FC2ブログ
   
10
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
   

私は誰…47―ほほ笑む神様

 Who Am I ? 私は誰か?
 ラマナの教えでは、I Am Self. (私は真我)がその答えとされています。
 I Am That I Am.(私は私)も、ありそう!と思ってしまう私。これは言うまでもなく、旧約聖書に記されたモーゼが聞いたという神様の自己紹介のセリフです。神様の名前が「ワタシ」なら、この二つの答えは同一なのでは?!と思ってしまうワタシ…。
 
 自分自身を真我=神であると気付くこと。
 すべてのものは神なのだけれど、実際にすべての人に同様に神が現れる訳ではなくて…。実際のところ、それが大きな問題です。
 私って何モノ? 私にとっての神サマって?
 
 そう、例えばドゥルガー女神のお祭、ドゥルガー・プージャ!
 日本のベンガル人団体主催で催されると聞き、参加した日のこと。


2014.10.4ドゥルガープジャ2
 
  ドゥルガーという言葉には、恐るべきものという意味があるのだとか。インド神話によれば、ドゥルガーはパールバティーの戦闘バージョン。すなわち、シヴァ神の妻です。
 大聖ラーマ・クリシュナさんがベンガル地方の生まれで、カーリー女神への信仰篤かったことはよく知られています。カーリーもドゥルガーもシヴァ神の妻の変身した姿とされていますが、元々は古の女神信仰が、ヒンドゥ教へ取り込まれた(習合)もののようです。
――それにしても、こういう歴史って人格神の実像、つまりその姿やパワーとどれくらい関係あるのでしょう。

 ホールのステージ上に飾られた女神像の周りは、既に人が集まっていました。インドでは、この種の聖域では土足厳禁。インド通日本人も、サンダルを脱いでステージに上がり、配られた花を手にプージャの始まりを待ちました。
 祭司役のブラーミンの唱えるお祈りの言葉を、皆が口移しで唱えたら、手中の花を祭壇に捧げます。ガンガーの聖水を浴びて儀式終了。


    2014.10.4ドゥルガープジャ

 午後は、お祭に付き物の歌と踊り、カルチャープログラムの時間です。

 インドは広い。北のベンガルには南のアルナーチャラもラマナも知らない人も居るってホントらしいです。私といえば、アルナーチャラ以外はほとんど知らないけれど。バラナシもカニヤクマリもガンガも未体験。

 学芸会レベルのモノが多くて、町内会の出し物みたい…。その中で、インターナショナルスクールのお琴部(全部男子!)、そしてバラタナティアム(南インドのダンス)の専門学校から来日中のダンサーは、まさに絶品でした。
 高校生くらいの化粧男子が半裸で出てきたのにはビビったけれど、クリシュナ神のコスプレだよね~。何だか、私に向かって笑いかけてるように見えたのは、私がインド大使(女性)の真後ろに居たせいでした。-_-;)


    バラタナティアムダンサー1

 眠い…眠い…ランチのインド料理とお菓子が、美味し過ぎたせいかなあ。目を開けると、脳貧血で頭がガンガン。あらら!

 正しい瞑想状態の脳が、脳貧血であることは、知る人ぞ知る科学的事実です。サマディー(三昧)とは、脳死に近い状態なのだと。私の場合は、聖なるものを見たり聞いたりする場所に長時間居ただけで、時々こういう貧血になってしまいます。瞑想らしい瞑想をしていなくても。そのまんまで、食事なんかしたら大変!
 プージャ(お祭)はサットサンガ(聖なる集会)よりもパワフルで影響を受けやすいみたいです。そのエネルギーに巻き込まれ…人格神中心の云い方では、喚ばれてしまっているのです。

 電車に乗って帰るのにひと苦労でした。そして爆睡…ZZZ。

 もしも、祭壇の前で倒れていたら、さぞかし信仰篤いバクタ(信奉者)に見えたことでしょう。
 しかし、ちょっと待って。私はドゥルガーをバクティ(信仰)?…してないでしょう。ただ、抗い難いエネルギーに巻き込まれてしまっただけ。

 抗い難いエネルギー…これと似たような言葉を聞いたことがありませんか。そう、ラマナがアルナーチャラへ喚されたこと。私なんかと比べてゴメンなさい。
 根本的に、ラマナってバクタ?
 アルナーチャラについて名前くらいしか知らなくて、それでも喚ばれてしまった少年。
 彼がアルナーチャラ山を愛したというよりも、お山の方が彼を愛し、離さなかったという気がします。自他の区別が曖昧な存在にとって、どちらの愛でも同じ意味だけれど。

 私に起ってしまう不思議の意味。それは、智慧の道を行く者ギャーニは、人格神へのバクティの心が無くても、神様の方から喚ばれてしまうことがあるということ。無神論といわれる禅僧も、神仏を見るのです。
 ギャーナの道の果ても、バクティの道の果ても、結果は同じ。宗教も修行法も数限りないように見えて、その果ての真理=神がひとつ、同じであると云われているように。

 私は、無神論者だったけれども、真理を友情よりも恋よりも仕事よりも愛して、愛し抜いたことに間違いありません。真理が神様のもう一つの名前であることが、今なら分かります。その意味でなら、私もバクタ!
 形を持つ神、アルナーチャラやドゥルガー等々は、そのような愛を何よりも尊び、応えて下さるものなのだと云われています。あるいは、魂のレベルが近づくと、魂の波長が共鳴して喚ぶのかもしれません。
 
 余韻の貧血と忘我で、今週のお仕事はボロボロのミス続き。何を、誰を責めましょう。
 
 私とは何モノであるのか。フツーの女友達を作るのも、フツーの恋も、人並みの仕事に就くのも、不可能なのかもしれません。
 私の幸いって?

 誰かが…アルナーチャラが、諸神が私を呼ぶ。その声から、逃げてもしょうがない。
 どうやら、私はそういうモノらしいのだから。
スポンサーサイト



テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

FC2カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR