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ラマナ・マハルシとおしゃべり?―高麗茶碗その2

 高麗茶碗を包んでいた古新聞は、1937年(昭和12年)8月13日のものでした。
ナチス・ドイツのヒトラーが主導して開催された、ベルリン・オリンピックの翌年です。

 そして、私は気付かされます…ラマナ・マハルシと訪問者との会話集、「TALKS with Sri Ramana Maharshi」(全訳は未刊)が1935年5月15日から39年4月1日の記録であることを。

TALKS.jpg

 20世紀インドの、仏陀あるいは聖フランチェスコとも比較され語られる大聖者。この時代には、インド各地からはもちろんヨーロッパからも、大勢の信奉者達が、その下へ引きも切らずに集まっていました。
 沈黙の聖者とも云われていますが、その言葉を記録した文献は少なくありません。残された各種文献の中でも「TALKS…」は中でもお勧め。その理由は「TALKS…」が、弟子の記録した英文をラマナ・マハルシ自らチェックして了承したという「お墨付き」の書だからです。
 彼は、解脱して家を出るまではアメリカン・スクールに通っていた普通の高校生でした。当時、英語は既にインド知識人の共通言語だったのでしょう。

 ラマナ・マハルシ、信奉者たちはバガヴァンと呼びます。
 バガヴァンは一般的に「神様」を表す言葉。常にサマディー(三昧)の平安の境地に留まり続けた聖者へ、尊敬と親しみを込めてそう呼んだそうです。

 第二次世界大戦、そしてインド独立運動…戦火がすぐそこまでやってきていた時代でも、インドの片田舎、アルナーチャラの山の麓、裸の聖者の周りは、真理を求める人々の静かで熱い思いで包まれていたに違いありません。
 英語、タミル語、マニヤラム語、ベンガル語…一体、どんな風に会話していたのでしょう。

 1937年、昭和12年の日本!?…嗚呼それは、私の母の生まれた年ではありませんか。

 8月13日、田舎の大きな茅葺き屋根の家では、初孫を囲んで月遅れのお盆を祝っていたことでしょう。第一子の誕生を喜んだであろう私の祖母…祖母が亡くなったのはホンの少し前、昨年のこと。
 当時のことを知る人は殆ど向こうへ逝ってしまいました。インドでも日本でも。茶色くなった新聞の切れ端だけが時の流れを物語っています。

 今年のお盆には、お茶碗を持って田舎に帰ることにしましょう。
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テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

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Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

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