と連れ立って約20キロの巡礼に出掛ける人々の群れを、私はそのまま見送った。
 群衆のほとんどが去った14日。日が陰り始める夕刻時に、私はひとりでギリプラダクシナに出発した。女の一人歩きは避けるよう云われているけれど。
 大寺院からアルナーチャラに対して右まわりに、つまりラマナアシラム方面に向かって歩きだす。やがて夕闇がしだいに辺りを包み、山頂に火が灯る。
 お店をみつけ一休みしてチャイ。
 満月間近のまあるい月が山陰からやっと顔を出す。
 歩いて休んで、街の灯の向こうにクリスマスツリーのような光を纏うゴープラム(門塔)が見えてくる。ゴールの大寺院だ。
 最後の休憩で夕食のターリ。
 炎に見守られ4時間半、以前傷めた膝も古いサンダルも無事なまま、私の十年ぶりのギリプラダクシナが終了した。
 その翌日は、お祭のもう一つのクライマックス。普段は大寺院の奥に祭られているシヴァとパールヴァティの黄金像が、山車に乗って自らギリプラダクシナを行うのだ。しかしパレードは予定の正午より早めに出発したのか、私は見逃してしまった。

 私は何故一人なのだろう。東京でも、今この瞬間も。
 最初にここに来たときも、二回目も、同行予定の友人は逢えなかったりキャンセルしたり。今回も、ホテルが見つからなければ友人の友人が同行予定だった。それが聖地への旅ともなれば、三度もの偶然はあり得ない。
 愛している、愛していると私に降り注ぐ、震えるほど微細で美しい光、それとも命。絶対的な真理、そして平安。本当の私で居る幸せ。心の中の何かが命ずる。真実の本当の私でいられなければ、生きていたくなんかないと。
・・・・その引き換えに捨て去ったもの。仕事の成功や結婚といった人並みの幸せは、望んでも得られない夢になった。全く、あり得ないほど見事な不運の連続……否、偶然はない。心の深奥で自ら選びとった道だ。
 しかし世間から見ると、自分が誰からも必要とされていない、居場所のない人間に過ぎないという事実。マザーテレサが哀れむ、道端で野垂れ死にしかけている瀕死の病人のように。それが辛くないといったら嘘になる。
 それでは、哀れみは妬みより優しいかしら。尊敬なしの哀れみは………。聖地で今の山アルナーチャラはそっと見ていた。
 私は知っている。自分一人の力では、この旅は不可能だったと。感謝の祈りを!そして知っている。アルナーチャラ、シヴァといつも一緒の旅だと。その恩寵の深さを。宣言しよう。私はこのような存在であると。
「わたしのこと好き?」と心の中で尋ねると、私をディーパムへ招いてくれたお山から投げKISS。
 祭の最終日の夕刻、私は現地滞在の幾人かの日本人とアルナーチャラの讃歌を思い切り歌った。灯をみつめる人々の笑顔。

 ディーパム祭の炎は11日間、アルナーチャラの夜空を飾る。それは偶然にも、私のティルヴァンナマライ滞在期間と一致していた。少し気弱になった現地のKさんに別れを告げ、私は十年ぶりのインドを後にした。

    アルナーチャラにハートの雲



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プロフィール

Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

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