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奇跡の復活! 恋という名のお酒

 湧水の流れる、せせらぎのほとりに建つ小さな酒屋さん。そこだけで売っていたお酒の話を、以前紹介しました。今はもう買えないのだと。
2009年国分寺の秋
ここから→「恋という名のお酒」

 そのお酒を醸造していたのは、福島県浪江町の請戸漁港の酒造店でした。
 日本一海に近い酒蔵。津波にさらわれて、原発事故で汚されたその場所。
 忘れられる訳がありません。酒屋さんの方は変わらずそこにあるのに。
 喪失の痛み。震災で失われてしまったものはたくさんたくさんあるのだけれど、それだけは、まぎれもなく私のものでした。

 震災の被災地応援のニュースの中で、その酒蔵が山形県長井市の方で再開されたことを知りました。再建のきっかけは、酵母の存在だったと。
 お酒の味を決める酵母は、蔵と共に永い歳月をかけて育っていき、その蔵独自のものになります。それ無しでは、同じお酒を造ることはできません。だから、酒蔵の全壊は、そのお酒の消滅でもあったのです。
 その肝心かなめの酵母が、たまたま研究室で保管されていたなんて、奇跡みたいですね。
 それから、移り住んだ長井の地で、浪江町の蔵人たちがどのように頑張ったのか、私には推測するしかありません。被災者をたくさん受け入れて支援している優しい人々の存在も。
 永劫の時の中で、すべてはやがては失われてしまうけれど、再生するものもあるということ。例えば、江戸の昔から守り伝えられてきた蔵の味を、絶やしたくないと願う人々が、変わらずにそこに居るならば。
 
 そして、久しぶりに訪れた酒屋さんの棚には復活した「純米酒 恋ヶ窪」。
 たかがお酒。されど…そこにどれほどの人々の営み、想いがあるのでしょう。

       2015.6.16edifier6.19恋ヶ窪
 父の日に、「恋ヶ窪」を贈りました。なにしろ、私の住む恋ヶ窪の水、父の住む秋田のお米、そして福島の蔵人の作品です。退職前の数年を、電力会社の所長として福島で過ごした父へ、思いが伝わることを信じて。

 私は、買ったばかりのスピーカーで乾杯。
 明るくて豊かな福島、清らかな水が流れるあの山河が、どうかどうか再生しますように。
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桃の味―2012夏風景

2010年7月8日の国見

 久しぶりに大学時代の友人に会いに行きました。福島と宮城の県境、国見峠を越え、さらに奥羽の山なみを越えて。

 写真は、2010年の夏の国見峠です。見た瞬間、懐かしくてシャッターを押しました。小さい頃、夏が来る度に遊びに行った田舎に似ている気がして。日本の原風景ってこんな感じ?
 山沿いの段々畑は、桃の木でいっぱいでした。春にはきっと、桃源郷にも見えることでしょう。

――今年のお米や桃の出来はどうでしょう。ちゃんと、買って貰っているのでしょうか。

 友人は、小学生の娘と一緒にAEDを担いで現れました。その子の治療法は、今のところ心臓移植以外にありません。彼女は万一に備えて、いつもAEDをリュックに入れているのだそうです。
 宗教の関係者や霊能者等々には、移植なんてとんでもない、という意見も多いようです。肉体の鞘が破壊されても、神経や情緒の鞘が破壊される訳ではない…その手の「霊的常識」はとっても微妙ですし、脳死が人の死なのかどうか元々微妙…。わたしは?

 心臓移植という言葉そのものが、誰かの命の犠牲を示してしまうという事実。
 自分の子供をありとあらゆる危険から遠ざけたい。どんな手を使ってでも。誰かの犠牲のうえにあるとしても。それは母親なら当然の想いです。子供が思い切り走り回る日を焦がれる彼女もまた、そのような母の一人であることに間違いありません。名実ともに未婚・独身のわたしは?

 お盆には田舎で墓参り。日本では大切な家族の行事だけれど、インドではそういう先祖礼拝は、原始的な宗教扱いなのだとか。そういえば、インドでは普通の人は、お墓を作りません。作るのは、解脱したと認められた特別の場合だけ。
「自分の家族だけ大切っていうのはエゴでしょう」というのが、お坊さんの常識のようでした。

 確か盂蘭盆会の元々の意味は、「子供への愛という煩悩で餓鬼道に落ちた親」を供養するっていうのだったような…?この伝説、お釈迦様オリジナルでは無さそう。ブッダは宗教儀礼を廃して哲学的な教えを強調したたため、本家のインドでは廃れた筈ですから。どうやら、仏教がインドから中国へ伝わる過程で、親の煩悩を戒める教えが、親孝行を勧める話になっていったというのが真相らしいです。

 親子の情の深さに国境はありません。儒教文化の根づいた東アジアでは、親子の情は何よりも尊いもの。けれど、ヒンドゥや仏教では、親子の愛はマーヤー、煩悩、今生だけの幻への愛とされているのです。ヘッセの「シッダールダ」では、子供への愛が最後の、そして最大の障害として、主人公を苦しめます。

 遅々として進まない復興。原発と放射線の問題で、むき出しになる住民エゴ。
「被災地にも子供はたくさん住んでいて、瓦礫の処理施設の周辺の放射線を毎日チェックしているのに」
「以前は、福島の田舎から届いた野菜をご近所に分けていたけれど、もう出来なくて」。

 私には、病気の治療法に善悪があるとは思えません。ヒトの為すことは皆不完全で、発展途上。不完全なのは、いつだって私達自身の方で、治療はその現れに過ぎないのだから。

 心臓移植以外の効果的な治療法が見つかりますように。誰かの死を待たなくてよいように。
 すべての子供たちと親たちに、普遍の愛と安らぎが届きますように。

 国見峠で買った桃は、瑞々しく口の中で蕩けました。ブラックコーヒーに不思議なくらい良く合っていました。

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震災追悼日の梅

記念日の紅梅1

 震災を追悼する日、小金井公園で梅を観ていました。白梅も紅梅もどんどん咲いて、東北の春のよう。北国では、梅は桜より先に咲き始め、桜より後に散るのだもの。

 いつもより厳しい冬を越えたら、いつもより輝く春が、御褒美のようにやってくる。起こるべきことは起こり、真の願いはきっときっと叶う。それが世界の法。

 ウサギ君は年老いて、お腹をこわすとちっとも治りません。手のひらから気を送っても、痛みが消えません。お薬、ちゃんと飲んでね。…この次の春までは無理だとしても。


記念日の紅梅2
記念日の白梅

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恋という名のお酒

 南インドのアルナーチャラの山に、ディーパム祭の火が燃えている頃。あれからもう3年です。
 私は、松葉杖で御買物が出来るようになりました。

「すいません。お見舞いのお返しを探しているんですが」
「日本酒はそこです」
「純米酒恋ヶ窪は無いのですか」――恋ヶ窪の水と秋田の酒米を使った地酒です。湧水がさらさら流れる小さな公園の傍の、小さな酒屋さんだけのオリジナル。

2009年国分寺の秋

「もうありません。醸造元が流されてしまったのです。福島の海のそばにあった、小さいけれど良い酒を造る蔵でした」。

 浪江町の漁港のそばにあったというその蔵は、日本一海に近い酒蔵だったと。
 
 無くした「何か」への想いが、不意打ちのように胸を突きます。
 忘れないで、忘れないでと囁くように。

 例えば昔、毎日通った通学路の一角が、気付けばゴーストタウンになっていたこと。東北新幹線の用地になってしまったのです。
 早春の淡い空。よく手入れされた古い家の庭で、それでも早咲きの濃紅の桜が満開だった、あの日の痛みを。

 そういえば、石巻で大学時代を過ごしたあの子は、今何処に居るんだっけ。毎日、自宅から電車で2時間。仙台の街を抜け、松島の海と山を巡って走るあの電車も未だ…。

 左足はまだ痛い。アルナーチャラのお山を右回りするギリプラダクシナ。この足では、もう素足で歩けないな。(寺院や聖地では裸足で歩くのがインド式)以前も、手抜きして柳田先生の自転車を借りてチャリプラ!?していたものですが。

 お返しを贈りたかった方は、福島生まれ。私は別の地酒を買って帰ることにしました。

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追伸:閖上へ

 あの日、ヘリからの空撮の映像が世界中の人の目を釘付けにしました。海沿いの平野、大きな川を遡上する津波の残酷な迫力。あの川は名取川、川の南の岸が閖上。
 閖上について語ってしまったので、どうしても云わなければならない気がします。

 何故、大津波警報を聴いてすぐ逃げなかったの? 遠くへ――。
 ウサギだって、危ないと知ったら一目散に逃げるのに。


日hyde6月1515

 科学者や修行者等、真理を求める者の最大の敵は、自分そのもの。自らの思い込み、身に着いた世間の常識が、真理を見失わせてしまうのです。

 太陽や月や星ではなく、大地の方が動いていると、最初に信じた人の勇気。
 微生物も虫も獣も、ヒトも同じ起源から進化したと、最初に信じた人の勇気。
 大地も大洋も、億という歳月をかけて動いていると、最初に信じた人の勇気。
 物質もエネルギーも同じだと、最初に信じた人の勇気。

 そのようにして、智慧の道を歩む修行者は、おのれ自身が神であることを識ったその瞬間に、悟るのです。

 けれど、難しい。
 祈りを捧げるその瞬間にも神を信じない人々。自分を無力な肉体と思う修行者達。
 心が縛られているので、真理を聞いても別世界の理想だと思い込むのです。
 いのちの尽きる寸前まで危険を視ない。自分と自分の生きる世界が変わる筈がないという思い込みは、こんなにも深い。

 わたしは何処に立っているのでしょう。
 世界の外れから世界を、小さくて大切な地球を見て、伸ばした手をつかんでもらえなくて泣いている…そんな誰かも居るのだと、ホンの少し信じてみて下さい。


彼岸花狂い咲き

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プロフィール

Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

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