FC2ブログ
   
01
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
   

私は誰…48―魂で書いている

2015元旦千秋公園

 私は、いつのころから文章を書くという行為を始めたんだっけ? 

episode1
 小さい頃は、暇さえあれば絵と漫画ばっかり描いていた女の子でした。小2くらいで、デッサンをほぼ正確に描いてしまったり。そう、学校の先生に、「大人の真似をするな」と言われ、眉をひそめられるタイプです。しかし、子供に「ヘタウマの勧め」なんて分かるわけもなく。
 絵は今でも大好きだけど、画家、漫画家への夢は、描きたいものが見つからなくてフェイドアウトしました。

 一方、思春期になり、溢れだす言葉、ことば、コトバ!
 きっかけは、大人のリアルな小説への嫌悪だったと思います。愛がそんなに醜いはずがないと。

 皆みんな、大人になってゆくよね。世界はファンタジーでもSFでも、まして神話でもない。奇跡なんか起らないってあきらめて。本音と建前、裏表の駆け引き、怒りや恨みを覚えていって。
 私もそんな風になるべき? それが生きるということ?
 違う、違う。そんなの、本当の人間じゃない。
 勝手に世界をややこしくして、勝手に不幸になっちゃって。

 私は知っている。少なくとも、本当のわたしは違うってこと。
 私達、もっと純粋で論理的で完璧だってこと。


 恋は未だ、遠い。
 それでも溢れる思い、新しい感覚。
 「やってくる」コトバ、ことば。
 ―――書きたい。

 情けないことに、私が読書家だったのは小学校時代まででした。図書室の本を読破して、中学校へも手を出しているという噂だったのに(姉の本と父の本のこと)。自分が中学生になると、読みたい本が見つけ難くなりました。
 大人の本と子供の本の最大の違いは、夢が無いこと。純文学のほとんどが非論理的、現実的、ドロドロ系です。私の趣味に合わなかったことが最大の原因でした。以後はSFと漫画中心?
 結果として、私は日本近代文学の名作や有名賞作品を、ほとんど読んでいません。そんなタイプに、美しい日本語を書けるものでしょうか。微妙? 少なくとも、語彙の豊富さと文法のテクニックだけは一級でした。

 でも、書きたい。
 私の内側から「やってくる」この想いを、自分の言葉で。

 そこで一発奮起! 私は、自分が使う言葉、表現を自分で創り出すことにしました。10代の少女は、流行語や自分達の言葉創りが得意なのです。転校生で、クラスの誰とも会話しなかった学生時代。私は孤独を幸いにして、自分の内面と向き合うことで言葉作りの作業に取り組むことにしたのでした。

 中学時代の私の作文を見ると、ただ今実験中!みたいな変な日本語です。漢文調や翻訳調。
 これは翻訳文学と歴史小説が好きなのでその表現方法を引用したから、という訳ではありません。手順として、まず自分の内側を観察。言葉一つひとつの概念を定義し直します。それを順番通り正確に文章にしたら、結果として翻訳調になってしまったのです。(前世は英語圏の人だったりして…。この数学の証明ような言葉使いが、西洋哲学の基本的手法だなんて、知る由もなく)。
 時には、敢えて口語表現を混ぜ込みます。言葉は生き物だから、時代の空気感が欲しくて。先生が直すかどうかギリギリの線が狙い目です。

 しかし、実際に大変なのは、言葉になる前の言葉を見つける内なる創造の方でした。
 画家、詩人、音楽家等クリエイターは、創造のひらめきが内なる自己からやってくることを、経験的に知っています。外側ではなく内側。そのきりきりとした痛み、喜びを。

 創造という女神の恩寵をひたすらに求め、自分自身の内側と向き合い続ける日々。すべての智慧と答えが存在する、無意識という無限の海のほとりで。想いの波は、いつだってキラキラ。
 ここは、思春期の私にはなじみの場所。本当の「わたし」が居るところ。
 私は知っていました。ここから、さまざまな印象、イメージが湧きあがってくること。それが、「わたし」というフィルターを通って初めて言葉になることを。
 それを意識の指でつかみ取って、真っ白なノートの上へ一気に書きなぐる。ここまでが、最初の作業です。このようにして言葉は、「わたし」という意識の誕生とほぼ同時に生まれてくるのです。

 それは、まさに瞑想だったのかもそれません。
 ここから先は、ひらめきから理論へ、右脳から左脳へ、作業をバトンタッチ。

 ひらめきは、元々順不同でバラバラです。まして瞑想の思考パターンでは、質問から答えまで一瞬です。既に完璧に理解している「常識」は、無意識のうちに完全省略。途中経過も不明です。しかも、略した私の常識イコール世間の常識ではありません。はっきり言って、ほとんど違っているのが、イタイところ。略した部分をもう一度言葉にしなければなりません。
 そこでまず、読者タイプを想定。(取り敢えず同級生)その趣味、感性、知性をイメージします。その読者に語りかけるつもりで、言葉を選びます。結論から問いへ、逆の道を辿って言葉探しの旅。最初のノートに、バラバラのピースをいっぱい書き加えていきます。
 十分にピースが揃ったら、今度はそれを普通の順番通りに組み直し。文章の約80%が、最初に逆の順番で生まれてくるって変ですね。(やっぱり、英語みたい)。

 また、瞑想的思考パターンでは、感情も省略されています。そのままでは、数学の証明みたいに味気なくて、共感してもらえません。結論へ至る道の途中、その情感や情景も、ゆっくりと言葉に戻していきます。
 仕上げに言葉を整えて、文章に美しさの魔法をプラスします。言葉のリズムや響きの美は、ヒトの心を動かす大切な力となるから。
 目標は、想定したタイプの読者が理解できて楽しめる作品です。世界の美しさ、私の肉体を包む風の透明な優しさが、少しでも伝わってくれるといいのだけれど。

 それは一体、誰のため、何のための努力だったのでしょう。出版するとか友人に見せるという機会もないまま。
 それでも、言葉は受取るヒトのためのものだから、伝える努力に想いのすべてを込めて。

episode2
 大学時代、文芸サークルの部長をしていたとき、後輩に誘われて「文学伝習所」なる催しに参加したことがありました。有名作家の直接指導を受けられる、またとない機会ということで。

 講習は二日間。初日は小説理論の講義です。受講者は、その時に与えられたテーマで、短編小説を書き上げます。二日目は、それを一人ひとり順番に読み上げて指導を受けるという予定でした。しかし、予定外だったのが大先生の態度。
「何で大学生が居るんだ」。

 そういえばこの作家先生、プロレタリア文学でした。大学生はブルジョワだからお呼びじゃない。まして、男子大学生(後輩)二人を従えた生意気な女子大生がって感じでしょうか。私の態度も硬化して生意気MAX。
「すいません。先生の作品は未だ読んだことがなくて」。
「女は教条的なのが多いからな」。

全身小説家―もうひとつの井上光晴像全身小説家―もうひとつの井上光晴像
(1994/10)
原 一男

商品詳細を見る

 現代では、プロレタリアート(労働者階級)、ブルジョワジー(資本階級)なんて死語ですが、当時は未だマルクス主義が近代経済学よりも優勢でした。経済的平等、男女平等、自由のユートピア。しかし、一年生の最初の授業で私を魅了したその高い理想は、既に色褪せ始めていました。何故かというと…、政治と経済のお話は長くなるので以下省略。
 所属ゼミの教授曰く、「マル経は近経に既に敗れている」。それでも、ベルリンの壁と東西冷戦が未だ永遠のように見えていた頃のこと。

 それでも、先生の小説理論は、期待以上に素晴らしいものでした。小説が生まれる瞬間のイメージの捉え方。与えられたテーマは、「恋を失った女」でした。ドロドロが嫌いで片恋ばっかりの私には、ちょっと苦手。

 文学伝習所の2日目。受講者は、一人ずつ前に出て自分の作品を披露して行きました。その一人ひとりに、先生から的確で厳しい指導の言葉が浴びせられます。
 私は首をかしげました。私達以外は社会人で、地元の同人誌メンバーの方々です。大人なのに、どこかで聞いたことがあるような文体ばかり。皆さま、自分の言葉を作ったりしないのかな。
 いよいよ、私の番になりました。作家先生は身を乗り出して、生意気な女子大生をやりこめる機会を今か今かと待っています。私が書いたのは、別れの手紙を出して前に進もうとする少女。放棄する心の透明さ。
 朗読を終えた時、先生は一瞬絶句。
「テーマが少し違う」とだけ言いました。
確かに、女のドロドロは無いです。
「すいません、テーマをわざとずらしました」。
先生から批判の言葉はなく、それきりに。
 文学伝習所はそれで終了。帰り道、最初に誘ってくれた後輩がボソッと、「先輩のがイチバンでしたよ」と話してくれました。

 プロのライター経験を積んだ今の私なら分かります。私の文章、文体はオリジナル。オリジナルの立場からは、受け売りとオリジナルの区別が、一目瞭然なのだと。大先生の沈黙は、何よりも雄弁な証拠でした。

 晩年に、ベルリンの壁の崩壊とマルクス主義の没落を見たその作家は、何を思っていたでしょう。がっかり? それとも納得? 生意気な女子大生なんか、すぐに忘れてしまったかな。ブルジョワの私は、相変わらずの貧乏暮らし。今なら、も少し素直に話し合うことができたかもしれません。お互いに。

episode3
 夢を見ました。インドの聖者ラマナ・マハルシが、山を歩きながら振り向き、私を手招きする夢です。その後ろには、祈りを捧げる人々の群れ。私は、聖地の名前と場所を調べ上げ、旅に出ました。アルナーチャラへ。
 当時の日本には、ラマナに関する本がほとんどありませんでした。廃刊になっていたり。私が彼に関する本を手にしたのは、巡礼の旅の後のこと。その内の一冊に、私は息を飲みました。
 
秘められたインド秘められたインド
(1982/01)
ポール・ブラントン

商品詳細を見る


 私は手が震え、読み進めることができませんでした。気持ち悪!
 これ、私の文章・私の文体だ。英語と日本語の区別以前の、文章の創り方、言葉の捕まえ方がおんなじ。思考パターン、行動パターン、性格etc.。この感覚、この体験、私は思い出すように覚えている。
 わたしは、オリジナル。その筈だよね。

 偶然? それとも生まれ変わり?
 指導霊? 魂の双子?
 霊感がほとんどない私には不得意な分野です。

 ラマナを西欧に初めに紹介したジャーナリストで哲学者、霊能者だったという著者、ポール・ブラントン。亡くなったのは、1981年。私が生まれた後です。輪廻転生を信じるとしても、辻褄が合いません。
 「Talks with Ramana Maharshi」の中でラマナは、転生の時間的矛盾について訊かれ、時間とは主観的なもの(マーヤー)であると答えています。とはいえ私の場合、証拠も証人も皆無。

 確かな事実は、夢だけを頼りに旅立った私が、ラマナ、そしてアルナーチャラに特別な縁を感じていること。ポール・ブラントンとラマナに特別な縁があったように。私達、ほんの少しは似ているって思ってもいいでしょうか。

 え、ポールは、うさぎを飼っていた?

続きを読む

スポンサーサイト



テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

FC2カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR