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雪山に恋して

 冬に雪が無くて寂しい。それは、何か月も根雪に包まれる国の人間でなければ、分からない郷愁かもしれません。
 永遠のように舞い降りる雪の、音の無い音。どこからやってくるのかと見上げ、天へ伸ばした指先の感触。ごみごみとした街並みが、清らかな純白をまとう日の朝の、つんと冴える空気の匂い。
 何か月も何か月も白、白、雪の白だけを見て暮らすということ。


2016.3.10中央ゲレンデからパラダイスへ
中央ゲレンデからパラダイスゲレンデへ向かう連絡コース

 中でも忘れがたいのは、大学のスキー合宿で初めて見た蔵王の雪景色でした。
 ベテランの先生の案内で樹氷の森の中へ分け入って、バージンスノーの中を滑りました。初級グループなので、ふわふわの雪の中、滑るというより泳ぐ感じでしたが。(※コース外滑走は厳禁です。山スキーは届出ましょう。)

 寝転んで見た空の蒼、樹氷の白、深山幽谷の厳かな静寂。その光景は今も、鮮明に私の記憶の中に生きています。ヒトの行くべきでない聖域へ踏みこんでしまったような畏れや、もう下界へ戻れなくなりそうな微かな不安とともに。
 私が、蔵王に恋してしまった瞬間でした。
 
 山小屋で一週間も暮らした後には、天上界から追放される天使の気分で街へ降りました。それは、山が好きな人なら、誰もが抱く感傷かもしれません。けれど、蔵王ほどそう感じさせてくれる場所を、私は未だ知りません。
 
 不意に思い出したら逢いたくて、逢いたくなってひとり行ってしまいました。


2016.3.10三宝荒神山
三宝荒神山とパラダイス・ゲレンデ

 鳥兜山頂でロープウェイを降りると、未だ朝霧の中でした。霧の晴れるのを待って、まずは中央ゲレンデで足慣らし。風景も傾斜もゆったり優しい場所なので。それから、連絡コースで三宝荒神山と地蔵岳の真下、パラダイス・ゲレンデへ向かいました。
 パラダイスの名は、ブナの森の霧氷の美しさに由来しています。もこもこの樹氷とは別種の、細い枝を広げた造形は繊細そのもの。陽が昇ればはかなく消えるそれもまた、私のお気に入り。
 大学の山小屋は、今でもそこにありました。他に2つあったハズの山小屋は、跡形も無し。そんな時代なのでしょう。
 ここからは樹氷原へ、あとリフトひとつです。


2016.3.10樹氷原コース
樹氷の無い樹氷原コース

 樹氷は、アオモリトドマツの森と、日本海を渡ってくる冷たい季節風が出会って成長します。暖冬の今年は、木々がほとんど裸のままでした。予想通りとはいえ、やっぱり残念。それよりも悲しいのは、昔はあれほど賑わったゲレンデに、ほとんど人の気配が無いこと。
 風の匂いだけは、未だ冬山です。私はひとり、緩やかな林の間をまっしぐらに駆け抜けました。

 樹氷原を2回滑ってからユートピア・ゲレンデを下りて、やっと山頂線のロープウェイへ乗り込みました。
 やっぱり、お地蔵様にご挨拶しなくちゃね。
 がら空きのロープウェイの中で聞いてみると、今シーズン4回目の方も、一度もモコモコした樹氷を見ていない、とのこと。地球温暖化は深刻なようです。

 蔵王の象徴であるお地蔵様は、三宝荒神山と熊野岳の間、1661mの尾根に鎮座されています。山の安全を祈った人々によって20世紀に建立されたもの。以後、山の事故が減ったそうです。
 まずは、再会に感謝して合掌。

2016.3.10山頂のお地蔵様
 
 蔵王の神様ってお地蔵様でなくて、蔵王権現ではないかと思って調べてみました。
 歴史的には、宮城蔵王は蔵王権現、山形側は熊野岳、つまり熊野権現というのが、元々の祭神だったそうです。蔵王の名が有名になって、どちらも蔵王ということになったのだとか。それってテキトーなのかと思ったら、権現さまなのでOKみたいです。
 権現は、権化とほぼ同じ意味です。仏教の仏さまや神々が、日本神道の神々の姿を借りて現れた方という意味の称号です。つまり、神仏習合。元々、複数の神仏のパワーや姿を借りて含んでいるので、新たに習合したり名称変更しても、問題はなかったようでした。
 この仮の力は、実在の人物にも当てはめられることがあります。ということは、権現イコールアバターだったりして。
 今では、某華道家お勧めの「愛の聖地」になっているとか。いずれにしても、古から山岳信仰の場であったことに間違いありません。

 日本人は「無宗教」を自称したがるけれど、半分は嘘ではないかと私は思うのです。
 新興宗教や国家宗教への嫌悪感から、人前では神の名を呼ばないのが常識、というより良識になっているのがちょっと残念。関心があるのは願い事だけ? 本当に?
 それでも、大自然を畏れ敬い、黙って手を合わせたくなる。そのような信仰の形は、日本人の誰もが持っているのではありませんか。
 日本では、名のあるお山にはほとんど神様が祀られていますよね。また、神社だけでなく仏教の寺院にまで「○○山」の名を冠します。
 多分、山岳信仰、修験道、太陽や木や石などに宿る霊を敬う自然崇拝が、本来の日本人の宗教の形なのでしょう。 

 実は、山を神とみなす信仰の形態は、アジアでは一般的です。カイラス山、そしてアルナーチャラ山をシヴァ神と同一視するインド。富士山、蔵王、初詣にでかけた三吉神社…ご神体が山そのもの、というのが普通の日本。一神教の常識からみると、きっとかなり変!?
 
 すべての山は多かれ少なかれ清浄で、パワー溢れる聖地です。私たちはそれを、直感的に理解しているのだと思うのです。
 
 山頂の吹きすさぶ風は、ここが間違いなく冬山であると教えてくれています。
 さようなら。また、会える日を祈って。

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テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

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Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

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