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2008年ディーパム祭の思い出

 私は11月生まれ。今となって私の誕生日がアルナーチャラ、そしてラマナ・マハルシと無縁のはずが無いと気が付きました。

 アルナーチャラ最大のお祭りであるディーパム祭は、インド暦、太陰暦で行われます。西暦の11月か12月の満月の日に。
 アルナーチャレシュワラ大寺院から、神像を載せた華やかな山車が街に繰り出されます。
 クライマックスは、日没とともにアルナーチャラ山頂に、大きな炎が灯される瞬間。山頂の灯りは、日没から夜明けまで、10日間ほど繰り返し灯され続けます。寄付されたギーの油の続く限り。2008年には、11日間でした。

 私は、私が生まれた日の月齢を調べてみました。それは、11月の満月から数えて、正確に11日後でした。
 ラマナ・マハルシは、南インドのティルチリの町で、シヴァ神の祭が終わった直後に生まれたと伝えられています。私は、その符号に絶句。

 2008年ディーパムの体験記は、このブログ開始前で、ネット未公開だったのを思い出し、以下にアップしました。読みかえしてみると、未熟で恥ずかしい部分がいっぱいだけど。

 今の気分?

 ヒトは思春期に、アイドルにも野球選手にもなれそうにないと気付き、大人になっていきます。
 私は、作家にも画家にも、ミュージシャンにも、人妻にさえ成れなかった。只のろくでなしで終わるのかと思ったら、答えが斜め上、それも1万メートルくらい上から来た感じ。


ディーパム祭のかがり火が灯されました

    2008年ディーパムへの旅
  この旅の話は、どこから始めるのが正しいのだろう。三度目の、十年ぶりのアルナーチャラへの旅は。
 2006年、およそ二年前の十二月のある日、私は考えるともなしに考えていた。職場とワンルームのボロアパートとの行き帰りの道すがら。電車の中で、あるいは駅へと向かう小道…山茶花が咲き湧水の流れる暗い道の上で、クリスマスのイルミネーションが眩しい店先を通りすぎるその時に。
 「祈らないで…私に祈らないで…私は○○じゃなくて…何もできなくて」
 人は無意識にいろんな事を考える。音、光、匂い、あるいは心に突き刺さったままの記憶の断片等々の刺激によって。原因は必ず在る。それではこの質問は何処から来て、私は何に返事しているのだろう。いつもの小道にも店先にも何処にも特別な気配はない。それでも何かが起ころうとしている。
 ああ、煙だ。誰かが焚き火をしているその匂いが風に乗ってきただけ。しかし、見渡しても煙の筋一つ見えない。人、人、人…むせ返るほどの喧騒と祈りのイメージ。暗闇と静けさと孤独だけしか見当たらないここで、何故心に浮かぶのだろう。
 アパートのドアに手を掛けた瞬間、私はドアの向こうにさらに濃厚な気配を感じてたじろいだ。インド! 祭! これってどこでもドア? あわてて真っ暗な部屋に飛び込み、バガヴァンのお写真とアシラムカレンダーを確かめると、ディーパム祭の日だった。気配はアルナーチャラのお山の写真から流れていた。
 アルナーチャラは、呼ばれなければ行けない聖地といわれている。その最大のお祭がディーパムだ。太陰暦であるインド暦に基づいているので、祭りの日は毎年異なるものの、12月の半ば頃。アルナーチャラの頂上でかがり火が燃やされ、アルナーチャラシュワラ大寺院からは、シヴァとパールバティの像が輿に乗せられパレードされるという。近年はとみに大勢の参拝者で賑わうらしい。
 インド人は信心深く日本人は無宗教と言われていても、お祈りの内容が現世利益ばかりなのは変わりないようだ。健康、商売繁盛、良縁に子宝……修行の成就よりもずっとずっと熱心だ。あれ? 何故私にそんなことが分かるのだろう。
 私の願い。私が私の取り分を捨てたら? 美味しい食事や割りのいい仕事や名声や恋を望む前に諦めたままでいたら、アフリカの隅で飢えた子供が救われるのか? そうでないとしても、何を願ったら世界のためになるというのだろう。
 シヴァを・・神を思い出せば、どのような方であるのか思えば、神が今ここに在るのを感じる。心の奥の途方もない幸福と、世間に誤解され非難され続ける痛みの中で、引き裂かれながら生きている。お金の残りを必死に数えながらの生活に、海外旅行の余裕はない。
 普通のふりのしないで生きて行くには、本でも出す他ないけれど、無名な私に道は遠い。私を呼ばないでアルナーチャラ!

ディーパム祭直前のアルナーチャラ

 2008年12月10日の朝、私はティルバンナマライの、シュリ・ラマナアシラムの前に立っていた。何一つ私の力ではなしに。
 インドに行く、ディーパムを見ると心に決めたのは、10月20日。強く勧めて下さる方がいなかったら、貯金をはたいても出掛けようという気にはならなかったに違いない。丁度満期の貯金は、無くなった祖母の残したわずかばかりの遺産だった。
 費用の問題と仕事の都合はクリアできても、旅立つには障害の山を一つずつ乗り越える必要があった。まず、12月9日発の格安FIXチケットをギリギリのタイミングで予約。次はホテルだ。
 ディーパムの日の宿は何ヵ月も前から予約で一杯と決まっている。クリスマス休暇も近いのだ。アシラムのゲストハウスは、18日以降に空きアリという返事だった。予想通り。残りはティルバンナマライの町中でホテルを見つける他ない。友人知人の返事を待つしかないもどかしさの中で、時間だけが刻々と過ぎていく。
 「ホテル見つかりました。奇跡です」という連絡を受けたのは、旅の一ヵ月前だった。それまでに何人の方に声をかけ、どれほど迷惑をかけたことか! 野宿を覚悟した。友人達に感謝の言葉を探すのに苦労した。
 旅行準備で目の回る忙しさの中、階段を少し登っただけで息切れする私。貧血がどんどんひどくなる。白血病? 癌? インドで死ぬのも悪くないが、まだその時期ではない。病院通いで不愉快な疑いを一つずつ晴らすことにした。ただの筋腫と分かり治療薬を手にしたのは、旅の二週間前だった。
 パスポートもヴィザも出来上がり、後は出発を待つだけのはずの11月27日、ムンバイのテロは起きた。日本人の被害者も出た想像以上の事件だった。貧しい人々の心の空洞がテロで洗脳されてしまう世界の現状。美しい街並や人々が堕落した攻撃対象にされてしまう、ありふれた悲劇の構図。犠牲の大きさに震撼とした。
 インドは広い。ティルバンナマライのような田舎町は狙われる心配はない。それが分かっていても胸が痛い。幸い、私のチケットはムンバイ経由ではなく、テロリストは翌々日には掃討された。もう何の心配もあるまい。
 11月30日、バンコク空港のデモ隊占拠事件を耳にしたときは、さすがの私も絶句した。私のチケットはバンコク経由チェンナイ行のタイ国際航空だったのだ。バンコク経由便全て運休中。
 この旅、始まりから変だったが、どうなっているのやら。これだけ周りに迷惑を掛けまくって決めた旅が、中止なんてあり得るのかしら。神様は私の来て欲しいのか、来て欲しくないのか? 何かが邪魔しているのか、悪戯(リーラ)なのか。
 空港を占拠したのは首相府を一ヵ月占拠したグループという。タイの首相のどこが悪いのか、マスコミの言い分だけでは判断しかねる。しかしこれから一ヵ月というと年末頃になってしまう。旅を妨げる最後にして最大の危機だった。
 旅行会社でも航空会社でも、前代未聞の事件で対応不明。ホームページで運行情報をチェックすることしかできない。出発予定の12月9日の便は未定。つまり、私の方からキャンセルや変更をしたら有料という意味らしい。
 整然としたデモ隊。自分の生まれた国を少しでも良くしたいという理想に燃える人々の熱気が、テレビの映像からも伝わってくる。私は、何を祈ったら良いのだろう。さっさと済ましちゃえば、なんてどうして自分勝手なことが言えるだろう。
 バンコク空港が平常に復帰したのは12月5日。旅の直前だった。首相が去り、あのデモ隊の人々の願いが平和的に叶えられたのだ。空港のインフラに手を出さなかった彼らの良識に祝福を! そして旅立てることに心からの感謝を! 私は、今度こそ何の心配もなく成田空港からアルナーチャラへと旅立った。

 成田からバンコク。そしてチェンナイ行きへ乗り換えると、周りはもうインド人ばかり。日本人は私ひとりきりになってしまった。
 不安はない。いつだって私はひとり。行くべきところへ行くだけのこと。
 深夜のチェンナイ空港の一歩向こうは深い闇だった。迎えのタクシーは、真新しいハイウェイを矢のように走り抜ける。目的地ティルバンナマライの町に着いたのは、自宅アパートを出てからほぼ24時間後。12月10日の夜明け前だった。
 十年前、デコボコ道でドアのないバスに揺られていたことを思えば、何という贅沢! あの頃ハイウェイは未だ無く、町に柳田先生が居たのだけれど。
 ホテルの窓の向こうの闇から孔雀の声。ラマナアシラムからそう遠くないようだ。濃厚な緑の香り。雨上がりの町は水たまりだらけで、風がひんやりと冷たい。私は毛布のないベッドの上で、開け放ったままの窓から流れてくる冷気に震えながら眠りについた。
 翌朝遅く目覚めると、窓の外はアルナーチャラ山の緑ではないか。私は喜び勇んでホテルを飛び出す。人の波は、ギリプラダクシナの巡礼コースのそばであるためらしい。私は、祭の準備で浮き立つ町を微かな記憶を頼りに歩いた。
 寂しい町外れだったラマナアシラムの門前は、すっかり様変わりしていた。町全体が巨大化し、ネットカフェ、携帯の音、土産物屋、スーパーマーケット、レストラン、そして華やかに着飾った人々で溢れかえっている。
 巨大な看板の群れに埋もれそうな門のアーチをくぐり、ついにアシラムの中へ。サマディーホールの透き通った空気と白い壁に包まれると、懐かしさに体が震えた。
 懐かしさとは何だろう。私はこれまで幾つの街に住み、幾人に別れを告げてきたのか。とっさに思い出せない数だ。二度と訪れることのない場所、二度と会えない人ばかり。幼い頃から、別れが悲しかったことはない。私に属するモノなんて初めからないし、縁があればいつか必ず逢える…それだけのこと。なのに、ホンの少し滞在しただけの場所がこんなに懐かしいなんて。
 14年前、初めてこのホールの白い壁にもたれて座った時は涙が出た。涙は、悲しみそのものではなく、悲しみの終わり。何かが私に告げた。私は私のままでよいと。その瞬間、様々な誤解や不愉快な記憶が蘇り、流れ去っていったこと。時は流れ、私と私の風景はどこか変わっただろうか。
 今、懐かしさを喚起するものは内側にも外側にも見つからない。それなのに、私の中の何かが引き寄せられ包まれ満たされ、喜びがそっと胸に迫る。これは誰の思いなのだろう。
 アシラムのダイニングルームとゲストルームのすぐ向こうで、山は濃い緑に包まれていた。帰ってきたよ。愛しいアルナーチャラ。
私は、メディテイションルームの空きをどうにかみつけ、ただ座った。

 12月11日。篝火の山、シヴァのハートといわれるアルナーチャラ最大のお祭ディーパムの本番である。濃い朝靄はとうに晴れ、雲が多いけれど上々のお天気になった。
 教えてもらったところによると、火が灯されるのは日没直後。アルナーチャラ山頂と、町の中央にあるアルナチャレシュワラ大寺院と、ラマナアシラムの三箇所という。
 この日の午後、サマディーホールの玄関前の人込みは、身動きできない状態になっていた。設えた祭壇の周りはロープで四角く囲まれ、その内側には男女に分かれたバジャン(讃歌)のグループ。私はすっかり出遅れてしまったようだ。何とか座らせてもらった場所から首を伸ばし眺めて待つ。
 バジャンのグループが先導して、アルナーチャラを讃える歌を歌い始めたのは、夕方五時半頃。アルナーチャラ、アルナーチャラと繰り返し繰り返し響くメロディーに身も心も染められて、夕闇がしだいしだいにせまる。
 六時を少し過ぎた頃、山頂の炎を合図にアシラムの火が灯される。その瞬間、町全体が大きな歓声に包まれた。高まった歌声はさらに数分の間繰り返され、バジャン終了。人々の波が一斉に表通りに流れだした。
 この晩にアルナーチャラ山を巡るギリプラダクシナを行うと、特に御利益があるという。赤々と輝く炎にはギーが絶えず注がれ、夜明け頃まで灯し続けられる。巡礼コースの寺院のシュラインにも火が灯され、一晩中賑わうはずだ。
 歌いながら、語りながら、家族と連れ立って約20キロの巡礼に出掛ける人々の群れを、私はそのまま見送った。
 群衆のほとんどが去った14日。日が陰り始める夕刻時に、私はひとりでギリプラダクシナに出発した。女の一人歩きは避けるよう云われているけれど。
 大寺院からアルナーチャラに対して右まわりに、つまりラマナアシラム方面に向かって歩きだす。やがて夕闇がしだいに辺りを包み、山頂に火が灯る。
 お店をみつけ一休みしてチャイ。
 満月間近のまあるい月が山陰からやっと顔を出す。
 歩いて休んで、街の灯の向こうにクリスマスツリーのような光を纏うゴープラム(門塔)が見えてくる。ゴールの大寺院だ。
 最後の休憩で夕食のターリ。
 炎に見守られ4時間半、以前傷めた膝も古いサンダルも無事なまま、私の十年ぶりのギリプラダクシナが終了した。
 その翌日は、お祭のもう一つのクライマックス。普段は大寺院の奥に祭られているシヴァとパールヴァティの黄金像が、山車に乗って自らギリプラダクシナを行うのだ。しかしパレードは予定の正午より早めに出発したのか、私は見逃してしまった。

 私は何故一人なのだろう。東京でも、今この瞬間も。
 最初にここに来たときも、二回目も、同行予定の友人は逢えなかったりキャンセルしたり。今回も、ホテルが見つからなければ友人の友人が同行予定だった。それが聖地への旅ともなれば、三度もの偶然はあり得ない。
 愛している、愛していると私に降り注ぐ、震えるほど微細で美しい光、それとも命。絶対的な真理、そして平安。本当の私で居る幸せ。心の中の何かが命ずる。真実の本当の私でいられなければ、生きていたくなんかないと。
・・・・その引き換えに捨て去ったもの。仕事の成功や結婚といった人並みの幸せは、望んでも得られない夢になった。全く、あり得ないほど見事な不運の連続……否、偶然はない。心の深奥で自ら選びとった道だ。
 しかし世間から見ると、自分が誰からも必要とされていない、居場所のない人間に過ぎないという事実。マザーテレサが哀れむ、道端で野垂れ死にしかけている瀕死の病人のように。それが辛くないといったら嘘になる。
 それでは、哀れみは妬みより優しいかしら。尊敬なしの哀れみは………。聖地で今の山アルナーチャラはそっと見ていた。
 私は知っている。自分一人の力では、この旅は不可能だったと。感謝の祈りを!そして知っている。アルナーチャラ、シヴァといつも一緒の旅だと。その恩寵の深さを。宣言しよう。私はこのような存在であると。
「わたしのこと好き?」と心の中で尋ねると、私をディーパムへ招いてくれたお山から投げKISS。
 祭の最終日の夕刻、私は現地滞在の幾人かの日本人とアルナーチャラの讃歌を思い切り歌った。灯をみつめる人々の笑顔。

 ディーパム祭の炎は11日間、アルナーチャラの夜空を飾る。それは偶然にも、私のティルヴァンナマライ滞在期間と一致していた。少し気弱になった現地のKさんに別れを告げ、私は十年ぶりのインドを後にした。

    アルナーチャラにハートの雲



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アルナーチャラ―神への道3旅の終わり

 帰って来たね。やっと思い出したね。
 ずっとずっと、待っていたよ。

 
 甘くささやく声。
 世界はうたかたの幻、リーラ、神様の遊び。

 遊びたがりの子供のような性格で、高等な哲学をさくさく語る。そんな私のギャップは、数限りない誤解と混乱の元となってきたけれど。
 私の自己認識は、「私って何かの精神病?」から始まったんだっけ。少しずつレベルアップして、ここまで来ちゃった。
 さて、どうしたものやら。


    2018.9.30アルナーチャラ登山道

 アルナーチャラのお山を周回する巡礼、ギリプラダクシナ。
 満月の夜は、特に御利益があるという評判が広まったせいで、日の高いうちからすごい人出になりです。
 噂の元は、映画「ムトゥ踊るマハラジャ」で、日本でも有名になったラジニカーント。彼が、アルナーチャラの熱心な信奉者ということで、一躍人気の聖地になったそうです。
 アルナーチャラは今でも、北インドではあまり知られていない聖地です。インドって広い!

 7年前に手術した私の膝では、ギリプラダクシナの14キロを歩き抜くのは厳しそう。私は、代わりにアルナーチャラのお山へ登ることにしました。ここでは、登山も巡礼。中腹のスカンダ―アシラムまでなら、何とか行けそうです。

 9月の未だ強い陽射しを避けて、日が傾くのを待って出発。
 計画では、スカンダ―アシラムまで40分で上り、街を見下ろす岩の上でひと休み。そして、ギリプラダクシナの巡礼のメイン、アルーチャレシュワラの大寺院まで20分、まっすぐ下る。後は、お参りしてアシラムへ戻る全2時間のコース。そんなに長くはないから、楽勝だろうと思いました。
 しかし、実際には、急な坂を休み休み歩いて、大寺院まで1時間半。暗くなる前にお山から下りられたのだけは、ラッキーでした。
 大寺院の周囲は、巡礼の善男善女であふれるばかり。まあ、予想通りですが。
 私は、門の外から本殿へ向かって合掌。中には入らずに、そのままアシラムへ戻る道を歩き出しました。足が痛くて疲れていても、道いっぱいの人の群れに流され、すっかりお祭り気分でした。

 日もすっかり落ちて、すてきなお月さまと一緒。日本ではちょうど、仲秋の名月でした。
 ちなみに大寺院へは、数日後にあらためてお参りしました。


2018.9.30山から大寺院

 雨が降る日が増えました。季節は10月。タミルではもうじき雨期なのです。

 私が傘を失くしたのは、日本からデリーまでのエア・インディアの機内でした。座席の傍に置いていたら、いつの間にか壊れてしまったのです。

 雨は、朝食前の早朝。次の日は午後のコーヒータイムの間。あるいは、夜遅くに降りました。
 私は、濡れずに済んで、すごくラッキー!?

 アルナーチャラ、アルナーチャラ、まるで私の都合に合わせて、雨を降らせて下さっているみたいね。
 もしかして、そういう遊び? だとしたら、私はもう気付いちゃったよ。
 そんなことを言うと、明日はずぶぬれになったりして。

 
 その翌日、ランチタイムの少し前から雨は本降りになりました。食堂へ向かう僅かな間に、ずぶぬれになるほど。
 それでも、私は楽しくて楽しくて、笑いが止まりません。

 もしかして、機内で傘が壊れちゃうミステリーも含めて、あなたのいたずら? 
 ちょっぴり困らせてから、力を見せつけるなんて、子供っぽ過ぎるでしょ。


 でも、その志そのものが、最高の恩寵、愛。
 降る雨に濡れて、愛を感じるのって、ステキ過ぎるよね。

 昔々、ラマナが、アルナーチャラに到着したときにも、雨が降ったと記録に残されています。
 ラマナが剃髪してアルナーチャラシュワレ寺院に入る、沐浴すべきその瞬間に降ったと。
 偶然、降った雨を都合よく解釈しちゃってる?と思っていたけれど…神様には、それぐらいできて当然。
 ああ、私もアルナーチャラの沐浴が終わったみたいです。

 私は、近所のスーパーでインド製の傘を買いました。スマホやパスポートが濡れたら困るので。


  2018.10.7ラマナアシラムの猿2

 サマディーホールでは、毎日、朝の6時から様々な祈りと歌が捧げられています。
 夕方6時から7時には、一般信者が南インド様式の、男女掛け合いの歌が歌われます。
 ラマナ作詞、またはラマナ監修の歌。タミル語やテルグ語の詞は難しいけれど、私も一緒に歌わせて頂きました。誘ってくださったSさんに感謝。

 帰る日の朝、一晩中降っていた雨で、街もお山もしっかり濡れていました。
 私は、誘われて素足で山道に分け入りました。ちょっとだけ。
 水を吸った岩々を踏みしめると、脈打つエネルギーが感じられる気がしました。
 
 私は心の中で抱きしめました。愛しいアルナーチャラを。
 これからは、離れてもずっと一緒です。

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アルナーチャラ―神への道2

 私は霊、スピリットとしてアルナーチャラに住んでいました。

 そんな言葉が突然やってくるのって、チャネリング、霊の言葉を伝えているだけでは? と思う方がいるかもしれません。しかし、チャネリングという言葉には、チャネルする霊と自分は別という意味が含まれています。少なくとも今回、答えは実際に私自身の内に在りました。 

 私の哲学のベースは、数学者の考える数学的世界に近い。近かったはずでした。だから、科学的に論証できない体験を語ることには、めちゃめちゃ抵抗がありました。本人が信じ難いと思っている話を、他人にするなんて!
 それでも、正しい。全身の細胞が泡立って突き抜けるように、魂のすべてが、正しい!正しい!と叫んでいる。
 そんな「真理」もまた真理ではありませんか。誰が何と言おうと。

 今こそ、最後まで目をそらさずにお付き合いください。

2018.9.29ラマナアシラムの孔雀2

 ラマナと岩山の夢を見て、「呼ばれている」気がして、私がまっすぐインドを目指したのが1994年でした。
 当時、ポール・ブラントンの「秘められたインド」は書店に無く、山尾三省氏の「南インドの瞑想」が絶版中。私が、ラマナの本を読んだことが無かったのも、仕方がないことでした。
 柳田先生の紹介状をなんとか手にして、マドラス(現チェンナイ)からリキシャと長距離バスを乗り継いで、どうにか辿り着いたラマナアシラムとアルナーチャラ山。ラマナが埋葬されたサマディーホール。
 その壁にもたれて座ったとたん、涙が溢れました。私のすべてを、正しいと言ってもらった気がして。
 神様の祝福って、誰でも自分が特別って思わせてくれるものなのかと思ったっけ。

 アシラムで午後のミルクコーヒーを飲みながら、出会ったコリアンの方とこんなおしゃべり。
「Previous life? What?」私の英語はその程度。
その人は辞書の余白に、漢字で「前世」と書きました。
「あなたが、ラマナ・マハルシの本を読んでないのに夢を見て、真っ直ぐ来たのは、前世で弟子だったからでは?」
「まさか、前世なんて信じられない。Unblievable!」
「仏教徒なのに?」

 私って頑固?
 
 実は、超常現象を信じない修行者は、少なくありません。半数くらいは、神の奇跡を求める人の群れに、冷ややかな視線を送っています。残りの半数も、半信半疑でしょう。日本人も欧米人も、インド人も同じ。
 中でも、ギャーナ・ヨガ、禅などの実践者は、徹底的なリアリストでニヒリスト、虚無主義です。現世の冨や快楽等々がすべて幻だと、自分自身で見極めなくちゃならないのだから。

 ところが、帰国して、「秘められたインド」を開き、1ページ目から本を投げ出しそうになりました。
 強烈なデジャヴ! 何これ? 遠い記憶の一ページのよう。自分がそこに居たみたいな…。
 そしてこの文体。自分の体験の観察の仕方、取材の仕方、言葉の選び方、紡ぎ方。その本の中にあったのは、私が築いたオリジナルルールによる、私の文章に極似していました。英語と日本語の違いを超えて。
 これが、私が書いた本でないとしたら、性格、好み、能力が全く同じ他人が居るってこと??
 もしかして、前世――⁈

 非科学的といわれるスピリチュアルの世界にも、一応、「常識」らしいものがあります。国境や民族や、宗派宗教が違っていても、同じ超常現象について語られているのなら、それは普遍的な現象らしいと推測できるからです。実際に観測できなくても、呼び名や言葉が違っていても。
 霊感の強い者同士は、同じモノを見たり聴いたりできているようです。リーディング、ヒーリング、チャネリング、リインカーネーション、UFO、神? どこまで常識とみなしてよいのか、一概にはいえなくても。
 その中で、臨死体験から推測される、死後の世界や生まれ変わりや前世のカルマは、よく知られている方だと思います。

 カルマは「常識」として、自分の行いは自分に返るという公平なシステムです。悪いことをしたら不幸な境遇に、善行を積めばよい境遇に。たくさん勉強したら、来世でその道の天才として転生すると云われています。
 西洋哲学も、インド哲学も、勉強する必要を感じたことがない困った私。近所の宗教団体や大学の研究室に、片っ端から議論を吹っかけて負け知らずだったのは、大学一年の頃。文章も得意な方で、編集ライター。
 私の前世が、哲学に強い修行者でジャーナリストのポール・ブラントンというのは、ありそうに思えました。しかし、彼が亡くなったのが私の生まれた後と分かり、PB前世説は早々に却下。

 Who am I ? 私は誰?というよりナニモノ?
 こんなにも懐かしいアルナーチャラとの関係は??

 前世が見える霊能者が居るらしいという噂を頼りに、観てもらったこともありました。
 けれど分かったのは、大昔、日本に住んでいたことがあるかも…大昔、インドでヨガの修行をしていたかも…、という程度。
 欲しいのは、「こういう原因、因縁があって、現在の私があります」というストーリーです。それが才能や祝福を表す良いカルマでも、不幸を物語る悪いカルマでも、知ってそれで納得できるような。
 そもそも、ラマナとの不思議な縁について分からなければ、私にとって無意味です。

 別の方にも観てもらいました。
――ラマナの弟子でも、世話係でもなかった? 直近にインド人であったこともない? 哲学や文学を熱心に勉強したという過去世も見当たらない?

 カルマの法則は、スピリチュアルの世界では常識じゃなかったの? これは、どういうことなのでしょう。
 私の思考は、そこでストップ。
 ただ、アルナーチャラが、そしてラマナが懐かしくて愛しくてしょうがない。とてもとても近く感じる。
 その思いの深さだけは真実でした。 

2018.10.5大寺院2

 そして、10年ぶり、4度目のアルナーチャラ。私は、サマディーホールに座り、祈りの歌を聴いていました。

 10年、20年考えても分からない時には、ロジックではなく前提条件の方を変えてみること。
 ヒントは、すでに様々な方法で啓示されていました。シヴァ神の夢。やって来る言葉。

 ラマナは、よくあなたは既に悟っていると語っていました。私だけではなく。
 古の聖典は、誰にでも本当は神としての本性、アートマンがあると説きます。私だけでなく。
 神であることを知った人が神であると言ったのは、サイババさん。つまり、この手の教えは一般論。
―――もしかしてワタシ、ニヒリズムが邪魔をして思考停止している? 何度も何度も感じた特別の恩寵が、一般論でも勝手な願望でもなく、事実だとしたら――。

 世界は、物質というマーヤーの幻ではなく、エネルギーで出来ています。エネルギー、そして愛。
 今の私は、それらを自然に理解できる気がします。エネルギーとは真我、魂のこと。この世界に、肉体を持つ魂だけでなく、肉体を持たない魂もたくさん存在していること。パワースポットって、見る人が見れば神霊だらけだと。アルナーチャラも。
―――スピリット?

 私が特別ってマジ⁈ 気が付いた途端、言葉と記憶が、自然にあふれてきました。スピリットとして、何百年もアルナーチャラ山に宿り続けて、修行者や信者を応援していた私自身の記憶。
 スピリットの世界には、区別や境目がほとんどありません。応援している修行者(ラマナもPBも)と知識や経験を共有し、共に学ぶのです。だから、私の知識は最新だったのです。
 ああ、ラマナと共に過ごした日々の、何と楽しかったことでしょう!

 アルナーチャラは、シヴァ神のハートと呼ばれています。実際には、シヴァ神おひとりでなく、高位のスピリットが複数で共存して宿る聖地でした。

 Who am I?  正しい答え。
 私はインドのこの地を愛し宿り、数百年、あるいは数千年、ほとんど肉体を持つことの無かった霊、スピリット。
 カルマの法則による鎖を、最初から持たない存在。

 それは、現実とファンタジー、哲学と夢の間のあいまいな論理がきっちりと繋がって、真理が現れた瞬間でした。


      2018.10.5大寺院1

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アルナーチャラ―神への道1

 前世のカルマは、修行者には気の重い宿題かもしれないが、神は、とっておきのおもちゃで遊ぶ子供のように世界を楽しむ。

 アルナーチャラへ行きたかった。見て、触れて、あの空気に包まれたかった。それだけのつもりだったのに。
 旅の真の目的が、辿り着いた後に分かることってあるんですね。カウンセラーの前で話し始めてから、自分の話の内容を理解する患者みたいに。


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 12年に一度だけ咲く、クリンジの花畑を見に行く。そんな友人の誘いに乗ってみることにしました。
「山全体が、薄紫に染まるんですって」

 旅は、ケララ州のコーチンから始まりました。ガイド付き、食事付き、タクシーまで手配済みのツアーです。私にしてはあり得ない贅沢! でも、今回は何故かこれでいいような気がしてました。
 目的地は、ムンナールです。

 ケララは、大きな水害から一か月経っていない時期でした。バックウォーターの建物には洪水の跡、山沿いの道には崖崩れがあちこちに残されたまま。
 災害大国の日本人には他人事でなくて、胸が痛い風景です。観光は、地元のためになると割り切るしかない。そう思って、心の中で手を合わせました。
 コーチンからタクシーで山道を揺られること3~4時間。ようやくムンナールのホテルにチェックインです。

 
2018.9.19ムンナール茶畑

 翌朝は、タクシーをジープに乗り換えて出発。霧に煙る茶畑の中の山道を、窓の無いジープは、飛ぶように駈けて行きました。

 ムンナールは、インドではダージリンと並ぶお茶の産地だそうです。高原の涼しさとアラビア海とインド洋から運ばれる霧が、おいしいお茶を育てているのでしょう。

 ジープで1時間、徒歩で1時間。つまりラストは、山道を歩くコースでした。思ったよりも、本格的登山。熱帯だからと、サンダルとシャツだけという軽装が悔やまれしたが、無事に辿り着く事が出来ました。


2018.9.19クリンジの花

2018.9.19クリンジの花

 未だ日本では、無名に近いスポットです。標高は、2500mくらいでしょう。日本なら森林限界で草原や荒地となる高度ですが、熱帯なので、まだまだ森の中です。木立の間の細い山道を抜けて、薄紫の花々の群れがやっと見えた時には、感激で涙ぐむ方もいました。
 日本では、高原のお花畑というと、草の花のイメージだと思います。クリンジは、背の高い木の花。どうして、あんな目の眩むような急峻な崖に木が育つのか、本当に不思議です。12年に一度だけ目覚め、また眠りにつく。生命の力なのでしょうか。


2018.9.19ムンナールのゾウ (448x333)

 ホテルへの帰途、野生のゾウの親子が現れました。ゾウは夜、高原のダムに水を飲みに現れると聞いていたので、ビックリ。意外な遭遇に、感激もひとしおです。
 雨季は終わりなのかと思っていたけれど、早朝と午後にはしっかりと雨が降りました。登山の時に雨に当たらなかったのは、むしろラッキーだったようです。

 前半の旅を予定通りに終えた私は、友人と分かれてひとり、コーチンからチェンナイへ行く飛行機へ乗りました。
 本当の旅のメインは、これから始まるのです。


    2018.9.22ラマナアシラム

 空港からのプリペイドタクシーは、街を抜け、湖と川を渡り、田園を駈けて駆けて、懐かしい風景の中へ。
 10年ぶりのアルナーチャラ。10年ぶりのラマナアシラムです。
 私は、まっすぐオフィスへ行き、2週間の滞在予定を確認して、キーを受け取りました。

 今回のゲストハウスは、道の向こう側にできた新しい棟でした。車とバイクが増えすぎて、渡るのも一苦労。(命の危険を感じるので、信号機欲しい…)。お部屋は、お湯もちゃんと出てキレイ。その辺はまあ、予想通りでした。
 ビックリしたのは、サマディーホールの大理石のラマナ像が、金色になっていたこと。これって、ラマナご自身の趣味に合っているのかしら??
 私の感想はともかく、インドでは、1994年に1杯1ルピーだった街角のコーヒーが、2018年現在30ルピーくらいという物価高。金箔ラマナが、インドの経済発展と、満月の夜の巡礼ギリプラダクシナ大人気を物語っていることに、間違いはなさそうです。

 翌日の夕拝のときに、アシラム在住のSさんを見かけ、声を掛けました。
「10年ぶりですね。10年前の12月のディーパム祭で、隣で泣いていた○○です」。
少しの間の後、思い出してくださったSさん。
「今回も、泣いていたんですか」

 その後、夕食開始まで30分。私は自分でも信じられない話を、するすると始めました。思い出すように。

「私って、人間としての前世がほとんど無いみたいです。アルナーチャラに集まるのは人間だけではありません。パワースポットって、霊、スピリットも集まる場所だから。私は、霊として住んでいたんです」。

 わたし、何時からそんなこと、考えていたんだっけ?

続きます。

旅路の果て…仏教徒であるということ

 ご近所のお寺の花祭りは、人気も無くて寂しいものでした。インドでは、聖なる祭壇はいつも花とミルクでむせ返っていたのに。インド暦(太陰暦)で、今年のお釈迦様の誕生日は5月21日。

 旅の写真は、棄てがたい思い出のカケラ。

 例えば、サルナート。悟りを開いたお釈迦様が、最初に教えを説いた伝説の地、初転法輪の場所です。日本では、鹿野苑という名の方が有名かもしれません。バラナシ(ベナレス)からは、車で1時間ほどでした。
 昔は本当に、鹿ばかりの荒れ野だったことでしょう。手塚治虫の「ブッダ」では、鹿に説法していましたね。お坊さんは、別の説明をしてくださいました。

2015.10.11サルナート1

 お釈迦様は、苦行時代の弟子とは、苦行を辞めたときに別れていました。悟りを開いた後はひとり、聖地バラナシを目指しました。既に名高い聖地だったバラナシで、新しい教えを広めようと考えたのです。その旅の途中、追いかけてきた弟子と再会したのが、サルナートだったと。
 仏陀となったお釈迦様は、この地この場所で、初めて弟子に仏法を説いたと伝えられています。

 それが仏教の始まり。その最初の一滴。およそ、二千五百年ほども昔でしょうか。
 それは、どんな感じだったのでしょう。そして、何が起こったんでしたっけ。仏教と仏教文化の広がり。篤い信仰は、寺院をより大きくより壮麗にしてゆきます。今、日本に、世界にどれほどの数の寺院があるのでしょう。どれほどの人々の人生、国々の歴史に影響を与えたのでしょう。

 しかし、仏教発祥の国、インドだけは違っていました。かつて軒を連ねたであろう美しい寺院群は、そのほとんどが失われてしまいました。数千年の争乱の果て、砂塵の中に。
 サルナートでは、発掘されて初めて、この場所が初転法輪の地であると確認されました。博物館には、そうそうたる仏像群、そしてインドを象徴するアショカ王の石柱。すべて発掘品です。
 メインの発掘地点はチベット風の寺院となっており、ダライ・ラマさんのお写真が飾られていました。付近に点在している仏教寺院も、20世紀に「外国人」が建てた新しいものでした。
 日本寺もちゃんとありました。日本庭園の樹下には、どこか懐かしい顔立ちの仏さま。
       2015.10.11サルナートの日本寺

 「インド人は、お釈迦様を尊敬しています」という言葉をよく聞かされました。それが空しく響くのは何故なのでしょう。
 私は、以前エローラとアジャンタの遺跡を見たときのことを思い出していました。仏教とヒンドゥーの古い石窟寺院が混在。けれど、ヒンドゥーの方にはきちんと祭壇があり、仏教の方は、廃墟だったことを。
 仏教が、現代のインド世界=ヒンドゥー教の重要なルーツのひとつである、というのは歴史的事実です。けれど、ヒンドゥー遺跡は信仰の対象、仏教遺跡は歴史遺産というインド人の扱いが、少しショックでした。

 ここは、仏教が生まれた国、そして滅んだ国。私はサルナートで、歴史の残酷を改めて実感させられたのです。

 何でこんなに悲しいのかしら。昔は、宗教宗派はどうでもいいなんて言っていたくせに。
 私は誰? インド哲学をインド人に学んでいても、私はヒンドゥー教徒ではなく仏教徒なんだよね、きっと。

 名高い叙事詩ラーマーヤナやマハーヴァーラタの全訳の中には、様々な神話や伝説が盛り込まれています。叙事詩には、おとぎ話を通して子ども達へ歴史とモラルを語り聞かせる、という役割があるのです。
 インド哲学では、宗教にまつわるほとんどすべての霊現象や修行法が、説明できます。他の宗教も含めたすべてです。これってすごいことです。各種仏典、聖典、聖書から町の巫女さんや霊能者の言動まで、インド哲学の用語で解釈され整理され得るといっても過言ではありません。
 それでも、ヒンドゥー教が世界宗教にならなかったのは、この叙事詩、おとぎ話を読むと分かります。その中で繰り返し説かれている悪行は、ブラーミン(司祭階級)をバカにすること。家業を捨てること。女性の不貞、すなわち別の階級や別の民族との結婚。つまり、差別は永遠ってこと? 
 どこの国にも、貧富の差と職業差別はあります。でもおとぎ話は、貧しくても身分が低くても、優しさや知恵や勇気で出世するサクセス・ストーリーがいっぱい。インドのおとぎ話は逆なんだ。それを否定しちゃうんだ。
 このようなモラルは、生まれた境遇こそがその人のカルマ、取り組むべき人生の課題であるという考えに基づいています。生まれたその地で咲く花となるのは、確かにひとつの理想でしょう。けれど、それを職業選択や結婚とストレートに結びつけるのは間違いだと、今ではインド人もちゃんと分かっています。分かっていても、数千年の伝統は根強い。女に生まれた役割・カルマは、男をサポートすることだと言ってました(`∧´#)

 もっと平等を、そして慈悲を! 
 敢えてサンスクリットと別の用語で教えを説いた、お釈迦様の立場が見えてきます。
 私は取り合えず、仏教徒でいい。日本仏教は勉強不足で、お経のひとつもあげられないけれど。

 ラマナ・マハルシは、生きとし生けるものはすべて平等という立場で、牛、犬、カラス等などの解脱を認めました。お釈迦様に似ていますね。これって、インドでは異例中の異例。何故なら動物は、アウトカーストよりもさらにずっと下の存在だから。
 たしかに、動物愛護の国というイメージに反して、インド人の動物の扱いはかなり雑な感じ。ペットを家族扱いするのは、非常識だそうです。

 私はヒンドゥー教徒ではなくて仏教徒だけれど、少なくともラマナ・マハルシの意志を継ぐもの。それだけは間違いありません。

 
2015.10.20旧寺院の庭の睡蓮

 コルカタ。ラーマクリシュナ僧団本部の近くの、小さな古い僧院に咲いていた睡蓮です。ホーリー・マザーの人柄を表すような庭に、ガンジスの川面から優しい風が吹いていました。

 クリシュナが大好きだったという、こってり甘いバターミルク。
 お坊さんから頂いた、ココナッツ。街のココナッツ屋さんに頼んでカットしてもらったっけ。
 天上ではファンが回りっ放しで、いつも蚊帳がゆらゆら。
 すべて、砂塵の香りです。

2015.10.10バラナシ夕拝2

 消そうとした写真の中から、不思議なものを見つけました。バラナシのガートで、舟の上からアラティ(夕拝)を眺めていたときの一枚です。
 巨大な人影。お祭りや礼拝の儀式のときには、高位の霊が集まるものなのだと聞いたことがあります。私は霊感に乏しいので、実際には見たことも、撮ったことも無かったけれど。
 バラナシはシヴァ神の街だから、もしかすると!!?



テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

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Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

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