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私は誰…26―心を病と三昧を分かつもの

 統合失調症、うつ病、神経症…心の病は、常に修行者のそばにあります。でも何故か、ヴェーダンタ、インド哲学では、心の病を分析しません。捨て去るべきものをあれこれ調べるなんてナンセンス? ちゃんとしたグルなら、瞑想の進歩によって現れる「正しい幻覚」「超能力」について教えてくれるはずだし…確かに、神智学の本等には、様々な現象を論理的に詳細に書いてあります。

 多分、ワクチンや抗生物質が伝統医学からみて画期的だったように、心理学はすごくユニークなのです。学問としては未だ未熟だとしても。伝統の中に言葉が無ければ、心の病を説明が出来なくて当然です。

 その一方、心理学では霊的現象が専門外。科学理論の構築には、客観的な条件の中で観察された十分な数のデータが必要です。インド哲学の宇宙観がどれほど論理的でも、客観的に検証できなければ科学ではありません。たとえ理系の博士等を魅了するほど素晴らしくても、よくできた「仮説」止まり。

 統合失調症と修行者の幻覚の区別は?それがいちばん知りたいのに!!

 大学時代、シャーマンの研究をしている先生の講義を受けたことがありした。研究テーマは、「心の病を持つ者をシャーマンとして受け入れる社会システム」。
「それで、お告げそのものを信じていらっしゃいますか?」
 先生は無言。禁句のようでした。

 それにしても、心を棄てる?…心に集中する?…心に達する? 瞑想に関する表現は禅問答のよう! 日本語に「心」という言葉が一種類しかないからでしょうか。インドではアハンカーラ=自我、チッタ=記憶、ブッディ=識別、マナス=情動と4種類もあるのに。英語ではHEARTを「感じる心」、MINDを「考える心」と区別するそうです。

 うつや神経症、統合失調症をきっかけに、ヨーガや瞑想の教室の門をたたく人々。
 瞑想やヨーガの修行の過程でシッディ(超能力)に目覚め、道を踏み外してしまう人々…カルトや新興宗教の教祖にありがちな狂気は?
 聖地や精神世界の周辺には、「私はサマディー(三昧)体験をした。ラマナ・マハルシと同じだ」等々と称する勘違い者が集まるもの。麻薬の力で? パワースポットの気配に圧倒されて? それとも…。 

 正しいグルが居れば良いって…それでこの話は終わり?

 必要なのは、夢を見ることではなく、夢の中で目覚めること。
 感情や衝動に巻き込まれず、現実のマーヤーにも超常現象のマーヤーにも巻き込まれないで、その先の真我に至る道を見出す、巨大な平安。それこそが幻覚と三昧を分かつものです。

アァどうか、病む人々を助ける言葉を、力を私に下さい。
それでわたしは、誰で何処にいるのだろう。

内藤神社のご神木

―――問題は、母のうつ。人は肉体だけでなく心も老いるのだという現実の重さ。成人病は、今では生活習慣病と名前を変えました。心も同じです。心の癖、歪みが積り積って病となってしまうのです。

 真面目、無邪気、無欲、献身…美点ばかりの母でした。能天気上等! 修行者でないんだから、真の自分と向き合わなくてOKと思っていたけれど。「人生の目的は神を知ること」とラーマクリシュナさんが断言していたように、「修行しなくてよい人間」なんて実は居ないのでしょう。

 母にどんな言葉をかけたらよいものか。70年間、考えて生きて来なかった人に、今さら「ちっとは考えろ!」なんて??どんな哲学書よりも難題です。
 取り敢えず、カモミールのお茶を贈りましょう。
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テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

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Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

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