FC2ブログ
   
11
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
25
26
27
28
29
30
   

こころが無いということ⑤

 もうひとつだけ、問いたいことがあるとしたら…豊かな感情表現、人と人とが喜びや悲しみを分かち合う素晴らしさを、全部無くしてしまってよいのでしょうか。本当に?
登戸そばの紅葉2

 感情のマイナス面ばかり強調してしまいましたが、それは三昧へ至る修行という、非常識の世界のこと。感情=悪ではないので、念のため。
 善悪のモラルは人間社会、俗世間に属するもの。モラルが状況によって変わるというのは、倫理学の基本です。私の求めて止まないのは、永遠普遍の真理の方。そこに至る道・修行法の方は人それぞれなので、さまざまな聖者達の教えが矛盾していても、間違いとはいえません。

 ところで私はよく「人の気持ちが分からない」「無神経なことを言って平気で人を傷つける」等などと言われちゃいます。あるいは「自閉症スペクトラム(アスペルガー)ぽい」とも。

 誰かに意地悪したことも、悪口を言ったこともないのに何で??
 口下手な人間も、人付き合いが苦手なヒトも、世間にはいっぱいいっぱい居るじゃない?どこが違うっていうの。

 私には、この誤解にある種の真実が含まれているような気がします。すなわち、私に「心が無い」「ほとんど無いように見える」という、直観的な認識とその事実への畏怖。嘘から出た真ならぬ、誤解から出た正解だったりして。
 
 普通の人間には、心が無い=心が冷たいように見えるのでは?

「こころが無いということ①~④」で、「心が破壊された人は、感情はあるけれど、感情に振り回されない」と述べました。我ながら、すごく不十分で曖昧な説明でがっかり。それもこれも、感情の鞘、あるいは「こころの場」の実在を科学的に証明できないためです。元々、在るか無いか分からないものが、無くなったことを証明しようとするのは無茶苦茶です。
 しかしここに、全く別の視点があるような気がします。社会学、あるいは社会心理学の分野では「社会的(世俗的?)に一人前と見なされる人格」がきちんと調査され、定義付けられているのです。もしかしたら、人格は「心の場」に近いのではないでしょうか。

 人格とは何か? 答えは、難しい専門用語を知らなくても、大人の常識的行動パターンをイメージすれば、ほぼ正解!それは、他人との挨拶の仕方、距離感の取り方、会話の進め方、共感の示し方等々が、きちんと適切にできること。言葉や習慣の異なる遠い異国でも、挨拶や態度で相手の人格を測る、という点は全く同じです。
 そこには、「他人は自分とは別」「世界は実際に存在する」という大前提があります。この種の人類が社会的に共有している認識、常識は、非常に堅固なしがらみとなって、ヒトの心と行動を縛っているのです。これを無視したら人格を認めてもらえず、社会的に疎外されてしまうから…。
 個人的・霊的な「感情の鞘」の存在は証明不能だけど、この「常識」は社会科学の分野で、存在すると認められています。まさに「実在する心の場」と云えるかもしれません。

 私は、自閉症スペクトラムの人に似ているでしょうか。彼らの、不思議に透明でクールな空気感、違和感に。

 ウサギ君は毎日、何度も何度も私の顔を覗き込みます。まるで、よく訓練された犬のよう。見事なアイコンタクトで空気を読んでいます。
 ヒトである自閉症スペクトラムの人は他人の顔を見ません。アイコンタクトをしようとしません。視覚障害者にモノが見えないように、彼らにはアイコンタクトで他人の感情を見る能力がないから。

 普通のヒトは、手が届く距離に居る相手を無視することができません。満員電車の中ですれ違うだけの相手にさえ、視線や体の向き、手の位置などで、敵意がないことを示します。知人なら、挨拶して好意をアピール。だから、それをしない=できない自閉症スペクトラムの方は、社会科学の定義する「人格」が無いように見えてしまいます。
 もうひとつ、心理学上の大前提があります。それは、「相手も同じようなことを感じたり考えたりしている筈」という「常識」です。ヒトは、他人の共感や反発等の反応を見て、自分自身の感情を確認しています。鏡のように、互いの心を映し合う。それは、この前提なしは有り得ません。半分は思いこみ=マーヤーだとしても。

 反応しない相手と向き合うのは、石と向き合っているようなもの。それが彼ら、自閉症スペクトラムの方たちへの違和感の正体です。
 このような障害への偏見の根強さを想像すると、悲しくなります。彼らには、知性も感情も人並みにちゃんとあるのに。

 結論として、ヒトは心の場の存在を、本能的・経験的に理解しているということ。そして、それが無い人間に気付いてしまうものであると。これって今までで一番、現実的で説得力がある説明ではありませんか。

 うまく会話を進められないわたし。共感を示せないわたし。共感って? そもそも、普通の女子高生や女子大学生と私の間に、共通の社会認識なんて在ったっけ? 

 ラマナ・マハルシは、17歳で死の体験をしてからは、勉強もせずに瞑想三昧。それを兄に叱られて家出し、聖なるお山であるアルナーチャラに向ったといわれています。聖地について初めの数年間は、全く口を利かなかったのでモウナ(無言の行)をしていると思われていたそうです。
 ラマナ自身には、そういうつもりがなかったらしく、訪問者に修行法について問われたときに、「適度な睡眠、適度な食事、適度な会話」を勧めています。お釈迦様の中道の教えのようなものでしょう。「瞑想ばかりで会話をしないと、会話の仕方を忘れてしまうから」と。
 本人は忘れちゃっていたんでしょう?

 思春期に瞑想ばかりして、おしゃべりを全くしなかった私は、会話の仕方を忘れてしまっていました。(大学も一浪。ま、当然かあ)。多分、脳内の様々な余分なものをOFFする過程で、消し去ってしまった? テレビや読書が会話の替わりにならないことは、よく知られています。

 十代の私の瞳に映る世界は、すべて幻のように現実感を失っていました。世界が、薄っぺらな映像になってしまったかのように。私は世界の遥か端から、そこに映るイメージを眺めているだけ。

 誰かが私に話しかける…すべてが私というエゴの一部のような感覚。話しているのと、話しかけられているののどっちが私なんだっけ。
 ダメダメ、自分と他人を区別して皆と同じ、フツーの態度を取らなくちゃ!

 世界の現実感…どうすれば取り戻すことができるんだろう。

 会話!? そうそう、話を続けなくちゃね。でも、意見が食い違ったら、その先はどう続けたらいいのだろう。

 そもそも嘘、ごまかし、プライド…自分に無いものはよく分からない。

 予想外の突っ込みには、どう返事するのが正解なのか、ちっとも分からない。

 他人の痛みを自分の内なる痛みとして感じていても、伝える方法はあるのかしら。

 他人と自分のどこが違うのか分からない。私って、何なのだろう。

 それは、私の長年のテーマになりました。

 人類共通の常識である、「他人は自分とは別」「世界は実際に存在する」、「相手も同じようなことを感じたり考えたりしている」という大前提から落っこちたわたし…フツーより人格の劣ったガキに見えるでしょうか。

登戸そばの多摩川の2

*おまけ
アレレ?いじめ克服はどうなったんだっけ?

続きを読む

スポンサーサイト



テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

FC2カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR