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私は誰…35―不条理と戦いますか?

 いじめが社会問題となっていても、私がそれについて触れないのは訳があります。
 「瞑想で自分を変えて成功を手に入れよう」みたいな本はたくさんありますが、私は瞑想で「社会的成功」したことなどない訳で…どっちかっていうと失敗? 変人に磨きをかけて、どんどんどん底生活中です。

 あの痛み、世界が私の敵となった日のことを、忘れ去ることが出来ない気がして。

アルナーチャラの小道

 中学校で転校した初日は、二学期始めの実力テスト。私はうっかり、数学で学年トップになってしまいました。
 このうっかりというのは、先生がうっかり出題ミスをして、それをつい指摘してしまったため。慣れない教室で緊張していた私は、バツ印をマルに直してもらった瞬間、ホッとしてニッコリ。
 最悪のデビュー!さぞ厭味な転校生に見えたことでしょう。以後、私がその教室で笑うこともおしゃべりすることも二度とありませんでした。

 13の私は考えました。

 この私を可愛いと感じる義務も愛する義務も、この世には存在しない。私の触れたモノが汚いといって棄てられても、誰も悪くない、誰も。

 胸が痛い。何故、胸が痛いのだろう。その原因は何処にあるのだろう。

 あった、見つけた。
 こころ、心があるから苦しいのだ。


 私はそれを棄てました。

 その瞬間、私の内側は安らかになりました。

 それは多分、瞑想だったのでしょう。

 悲しいけれど、この世に平等も公平も存在しません。どんな境遇でどんな才能を持って生まれてくるか、皆みんな違っているのだから。でもその違い、個性は、過去世の勉強や行いの反映なので、ホントのホントは世界は全き公平にあるのだと云われています。自分が為したことはすべて自分に返ってくる、それがカルマの法則です。
 いじめられた子供は、たいていこう思い勝ち。「理由は分からないけれど、ワタシが悪いに違いない」と。それは現実的には間違いなのだけど、神様に与えられた学びのチャンスという意味で真実なのです。

 そのような不条理は、学校だけでなく職場にも普通に存在します。俗世間にも修行の場にも! 社会正義のために戦うべき? カルマの法則に従って受け入れて流れに任せるべき? 修行者にとって問題なのは、そのどちらの立場を優先すべきかということです。

 ヒトが無智ゆえに他人に苦痛を与え、悪いカルマを積むのを、ほっといてもいいの? 今は良くても、後々苦しむと誰よりも知っている私が。ここで苦しみを受けることが、本当に正しい修行、カルマ解消なのかしら。

 ひどい言葉を浴びせられたり、ひどい扱いを受ける度、私が考えるのはそんなことばかりです。

 以前紹介したマザー・テレサの言葉のように、不条理なんて気にしないことにしましょうか? カルマ・ヨガやバクティ・ヨガのように奉仕の道を歩くなら、それでよいでしょう。しかし、智慧の道を選んだ人間は、そのテーマが何処からやってくるのか、何故やってきたのか、考えずにはいられません。

 私が苦しんで終わりなら、それでOK。戦いなんて大嫌いだもの。でも、他に苦しむ人や悪化する事態がそこにはあるとしたら? こんな無知による過ちや不幸を終わらせたい! せめて誤解だけは説きたい!!

 私の努力は、いつも空回り。

 こんな私が、ひと様にモノを教えたりなんて、有り得ない気がしてしまいます。
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テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

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