FC2ブログ
   
09
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
   

私は誰…20―何処へ

私は何処へ行こうかしら

命は地球より重いって?
地球の重さも
命の意味も知らないくせに
それとも知っているの?
命がこの肉体ではないこと


 大学時代、サークル仲間との会話を、今も不思議に覚えています。
 西洋哲学が歯がゆくてしょうがない。思想家、宗教家ごとの世界観、見つけた真理…違う!違う! 私が知りたいのは厳然とした絶対の真理。「そういう見方もあります」を幾つ集めても、しょうがない!!
 だけど、小さな田舎の大学の哲学科には、インド哲学や仏教思想の講座はなし。不確定性理論や現象学が「東洋哲学に近い」と云われていても、その距離をまだ知らない。そんな頃の、他愛ないおしゃべりです。

 生命はエネルギーの開放形でしょ。呼吸して飲んで食べて排泄し続ける。生物学的には、そのシステムが一個の生命体といえるらしいよ。
 これから食べるモノも、排泄物も私でない。なのに、この身体は私だって感じてる。その理由は何だろうね。筋肉も骨も、代謝作用によってどんどん入れ替わってしまう。変わらないモノは何もない。それでも私たちは、10年前の「私」も今の「私」も同じ「私」だと感じている。その理由は? 

 鍵は記憶の継続かなあ。でも、記憶も物質でしょ。映像、音、匂い、感触…少なくとも映像と音はメディアに保存・再生できる。外部に独立して存在できるものは、「私」じゃない。別の肉体にその情報をアップしたら私になるの? 違うよね。


記憶は、「私」ではない
言葉はどうだ?
言葉に意味を与えたのはヒト
ヒトの心が無ければ言葉はただのオト。音に意味などない
時も――
時が流れてゆく、と私達は決めた
時間そのものに絶対も普遍も無い
時間と言葉は、法律と同じ、ヒトとヒトの間の約束事
世界の全ては私達自身の心が作り出した幻

―――それって怖くないですか。

いいえ、「私」はちゃんとある。説明できないけれど、虚無ではないと感じるの。


皆、決めごとの現実の中で、別の真実、別の幸福を求めていました。
私以外のみんな。
私は…私だけが、見つけた真実、結論から始めて現実を生きてきました。
いつだってそう。

多分、こんな風に云えばよかったのかもしれません。
私には、すべてが幻に、現実感のないモノに見えてしまっていると。
――13の頃から。
でも言えなかった。

何度も何度も言葉を交わしたのに…遠い。
ヒトは皆、それぞれ各々に、自分の幻だけを見ている。
そのことに気付きません。

今、ここに居ることに意味があるとしたら
私は何処へ行こうかしら

スポンサーサイト



テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

FC2カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR