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私は誰か知りたくて12―私って怖い?

 心の奥に隠されているのは、真我だよ。愛と幸福と智慧と。
 汚い本音なんかじゃないよ。

 え、あなたが怖いのはわたしなの?

 大学時代の友人Aは幼い頃「自分が死ぬかもしれないという恐怖」を突然感じたそうです。そして、人が死ぬとはどういうことか知るために、医学、科学や霊現象の本を読みふけりました。
 ラマナ・マハルシは17歳のとき「死の体験」をしました。恐怖の正体を探ろうと、即、死んでみたのです。
 ナイーブだけど理屈ばかり、つまりフツーの学生だった友人Aと、大聖者の違いは明らかでしょう。
 読書力よりも実行力。恐怖や疑問から逃げずに、自分自身ととことん向き合う勇気。そして体験が、数十冊の読書よりも多くの智慧を授けてくれたのです。

 初めてのインド・アルナーチャラ巡礼の2年後、10年以上前のこと。友人Bから、突然、冷たく絶交を言い渡されました。
「あなたって、××××××(以下略)」

 うーん、大きな誤解があるようだけど。それだって、無意識に人を傷つけることはあり得るし、知らなくても潔白じゃない。そもそもの原因は?
「いつも、人をバカにして、気取ってニタニタ笑いながらモノを言ってるくせに」
「……」

 深い真理について語るとき、神について語るとき…。言葉を口にすると、そのイメージが心の中いっぱいに広がります。
 イメージ!? イメージは、脳内コンピュータ上に展開するマトリクス。電磁的にはイメージしただけで3Dモデルが出来ています。そして、霊的存在は電磁的な性質を持つモノ。つまり、強く思い描いただけで、そこに神様の気配が出現してしまうのです。見えなくても!

 ああ、思い出さずにいられない。愛そのもの、力そのもの、幸いそのものであるあの、圧倒的な気配を。空気がすべてキラキラとして透明になって、目の前の友人も世界もみんなひとつに溶け合って。
 目の前の話し相手への信頼が深ければ深いほど、「瞑想状態」に入りやすくなる私。感情が鎮まるにつれ、表情は冷たく、口調はぶっきらぼうになります。しまいには、どちらがどちらに話しかけているという区別の感覚も消え去って。
 ダメダメ、私が見ているのはわたしじゃない、区別しなくちゃ。そう思ってもクリアな意識の中で、相手も世界も、この肉体とひと繋がりだと実際に感じてしまう自分。
 統合失調症の傾向のある人が感じる「投影」とは、全くの別もの。私はまさに、自分自身を愛するように、世界中すべてへの愛を感じているのです。抑えがたい喜び!

 それが、友人Bが「汚い本音の現れ」だと勘違いした「冷たい空白」の正体。その人が畏れたモノ!!(前項:2月1日の記事参照)あー、神様には自他が無いんだったっけ。
 私は謝ることも理解してもらうことも断念しました。ここはアルナーチャラでなく、私はラマナではなく…今も独りきり。

 私は誰か、それがいつだって一番の問題です。わたしは―

 殺す者、奪う者ですら内なるの幸福の喜びを知っている。ただ、求める方法が間違っているだけ。それが智慧が無いということ、無知の闇。神、真理を求める修行者までも。
 スワミ・ヴィヴェーカナンダの言葉を思い出します。
―神(真我)である「わたし」は傷つくことも奪われることも無い。最初から「わたし」が幸福でなかったことなどあるものか。勇気を持て―と。

 どうか怖がらないで、私を。何より、自分自身の心を。
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テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

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