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アルナーチャラ―神への道2

 私は霊、スピリットとしてアルナーチャラに住んでいました。

 そんな言葉が突然やってくるのって、チャネリング、霊の言葉を伝えているだけでは? と思う方がいるかもしれません。しかし、チャネリングという言葉には、チャネルする霊と自分は別という意味が含まれています。少なくとも今回、答えは実際に私自身の内に在りました。 

 私の哲学のベースは、数学者の考える数学的世界に近い。近かったはずでした。だから、科学的に論証できない体験を語ることには、めちゃめちゃ抵抗がありました。本人が信じ難いと思っている話を、他人にするなんて!
 それでも、正しい。全身の細胞が泡立って突き抜けるように、魂のすべてが、正しい!正しい!と叫んでいる。
 そんな「真理」もまた真理ではありませんか。誰が何と言おうと。

 今こそ、最後まで目をそらさずにお付き合いください。

2018.9.29ラマナアシラムの孔雀2

 ラマナと岩山の夢を見て、「呼ばれている」気がして、私がまっすぐインドを目指したのが1994年でした。
 当時、ポール・ブラントンの「秘められたインド」は書店に無く、山尾三省氏の「南インドの瞑想」が絶版中。私が、ラマナの本を読んだことが無かったのも、仕方がないことでした。
 柳田先生の紹介状をなんとか手にして、マドラス(現チェンナイ)からリキシャと長距離バスを乗り継いで、どうにか辿り着いたラマナアシラムとアルナーチャラ山。ラマナが埋葬されたサマディーホール。
 その壁にもたれて座ったとたん、涙が溢れました。私のすべてを、正しいと言ってもらった気がして。
 神様の祝福って、誰でも自分が特別って思わせてくれるものなのかと思ったっけ。

 アシラムで午後のミルクコーヒーを飲みながら、出会ったコリアンの方とこんなおしゃべり。
「Previous life? What?」私の英語はその程度。
その人は辞書の余白に、漢字で「前世」と書きました。
「あなたが、ラマナ・マハルシの本を読んでないのに夢を見て、真っ直ぐ来たのは、前世で弟子だったからでは?」
「まさか、前世なんて信じられない。Unblievable!」
「仏教徒なのに?」

 私って頑固?
 
 実は、超常現象を信じない修行者は、少なくありません。半数くらいは、神の奇跡を求める人の群れに、冷ややかな視線を送っています。残りの半数も、半信半疑でしょう。日本人も欧米人も、インド人も同じ。
 中でも、ギャーナ・ヨガ、禅などの実践者は、徹底的なリアリストでニヒリスト、虚無主義です。現世の冨や快楽等々がすべて幻だと、自分自身で見極めなくちゃならないのだから。

 ところが、帰国して、「秘められたインド」を開き、1ページ目から本を投げ出しそうになりました。
 強烈なデジャヴ! 何これ? 遠い記憶の一ページのよう。自分がそこに居たみたいな…。
 そしてこの文体。自分の体験の観察の仕方、取材の仕方、言葉の選び方、紡ぎ方。その本の中にあったのは、私が築いたオリジナルルールによる、私の文章に極似していました。英語と日本語の違いを超えて。
 これが、私が書いた本でないとしたら、性格、好み、能力が全く同じ他人が居るってこと??
 もしかして、前世――⁈

 非科学的といわれるスピリチュアルの世界にも、一応、「常識」らしいものがあります。国境や民族や、宗派宗教が違っていても、同じ超常現象について語られているのなら、それは普遍的な現象らしいと推測できるからです。実際に観測できなくても、呼び名や言葉が違っていても。
 霊感の強い者同士は、同じモノを見たり聴いたりできているようです。リーディング、ヒーリング、チャネリング、リインカーネーション、UFO、神? どこまで常識とみなしてよいのか、一概にはいえなくても。
 その中で、臨死体験から推測される、死後の世界や生まれ変わりや前世のカルマは、よく知られている方だと思います。

 カルマは「常識」として、自分の行いは自分に返るという公平なシステムです。悪いことをしたら不幸な境遇に、善行を積めばよい境遇に。たくさん勉強したら、来世でその道の天才として転生すると云われています。
 西洋哲学も、インド哲学も、勉強する必要を感じたことがない困った私。近所の宗教団体や大学の研究室に、片っ端から議論を吹っかけて負け知らずだったのは、大学一年の頃。文章も得意な方で、編集ライター。
 私の前世が、哲学に強い修行者でジャーナリストのポール・ブラントンというのは、ありそうに思えました。しかし、彼が亡くなったのが私の生まれた後と分かり、PB前世説は早々に却下。

 Who am I ? 私は誰?というよりナニモノ?
 こんなにも懐かしいアルナーチャラとの関係は??

 前世が見える霊能者が居るらしいという噂を頼りに、観てもらったこともありました。
 けれど分かったのは、大昔、日本に住んでいたことがあるかも…大昔、インドでヨガの修行をしていたかも…、という程度。
 欲しいのは、「こういう原因、因縁があって、現在の私があります」というストーリーです。それが才能や祝福を表す良いカルマでも、不幸を物語る悪いカルマでも、知ってそれで納得できるような。
 そもそも、ラマナとの不思議な縁について分からなければ、私にとって無意味です。

 別の方にも観てもらいました。
――ラマナの弟子でも、世話係でもなかった? 直近にインド人であったこともない? 哲学や文学を熱心に勉強したという過去世も見当たらない?

 カルマの法則は、スピリチュアルの世界では常識じゃなかったの? これは、どういうことなのでしょう。
 私の思考は、そこでストップ。
 ただ、アルナーチャラが、そしてラマナが懐かしくて愛しくてしょうがない。とてもとても近く感じる。
 その思いの深さだけは真実でした。 

2018.10.5大寺院2

 そして、10年ぶり、4度目のアルナーチャラ。私は、サマディーホールに座り、祈りの歌を聴いていました。

 10年、20年考えても分からない時には、ロジックではなく前提条件の方を変えてみること。
 ヒントは、すでに様々な方法で啓示されていました。シヴァ神の夢。やって来る言葉。

 ラマナは、よくあなたは既に悟っていると語っていました。私だけではなく。
 古の聖典は、誰にでも本当は神としての本性、アートマンがあると説きます。私だけでなく。
 神であることを知った人が神であると言ったのは、サイババさん。つまり、この手の教えは一般論。
―――もしかしてワタシ、ニヒリズムが邪魔をして思考停止している? 何度も何度も感じた特別の恩寵が、一般論でも勝手な願望でもなく、事実だとしたら――。

 世界は、物質というマーヤーの幻ではなく、エネルギーで出来ています。エネルギー、そして愛。
 今の私は、それらを自然に理解できる気がします。エネルギーとは真我、魂のこと。この世界に、肉体を持つ魂だけでなく、肉体を持たない魂もたくさん存在していること。パワースポットって、見る人が見れば神霊だらけだと。アルナーチャラも。
―――スピリット?

 私が特別ってマジ⁈ 気が付いた途端、言葉と記憶が、自然にあふれてきました。スピリットとして、何百年もアルナーチャラ山に宿り続けて、修行者や信者を応援していた私自身の記憶。
 スピリットの世界には、区別や境目がほとんどありません。応援している修行者(ラマナもPBも)と知識や経験を共有し、共に学ぶのです。だから、私の知識は最新だったのです。
 ああ、ラマナと共に過ごした日々の、何と楽しかったことでしょう!

 アルナーチャラは、シヴァ神のハートと呼ばれています。実際には、シヴァ神おひとりでなく、高位のスピリットが複数で共存して宿る聖地でした。

 Who am I?  正しい答え。
 私はインドのこの地を愛し宿り、数百年、あるいは数千年、ほとんど肉体を持つことの無かった霊、スピリット。
 カルマの法則による鎖を、最初から持たない存在。

 それは、現実とファンタジー、哲学と夢の間のあいまいな論理がきっちりと繋がって、真理が現れた瞬間でした。


      2018.10.5大寺院1
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テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

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Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

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