2017.07.21
死の傍らを生きて…2――桜の下で逝くもの送るもの

春爛漫の5月、父は舌癌ステージⅣの診断を受けました。黄金週間で遊びに来ていた私達姉妹と、母と、父本人とでその宣告を聞きました。
――それって末期がんってこと?
担当医師の話によると、舌癌は質の良くないがんだそうです。放射線治療や抗がん剤で、完治できないと。
――ようするに、手術しないとすぐ死んじゃうって意味?
もうリンパに転移しているから、手術も大変です。まず、舌がほとんどなくなり顎の形も変わる。食事の味わいも、おしゃべりもほとんどできなくなって、胃ろうで栄養補助になる可能性が高いと説明されました。
「父は、自分の好きにするでしょう。それでいいよね」
青ざめる母の横で、私が代表してそう応えました。
私達家族は冷静で、冷静すぎて、医師には不思議に見えたでしょうか。
この宣告の日の深夜、大叔母の訃報。大きな事件って、重なるものですね。
大叔母は95歳。祖父の妹です。出戻りのひとり暮らしだったので、実家の甥姪、すなわち母の兄弟一同で介護していました。つまり、自分の家のお葬式のような騒ぎになったということです。
いくらひとり身であっても、人一人この世を去るには、いろいろと面倒な手続きや作業があるものですね。既に高齢の甥姪たちは、夜遅くまで駆けまわっていました。私の役割といえば、車の送迎と、全日程に出席してサクラになるくらいでしたが。
お葬式のサクラ? 予想通り、離婚先に残した実子も孫も来なくて、友人も一組だけという寂しい式でした。
どうしても、考えずにはいられません。私だってひとり身だから。未婚で親族も少ないから、行く末は、もっと寂しくなるのかしらと。
先月の、幼い少女の葬儀と比べて、別れを惜しむ声が少なすぎるは仕方がないことだけど。
火葬もシンプルに、お坊さん抜きでした。私は、水を供えるついでに、こっそりとインドのマントラを唱えました。ガンジスに漂う煙を思い出しながら。そして、窓の外は、未だ満開の山桜。
願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月の頃
これは西行法師の歌。西行は、その願い通り春に亡くなったと伝えられています。如月は2月のことですが、旧暦を新暦に直すと3月。秋田の山桜は、今が盛り。だから、この歌の通りだよね、という母。
山も川も、再生の喜びを謳う季節。花に送られ、大好きだった実家のお墓に入ることができた叔母さんは、きっと幸いだねって。
そのようにして、黄金週間は瞬く間に終わり、父の検査と治療が始まりました。

ひと通りの検査の後、あらためて医師から治療方針を聞かれた父は、担当医師と家族の前で、宣言しました。
「89歳です。私のトシの5年生存率は、元々1~2割でしょう。これまで通りの普通の生活を、できるだけ続けられるようにしてください」
つまり、手術はしないってことです。家族一同、納得。医師は、まだまだ体力がある父に手術を勧めたいようで、反対する者はいないのかと見渡していました。
医学界、というより自然派の健康法を好む人々の間には、食べられなくなるイコール本来の寿命であるという説があります。臓器移植だけでなく、点滴も輸血も胃ろうも、自然の法則に反していると。
生きとし生けるものは、そんな寿命、肉体の終わりを、受け入れるべき? それは、苦しみでなく幸福な最期だって、ホントのホント?
少なくとも、どこかで「不自然な」治療に見切りをつけるべきという考え方には、私も賛成です。
ウサギ君の最期も似たような状況でした。歯が悪くなって食べられなくなり、手術もできなくて、点滴、点滴。どこで治療を打ち切るべきか悩みました。きっと、安らかな最期だったと信じています。けれど、その似たような判断を、今、実の父がするなんて。
人は生きて死ぬ。そんな当たり前が、簡単なようですごく難しい。
私の中で、神のごとき視線が静かに見守っていました。人は自らの死を受け入れられるものなのかと。
ちなみに父は、無宗教を自認する日本人のひとりです。
マラソンも山登りも山菜取りもスキーもできなくなって、頭も体もすご~くドン臭くなった父だけど、未だ介護は必要なし。それで、少しでも長く生きたい、そのためには何でもしたいって気持ちに、ならないのかな。
フツーの無宗教の日本人は、お迎えも再生もホントにあるって、フツーに信じてるものなのかな。だとしたら、それって無宗教ではないんだけれど。
「できれば、2020年の東京オリンピックで、聖火ランナーをやりたいですな。聖火はきっと、ご近所を走るでしょうから」
OK、きっとその願いは叶うでしょう。
この桜、2020年の春も父と一緒に見られますように。

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テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体