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2019年、夏の終わりの風景

2019.7.10田沢湖駅そば

 父が転勤族の企業戦士だったせいで私は、小学校、中学校、高校と各一回ずつ転校しました。小中高大、全部別々の県の学校を卒業しています。プラス、生まれた県…。

 「それで、ご出身はどちら?」

 転校は子どもにとって、人生の大事件です。期待と不安でいっぱい。特に、ドキドキするのは、夏休み明けの転校でしょう。

 私は今も、遠い街の空気をまとったまんまで、初めてのクラスの扉を開けた日のことを、ありありと思い出します。
 
 ○○中学校(高校)〇年〇組。

 それは子供の私にとって、大事なアイデンティティーでした。別れを告げた街の風景、風の匂い。それきり、会えなくなってしまった友達のこと。そのすべてに、本当に決別しなければならない瞬間です。
 受けいれるクラスにとって、私は突然やってくる異邦人です。こちらも、どんな子が来たのか、不安と期待でいっぱい。

 夏休みの宿題? 休み明けの実力テスト? 
 それよりも、新しい学校で、新しいお友達、ちゃんと作れるかな。

 世界と自分との違和。

 前の街の方が好きな私では、ダメかなあ。
 そんな、ヒリヒリと刺すような感覚を抱えたまま、黒板の前、先生の横に立っていた幼い日々。
 私はその瞬間の痛みを、忘れることはないでしょう。

 この頃では、夏休み明けの子供のストレスが、大きな問題になっているようです。
 私がびっくりするのは、大人達が自分が子供だったときの気持ち、感覚を、ちっとも覚えていないこと。
 どうして? 犬猫を理解するより、カンタンじゃないの??
 子どもの頃って、もっとたくさんのものを感じたり、考えたり、できていたでしょう。世界とひとつになる感覚も。
 忘れちゃったなら、大人って悲しいね。

 純粋さや素直さの価値を、皆さっぱり理解しないのも、同じ理由なのでしょう。
 私の気持ちはあの頃のまんま、穢れのない私なのに。
 ちょっとだけ、疲れているけれど。

 
2019.8.27マハラジのセーター (364x448)

 それにしても、田舎の車社会の程度は、私の想像を超えていました。電車とバスが不便過ぎて何処へも行けないから、友だちの居そうな場所へ、なかなか辿り着けません。

 それでも、秋田っぽいノリ、少しだけ分かってきた気がします。東京圏、関西圏と違って、テンションも音程も低めのゆる~い感じ。
 叔父が濃いめの秋田弁で語る遠い先祖の物語が、季節の風の中で、リアリティーを増してゆきます。

 お祭りの太鼓の響き。盆踊り。

 母の話に相づちを打ちながら、編み進めたセーター。季節外れ?
 ヒトの話を聞きながらできる作業が、他に見つからなかったから。
 一次元から三次元を創造する、妙に数学的な作業。世界の創造も、そんな感じかもしれません。
 もうすぐ出来上がります。

 誰かの役に立てるなら、そこがきっと、私の居場所になる。

 生まれ故郷であるはずの秋田で、私は何処のクラスの扉を開けたらよいのでしょう。
 今度はお友達がたくさんできるかしらって昔とおんなじことを考えている。

 あなたは誰?と訊かれても、所属も、資格も無くて答えられないけれど。
 それでもこれが、私の世界。

 同じ種類の人間に、探しても探しても巡り合えませんでした。伝説以外は。
 諸天、神仏は「特別な例だから」と云ってくださるけれど。
 物質世界、現象界は心に映る幻。形や意思を持つ霊たちの世界もまた、幻。物質世界よりは、根源に近いけれど。

 ただ、真我のみが実在。私も皆も、唯一のそこへ帰っていく道の途中。
 

2019.8.20笹川流れ
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テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

東山魁夷の世界へ 

2018.6.28御射鹿池1

 大好きな東山魁夷さんの絵の世界と噂に高い、蓼科高原の御射鹿池へ行って来ました。
 江戸時代に作られた大きくない池なのだけど、さすがの水鏡です。バスツアーなので、ゆうるりと水の色の変化を楽しむ余裕は無かったのが、少し残念だけど。


2018.6.28御射鹿池2

2018.6.28御射鹿池4

 空の色も、水の色も、見る人自身の心の色を映すもの。だから、東山魁夷さんのような一見平凡な芸術には、深層意識、真我の深さそのものが透けて見える気がします。

 芸術と宗教は、昔から深い関係がありました。キリストの生涯を描く宗教画から始まった洋画は、正にドラマチックです。中国絵画の影響を受けた日本画は、中国絵画よりも圧倒的に静寂。それは、茶道の侘び寂びと、そのベースにある禅の美意識という気がします。
 つまり、空の世界。抽象画家も、風景画家も、己の心を描がいているのです

 静けさと平安。
 透明さ、純粋さ、深さ。
 映っているのは、わたし。
 見つめているのも、わたし。


2018.6.28御射鹿池3

私の季節が始まります。

    2018.5.9バラ1

 神代植物園のバラは、盛りを過ぎてもなお満開でした。

 今さらですが、私はあり得ないほど口下手です。原稿を担いでいるときにも、営業ができません。それは言葉、会話を完全に忘れるほど、瞑想に没入したから。だからこそ、沈黙の聖者ラマナ・マハルシに共感!
 もっとささやかな体験を他人様へお伝えして、それを天職とされる方は多いようです。ネットに氾濫する噂はピンキリ。私とは無縁と思っていました。これまでは。

―――口下手な人なんていくらでもいるよね…瞑想やヨガで気が上がってノボセてるんじゃない?…霊を見てお告げする霊能者も珍しくない、普通だよetc.―――そう言われちゃうと、もう、どうしていいか分かりません。
 ロジックで論点をぐいぐい突っ込んでくれたら、サクサク答えられるのに。つまりこれは、私のロジックではなく、相手の思い込みの問題。他人の常識に挑む話術ってどんなのでしょう??

 ワカンナイ!

 なんでも常識の範囲でだけ考える。人生は不幸って決めつけて、闇だけを見つめる。誰だって、嘘とごまかしと我儘だらけに違いないっていう「本音」におびえ、瞑想もあきらめて、現状維持。そんな例のなんと多いことか! 
 怖がらなくていいよ。あなたも真我、至福という言葉が空回り。故に私は沈黙――!?
 それでは、これは? スマホにギンギンに明示されました。非論理的な現象が嫌いの私の理性に挑戦するかのように。


   あなたは魂を無くした人、
   心が闇に沈んでいる人に
   寄り添い救う人です。


 これって誰の言葉? 何処からやって来たの?
 内容の方は、心当たりがあるといえばあるけれど―――。
 人を助けるためには、まず、助けを呼んでもらわないといけません。


2018.5.9神代植物園バラ9

2018.5.9バラ5

2018.5.9神代植物園バラ7

 助けが必要なら、助けてって言ってください。私に。
 私はここに居ます。
 

2018.5.9神代植物園バラ8

2018.5.9バラ4

 私にそれ以外の、何ができましょう。

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ジャンル : 心と身体

松林で秋を探す

      2017.8.21新城川コスモス

 新城川は、父のお気に入りのお散歩コースです。河原には咲き始めたコスモス。
 爽やかな空がうれしくて、足を延ばして海沿いの松林まで歩きました。

 カメラが曲っているのではありません。木々の傾きは、風の向きを示しているのです。
 海からの強い季節風に、いつもさらされている林。その厳しさと逞しさ、豊かさが、ふいに私の胸を突きます。
 ひと気のない遊歩道は、緑の匂いばかり濃くて、カマキリ、バッタ、シマヘビ等の天下。そして、木や草の芽が柔らかな顔をのぞかせていて、足の置き所に困ります。なんという柔らかさかしら。
 蝉しぐれが去って、もう秋の虫の季節だというのに、潮の香りと光の色が夏のままでした。
 本当に、今年も暑くて長かったものね。

2017.8.27松林1 (1)

2017.8.27松林2

 日々、痩せて衰えていく父。それでも、慣れた道を歩む足取りは、意外にしっかりとしています。
 
 こんな、何でもない風景が、愛おしくてたまらなくなる。いつか時が過ぎたら、きっと。
 そんな予感がします。

紫陽花―こころをたとへん

2017.6.20郷土の森アジサイ1

 サイクリングロードを南下して、郷土の森博物館へ、初めて行ってみました。
 武蔵野の風情を残す庭園には、古民家や滝も。
 でも、今日の主役は1万株のアジサイです。


2017.6.20郷土の森の滝

2017.6.20郷土の森アジサイ桃色

2017.6.20郷土の森アジサイ2

2017.6.20郷土の森アジサイ4

プロフィール

Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

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