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性愛から普遍の愛へ――肉体が教えてくれるもの

巾着田1 005の2

 悟りを目指す修行者にとって、性欲は大敵です。
 精神的愛と肉体的性愛。それは、深いところで絡み合って修行者を悩まし続けてきました。

 ところで男性は、女性修行者に「私、性欲で悩んでいません」という方が多いことを知っていますか?
 大多数の男性はハタ・ヨーガが下手です。ヒトはそれぞれで、あくまでも一般的傾向ですけど。
 それは、女性の方が体が柔らかいからではなく、女性の方が感覚的で内向的だからです。男性がものごとを論理的に理解し、女性が感覚的に理解する傾向があることは、心理学上の常識。そして、内なる自己と向き合うヨーガには、女性的感覚がメリットとなる場合が多いのです。
 今回は、その感覚を通して分かってくる性のお話。

 内なる神と向き合う。内なる神が、知るべきことをすべて知っている。それは、肉体と向き合う場合にも言えるのだということ。
 あなたの肉体は、数億年の進化の歴史の知恵を宿したあなたの師でもあるのだから。


2019.10.10御嶽山神社狛狼

 「人間とは何か」。人間を、他の動物と区別しているもの、人間らしさとは何か? 
 近年、このテーマに関して、チンパンジーや他の社会性のある動物との比較研究が進んできているようです。中でもEテレの「ダイヤモンド博士の授業」という番組は共感できました。
 動物好きな方なら、動物に感情も、言葉やモラルらしいものもあると知っています。家族愛もあれば、いじめ、失恋、浮気、育児放棄も縄張り争いの死闘も。ヒトと獣の差は、わずかかもしれないと。

 実は、スピリチュアルの世界にはすでに定説があります。魂の進化の法則、と呼んだらよいでしょうか。
 それは、獣は、普遍の愛を理解したときに、ヒトになるということ。

 例えば、見ず知らずの子供が困っていたら、助けるのはヒトの常識、獣では非常識です。もちろん、無慈悲なヒトもいますし、優しい獣もいます。それでも、ヒトが弱い子供を見捨てたら、それが他人の子でも人でなしと呼ばれます。一方、仲間以外の子を助ける野生動物は、珍しいのでニュースになります。その事実は変わりません。
 何より、ヒトだけが食べ物を平等に分けて、同時に食べる習慣を持っています。獣の母は、強い子優先。
 テレビは、私の推測を科学者が解説してくれたっていう感じでした。 
 
 科学者達は、その種の共感力や平等な分け合いをヒトの特徴と考えているようす。それは、スピリチュアルの世界で普遍の愛と呼ばれているものと同じではありませんか。

――ちょっと待って。食事のマナーはともかく、私達人間の社会は、ちっとも平等じゃない。
 ジェンダー、障害、民族等の各種差別と、貧困、そして戦争etc.

 私達ヒトは、普遍の愛を、未だに社会システムとして実現できていません―‐悲しいね。
 社会には今も、競争と不平等という獣の論理が生きています。弱肉強食も、食物連鎖も、大切な自然の原理。この長い歴史を持つシステムは、なんのかんので効率よくできているので。 
 その不平等をおかしいと感じ、変えたいと願うのも、ヒトなのです。

 普遍の愛がヒトの証しなら、宇宙の愛は? 生きとし生けるものたち、すべてへ注ぐ愛とは?
 
 平等で平和な社会の実現という、大きくてピカピカの理想。ユートピア? シャングリア?
 そのための思想が求められた1960~70年代、フリーセックス礼賛の時代がありました。性の自由こそが、精神の自由と平等と平和のカギであるという考え方が主流だったのです。
 結婚イコール社会の束縛? マルクス主義も、ロックンロールも、文学も、精神世界でも、そういう説が高らかに叫ばれていました。オトコの思想家だけでなく、ウーマンリブ運動の女性解放論者も、同様でした。
 
 そこで神話のように語られるのが、誰とでも愛をかわせる絶世の美女、理想の娼婦像です。
 それこそが、普遍の愛、神の領域に近い大きくて深い愛の象徴なの⁉
 All you need is love(Beatls) 愛こそすべてってそういう意味だっけ?
 それは、思春期の女の子にとって、危険な罠でした。
 
 インドには、タントラ・ヨーガという古い修行法があります。性愛の喜びを通して、悟りに至る修行法だそうです。うまくできれば進歩が速いけれど、堕落しやすくて危い修行なのだとか。
 私はその道の専門家ではありません。けれど、自分の肉体の声にしっかりと向き合っていると、見えてくることがたくさんあります。肉体には、数億年の進化の歴史と知恵が宿っているから。
 
 哺乳類の雌は、「子供を作りたいとき、作れるとき」だけしか発情しません。哺乳類の牡は、その相手が務められるように、長期間発情している、というシステムになっています。その結果として、オスはいつでも欲求不満。メスはある程度、自分の意志で発情自体をコントロールできるように、進化しました。
 サピエンスは例外で、いつだって発情可能でしたね。社会性を持つ動物にとって、対人関係はいつでも大きな問題です。ボノボやサピエンスが、子供が欲しくなくても、発情できるように進化したのは、対人関係を円滑にするためという説が有力です。

 女性修行者にとって、性欲をコントロールする肉体的機能を取り戻すのは、難しくないのかもしれません。むしろ、子育て後の女性には、簡単だったりして。 
 男性の修行者さん、ご苦労様です。

 スピリチュアルの世界では現在、性愛は避けるべきもの、という考えが戻ってきました。非婚、未婚の流れは相変わらずですが。
 そして「愛に満ちた平等な社会は、性愛から。いつでも発情、その次は誰とでも発情というのが、正しい進化なのか」という問題が、残されてしまいました。
 援助コーサイをしたがる女子高生は、理想の娼婦という女神に進化を始めているのか?

 実際の私は、どうだったでしょうか。
 「女神」どころか、電車の中で見知らぬ男性と触れるだけで気持ち悪くなるタイプでした。(今も?)本当に愛する人でも、慣れるまで触って欲しくないのが本音。70年代思想からみると、私って、心が狭い女?
 早く大人になろうとして無理をしたがるのは、男子も女子も変わらないようです。

 心が準備不足のままで、暴走していた私の思春期。平気なふりをしなくちゃ、と思いました。でも、体が無意識に拒絶して強張っている。自分で自分を否定しているような気がしてる。
 背伸びし過ぎて体も心も傷ついて、後悔するのは、男子よりも女子という気がします。
 それは、愛が未熟で、足りないから?

 今の私なら言えます。そんなことはないと!

 自由な性愛の流行は、80年代のエイズの流行で、ほぼ終わりを迎えました。それでも、性の問題、子育て問題、そして老人介護の問題が後回しにされたまま、非婚、未婚の流れは続いています。
 政治家風にいうなら、愛ある社会の実現には、これらを担保する必要があるのだけれど。

 ヒトは「自分の家族」、あるいは「自分の居場所」がなくては生きられません。
 赤ちゃんは、親に独占的に愛されて守られて、大人になって旅立ちます。動物も、同じです。
 子供にとって、家族と家庭がどれほど大切か、どんなに語っても語り尽くせません。
 狭い愛し方こそ、愛を学び育てる道なのです。
 法的な結婚が世界から消え失せたとしても、「家庭的な愛のある居場所」は確保されなければなりません。

 そして何より、霊的修行にはグル、主神が必要であると、昔からいわれているのです。それは「特定の形や名前を持つ誰か」である必要があると。
 つまり、独占的な愛を通して普遍の愛を学ぶことが、赤ちゃんから高僧に至るまでの、一般的な道ということになります。

 世界は広いので、タントラ・ヨーガが合う人もいれば、娼婦が天職という女性もいるのかもしれません。でも、娼婦になれない女(男も?)の愛が、狭いとか小さいはずは無い。絶対に。
 私は、いつも誰かを、何かを、たくさん愛しているし、愛したくてたまらないんだから!

 たったひとりの誰かを愛しぬいて、その中に宇宙の無限の愛のカケラ、現れを見つけられたなら――。
 私達きっと、自分の内側、真我にも、同じ愛がたくさんたくさんあることに気付くでしょう。
 世界が、同じ光と幸福に満ち溢れていると。
 民族や宗教などの些細な違いで、言い争うことの無意味さも、きっと分かるはずです。

 ハタ・ヨーガで自分自身の肉体と対話していると、ジャンクフードやアルコールを欲しているのが、胃袋ではなくて満たされない心だと分かってきます。性欲も同じ。
 ヒトが傷ついたり病気になる原因のほとんどは、肉体ではなく、心の側にあります。ヨーガで自分の肉体と対峙していると、それがしみじみと分かってきます。
 本能は、世間で思われているほどに低いレベルの意識ではありません。自分自身に本当に必要なものが何か、教えてくれる知恵の宝庫なのだと私は信じています。

 進化の歴史、すなわち形のある愛の歴史。
 内なる自己、自分自身を信じて生きればそれでいい。

 誰もがみんな、真の愛に満ちた幸福な世界に至る道の途中のようなもの。


    2019.10.10御嶽山ケーブル駅
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瞑想で地球の時間を感じる

 瞑想って、何時すればいいの?と訊かれて―—
 知恵の道、ギャーナ・ヨガの修行には、いつも内側へ意識を向け続ける努力が大切です。
 
 正解はいつも
 
 それでも、じっくり座って集中する時間は大切です。


2019.7.5燃える夕焼け1

 お勧めは、夜明け前でしょう。
 大地のエネルギーがいちばん高まる時間です。
 植物が、鳥が、虫が、世界が目覚めようとします。
 それは、心のドアをたたく力強いノックのよう。
 私の内なる真我も、深く深く目覚めようとすることでしょう。

 次のお勧めは、日没の前でしょう。
 大地の熱が冷めるとともに、生き物たちの騒々しい気配がすうっと落ち着いきます。
 高ぶっていた気分が治まって、安らぎ始める時間です。
 私の内なる真我も、外側に向かっていた意識を、内側へと向けやすくなることでしょう。


アンモナイト小1

  永遠のように繰り返される時間、季節。
 この大地のエネルギーは、植物がリード役となって流れている気がします。
 朝の光で目覚めて、賑やかに光合成。そのエネルギーを全身に巡らせて眠りにつく夜。
 秋、冬、そしてまた春、夏。
 
 晴れた日は喜びの愛、雨の日は安らぎの愛。
 それを感じ取ることができれば、ステキ。

 科学の世界でも、少しずつ分かってきているようです。
 森が、植物も虫も微生物も含めた、一個の生命体であること。
 それをいうならガイア、地球そのものが、まぎれもなく一個の生命体です。植物も虫も鳥も、微生物もヒトも。
 私の肉体もまた、その一片。
 そして、無限の宇宙の現れです。

 忙しい日には、真の眠りにつく前の15分、心を静める瞑想を。
 心のホコリをはらう、シャワーになりますように。


秋桜の小

精神医療の斜め上の世界を飛翔中

2019.7.6富士五合目霧
 冨士山は霧の中。残念。

 今日も友人のヘルプコール1時間。
 先週、2週間分の睡眠導入剤を飲んだ友人の、話し相手やってます。
 そういうお話、得意だし好き!
※本人の了解により、個人情報を一部公開。

 そのコ、ADHDで、小さい頃からいじめられて、今は慢性のうつ病。いわゆる発達障害の二次障害です。
 
 根本的に私は、発達障害を「障害」だと感じたことがありません。
 例えば、自閉症系の方の集中力とロジックは最高にクール。ADHDの方の自由さ、感の良さは、半端なくカッコいい。話していてワクワクします。

 多分、普通の大人なら、「このヒト変!」と思ったら、いじめないけど無視して避けるのが常識でしょう。
 みんなみんなそうやって、賢くトラブルを回避。そして、似た感性や価値観の人同士とだけ付き合って生きているようです。フツーっていう、すごく狭い枠の中で。

 もったいない。そういう変人って、個性的で魅力的で、いろんなことを教えてもらえるのに! そう感じる私って、変わり者? でも今は、寝たきりの障害者でも、生きているだけで価値があると主張すべき時代なんだから。
 これだけは断言できます。私が今まで付き合ってきた発達障害の方に、精神レベルが普通人に劣っている方はひとりも居なかったと――。学校の成績は、イマイチでも。

 世の中には、生まれつき目が見えない人も居れば、生まれつき脳の機能が違うせいで、普通と違う感性で生きている人も居る。彼らは、社会のお荷物でも、特殊能力の天才でもなくて、当たり前に私たちの傍らで生きている人間なのだと思います。


     2019.7.6冨士五合目郵便局

 私は、いろんな意味で変人です。精神病でも、障害者でもないことは、きちんと確認済み。
 例えば、この間会った知人には、「食べ物の好き嫌いがそんなに多いなんて、よっぽど我儘でしつけが悪いのね」と言われちゃいました。
 そういう誤解は、よくあります。実際には、何も言わずに倒れるまで我慢する子供でした。祖母は、「こんな弱い子は見たことが無い」と言っていたとか。お祖母ちゃん、二人の子を亡くし、4人育て上げているので、説得力があります。

 どこがどう弱いかというと――幼い頃は、興奮したり頑張りすぎたりすると、すぐ熱を出したり吐いたり。
 小学校二年くらいから、丈夫になりました。それでも、運動会や遠足の前日に熱を出したり。

 例えば、高校時代に風疹が大流行。でも、卓球部一年生10人の中で、風疹になったのは、私ひとりでした。
――風疹で倒れた先輩の飲み残しのジュースを、10人で回し飲みしたのに。気付かずにやったとはいえ、女子高生って有り得ない。何故みんな、平気なの??
 運動部の基礎トレーニングでも、学校の山登りやハイキングでも、体力不足で脱落するのは、たいていワタシ。皆さんの周囲にも、そんなタイプがひとりか二人、居そうですよね。
 ちょっと大人になると、倒れた場合のデメリットと、我儘と言われるデメリットを勘案して、適当なタイミングで自己主張するようになりました。それでもやっぱり、我儘だの甘ったれだのと言われてしまうけれど。
 私は扱いのややこしい人間ですが、性格そのものには、ややこしいところは全くありません。(多分)

 さて、ここからが大事なポイント。
 障害者も虚弱体質も、手助けを求めるのが難しいという点では似たもの同士なのです。

 気遣いはうれしいけれど、ややこしい奴だとか、我儘だとか言われたらどうしよう。言われなくても、そう思われたらどうしよう。考えると、やりきれない。やりきれないから、頑張ってできるだけ普通のフリをする。多分、そういう習慣の持ち主です。

 障碍者に声を掛けるのが難しい、とはよく聞きますが、どっちもどっち?

 本人にとっては、世間の普通レベル、イコール普通以上の努力が必要なレベルです。この努力は、誰にもほめられないどころか、気付かれないかもしれません。家に帰ってから倒れるけど。

 ようするに、生きてるだけで無理をしちゃってるし、疲れすぎちゃう。
 多分、ヒトと違う感性や知性や障害を抱えて生きている人はみんな、そんな感じなのだと思います。普通のフリしなきゃいいのだけれど、それもまた難しくて。

 発達障害、LGBT等々、人それぞれ感じ方や考え方が異なるのは、私にとって分かりやすい事実でした。
 まだまだ、世間の非常識?なのだとしても。

 そういう訳で、ADHDの友人のお話相手、手助けを喜んでしています。楽しいです。
 問題は、彼等の心の傷を癒しても、彼等の人間関係も環境も、さっぱり治らないこと。

 障害自体は個性なので、治らないし直すべきものでもありません。本人の行動は、根本的に変わらないし、普通にはなりません。障害が理解できない周囲の人々の態度も、変わりません。結果として、本人のストレスが減らないから、また傷ついてしまう。
 NHKが頑張って発達障害の宣伝をしていても、世間の理解ってゼーンゼン、と笑うしかない感じです。
 当たり前の人間同士として、互いに支え合って生きる時代を、本気で願っているのだれど。

 北東北や沖縄など、霊能者が多い地方では、精神病者が神のお告げをする巫女として受け入れられてきた、という説があります。(私もその分類でいいのか?)
 そういう扱いが正しいかどうか、私には分かりません。

 現代なら、占い師、マッサージ師、ヨガや気功指導?
 日本には、変人の居場所が少なすぎ…。


2019.7.14雲昌寺あじさい5 (336x448)

 そして、再び友人のヘルプコール。
 放火事件のテレビでめちゃくちゃ混乱!? 眠れない? それって心の病でもトラウマでもないんとちゃう?(何故か関西弁)

 世界には見てるだけで幸せになれるパワースポットもあれば、悲しみがあふれるだけの場所もある。ヨガと瞑想で感覚が研ぎ澄まされてくると、それが確固とした事実だと分かります。

「○○さん、感覚が鋭いだけだよ。あのテレビ映像には、実際に強烈な苦しみ、悲しみの念がそこにあって、伝わって来る。○○さんは、実際に恐いモノを見て、恐がっているだけじゃん」。

 まさか、友人がうつ病に至った根本的原因ってそれ? いじめられたり叱られたりしたお話は、私もよく聞かされていました。そのストレスの原因に、強い不安感があるのだと。友人は、精神分析を受けていたはずです。
 イロイロ見えたり感じたりする霊能者が、精神病院で妄想扱いされるって、実際によくある話だったの!? そして薬漬け――なるほど、カウンセリングはほとんど無意味。
 精神科医が一流でも、必要な専門分野がずれていては対応不能でしょう。

「あなたの反応は、病気じゃなくて当たり前だよお。ホンマ、ホンマ」。

 そのやさしさに祝福を! でも、今はまず自分が幸せにならなくちゃ。
 ヒトは生まれながら、真我では幸せなんだから。
――アレ? 普通とか当たり前って、今まで言われたことが無かったの?――
 
 霊的修行の最終目的は、本当の自分自身に気付くこと。

 ラマナ・マハルシの智慧の道、ギャーナ・ヨガの瞑想では、肉体が自分ではないと知る訓練をします。それができたら、感情と感覚も、自分ではないと分かってきます。そのようにして余分な殻を脱ぎ捨てていき、最終的に、悟りに至るのです。至福の真我に。
 ヨガと瞑想関係の本には、肉体や感情、感覚の構造が詳しく書かれています。西洋医学的構造でなく、霊的な構造です。そして、それらすべては、自分ではなく、自分の付属物に過ぎないということも書かれているのです。専門的な名称は、さまざまですが、どれも、意味するところは同じです。

 友人に伝えました。

 世界は悲しみに満ちているように見えるけれど、それもまた幻。
 あなたの悲しみではない。あなたが悲しむ必要はない。
 自分自身の感情にも、他人の感情にも巻き込まれる必要はない。
――可哀そうな人達のためには、遠くから祈ってあげて。
 
 意識を内側へ向けて、あなたの考えがどこからやって来たのか、確かめましょう。 
 ほうら、内なる自分をちゃんと見てみれば、ちっとも悲しくない。
 それは、あなた自身の本性です。

 あとは、生身の人間の、意地悪やいやがらせ等々の、悪い感情に巻き込まれないようにしましょう。
 そっちはこれからスタートだね。


     2019.7.14雲昌寺竹林 (336x448)

テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

知識よりも――至上の純粋さこそ

 スピリチュアルに興味を持つと、その周辺のいろいろな情報が集まってきます。

 環境保護はいいけど、どこまで自然優先? 
 ヴェジタリアン、ヴィーガン、マクロビオティック、断食。加工食品は?添加物は?
 お金儲け、ドレスや宝石ともかく、パワーストーンは?
――結婚とか、オトコに興味ある?


2019.6.23郷土の森アジサイ3
 
 いや別に、肉食べても、エッチしても、それで直ぐに高い境地から落っこちる訳ではないんですけれど。

 例えば、ヨガは体の浄化。体がすっきりして、集中力がアップします。
 野菜中心の健康な食事もまた、体を浄化してくれます。すっきりと清らかな気分になります。
 肉体感覚は、精神状態に直結しているので、その種の修行が、瞑想を助けてくれるのは、事実だと思います。肉体、イコール自分という感覚が強ければ強いほど。

 でも、体の浄化以上に大切なのは、心の浄化ではありませんか。
 ホントの自分とは何か? そんな風に意識を内側に向けること。それこそが、心の浄化です。

 すべての原因は、外側の世界でなく内側にあるから、誰も責めない。疑わない。傷つけない。嘘やごまかしをしない。
 そんな清らかさ、純粋さが、何よりも尊い。

 皆みんな、誰でも嘘ぐらい平気でつくって思っています。俗世間で生き抜いていくのに必要だから??
 そうして、傷つけあって生きて――。


2019.6.23郷土の森アジサイ1

2019.6.23郷土の森アジサイ4

 ところで、心の浄化といいますが、実際のところ、どれくらい清らかになればいいのでしょう。解脱の準備OKなのでしょうか。

 ホーリーマザー、サラダ・デヴィさんの清らかさときたら、小学校の低学年レベルでした。ことによると、言葉を話し始めた幼児くらいかも。夫、兼師匠のラーマクリシュナさんの助けがあってこそ、そのまま社会生活ができたのでしょう。
 ラマナときたら、16歳の少年のまま。時折見せる笑顔は、3~5歳児のよう。

 お釈迦様は、弟子のすべてに出家を勧めました。独身主義、質素、正直さや献身や人助け等々。どこの宗教宗派でも、真理や哲学とは直接関係なさそうな戒律が、山ほど作られています。

 解脱、悟りに至るのに必要な清らかさ。それは、俗世間から見ると、危うい、あり得ないくらいのレヴェルである、というのが多分答えです。


2019.6.23郷土の森アジサイ5

 キララ、キララ、赤ん坊のようなラマナの瞳。
 子どものままの純粋さで、生きていればいいだけのこと。

 難しいでしょうか。まあ、確かに。
 原始仏教は、弟子全員に出家を勧めて挫折したとか。釈迦国、滅んじゃってるし。

 私の場合は、社会生活ボロボロ。
 無心に遊ぶ子供のような雰囲気で、お仕事していると、ふざけてるみたいだって。
 愚痴を言ったらキリが無いけれど、純粋さも、純粋さの価値も、びっくりするぐらい理解されません。
  
 それでもまた、神仏の姿を見たりお告げを聴いたりするのは子ども、というのが歴史的事実でしょう。もしくは子供のような純粋な方。
 知識不足、経験不足で、感情のコントロールもできないお子様でもOKでしょうか? 確かに、チャネリングや霊視のできる霊能者には、そういうタイプが少なくないかも。正しいお告げと勘違いがごちゃまぜだったりして…。

 お告げを下さる霊や神様?はきっと、そういう方々が大好きなんだと思います。これは、間違いありません。
 世間の常識と神様の常識が、ある意味では逆転しています。多分、私達みんなが考えているよりもずっとずっと、純粋さには価値があるのです。

 本をたくさん読んで、真理の知識をいっぱい集めても、何年も瞑想修行をしても、それだけでは16歳のラマナにかないません。何も知らない、素直で真っすぐな心こそが至上。

 内なる神、真我を求める修行にも、恩寵は必要。そして、恩寵無しに、瞑想の成功はないと、インドでは昔から言われています。
 恩寵と引き換えにできるモノはない。霊的修行にサットワ、純粋で清らかな心と体が必要だと。

 純粋な魂は、瞑想の手段であり、目標であり、結果なのです。


    2019.6.23郷土も森アジサイ6

テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

訂正:沈黙――愛の言葉をもっと

2019.5.8武蔵国分寺公園から (2)

 これは、ゆるしの物語です。私自身の。

 世の中には、生まれながらに美しい人、生家がお金持ち等など恵まれた方がいます。スポーツの金メダリストも、一流のクラシック演奏家等も、幼い頃から恵まれた環境で指導を受けているのが普通です。
 インド哲学では、そのような幸運は前世の良いカルマの結果と説明されています。
 けれど、皆さん、それでホントに納得できますか? 私は、やっぱりちょっとうらやましい…。
 貧富の差が大きすぎると、テロや暴動の引き金にもなります。男女平等も、LGBTも、発達障害も含めて、せめて社会だけは平等になって欲しいです。

 それでは、瞑想の才能はどうでしょうか。それこそ、前世のカルマなのだけれど。

 この霊性の世界では、十年、二十年古今の書物を読みまくり、お祈りも体の行も瞑想も頑張って頑張って、それでも解脱できなくて当たり前とされています。そんなものかと思っていたとき、何でもサクサク分かる天才が目の前に現れたら、ヒトはどう感じるものなのでしょう。
 頑張って修行をして得た地位、社会的評価。自信。けれど、それらをすべて否定されたような気分になるのでしょうか。

 絶望? 嫉妬? プライドが傷ついた? 他人にウケたい、頭がいいと見られたい。他人にバカにされるいわれはない。そんな感じ?
 そんなもの、捨ててしまえば楽になるのに。捨てても、真実の自分が失われることはないから。

「そんなこと、できるわけない」
「タダの理想、理屈だ」
 それが常識なんでしょうね。
 でも、本当に? 

 ところで、私には「プライド」がさっぱり分かりません。
 自己流の修行を始めた中学時代、真っ先に捨てたのが「プライド」だから。

 瞑想の才能は、本人にさえ分かりにくいものなので、まして他人様にどう見えているのか、分かりません。……自分にカンタンにできることが他人に難しいのってなんでだろ?うーん?

 ここにアルナーチャラがあれば、あるいはラマナ・マハルシなら、何もいわずに「沈黙」の力で相手の心を満たすことができるだろうに。
 
 さて、プライドがちっとも分からない私は、世間ではいじめられっ子。ただし、その日は珍しく、私の方から怒ってしまいました。
 嘘やごまかしなんて、大嫌いだあ。

 そのとき、ホーリーマザー、サラダ・デヴィさんのイメージが現れました。
 私には、霊を直に見る才能が無いというか、無かったはずなので、ビックリ!

      holyMother.jpg
 
「彼は、私の息子たちのひとりです。許してあげてください」

 すべての宗教の融合、愛の道を説いた大聖ラーマクリシュナさんは、ラマナ・マハルシのちょっと前の時代の方でした。サラダ・デヴィさんは、その霊的な奥様です。大聖者が自ら見出して、幼い頃から教育した、本当の意味で一番弟子ともいえる存在でした。
 彼がサラダ・デヴィさんを、カーリー女神の化身として扱った話は、あまりにも有名です。
 彼女は、生まれながらにカーリー女神の化身だったのでしょうか。それとも、素晴らしい訓育の成果で、普通の女性に女神の性質が現れたのでしょうか。私には分かりません。その違いは、わずかかも…。
 分かっているのは、彼女が控えめで清らかな心の持ち主だったこと。文字がほとんど読めなくても、知性と愛に溢れた教えをたくさん残していることです。

 ただし、主婦の立場からの教えは、私にとってはあまり役に立ちません。私は99%ひとり旅、ひとり御飯の人生。
 それでも、「他人の欠点を見つけて何になりますか。あなた自身の心が穢れるだけです」は、シンプルにすごいです。彼女自身が、それを実践しているのですから。
 しかし世界には、一方的に精神的、肉体的な攻撃を受けるトラブルが、少なくありません。欠点や汚点を、無理やり見せつけられるのです。
   ――必要なのはゆるし――。

 息子をゆるせって?

 サラダ・デヴィさんとラーマクリシュナさんとは霊的な関係で、実の息子はいません。弟子たちや熱心な信奉者、熱心な修行者達のことでしょう。彼女は、悟りを求める人々すべての母ともいえる存在なのです。
 カルマの重荷を軽くしてくださる、力のある聖者だったとも伝えられています。

 どちらにしても、彼女の伝記に、こんな言葉はありません。私が勝手に考えたにしては、気が利きすぎているセリフだと思いませんか。
 そう、どうみても、私のキャラから出て来るコトバじゃない。

 そして、何より胸を打たれたのは、サラダ・デヴィさんが、彼の信仰の深さをちゃんと知っていたことでした。彼自身は彼女の幻が見えないし、聞こえていないはず――それでも、ずっとずっと見守っていらした。
 信仰、祈りって神様にちゃんと届いているものなのですね。気付くことができれば、すぐそこにある、神様がいらっしゃる。
 私は元々無神論で、信仰軽視タイプだから、それこそが衝撃!!

 そして、どうなったでしょうか。


2019.5.17立川病院爪草 (419x640)

 神を見るとき、そこに区別の感覚は失われます。それが、悟りとかワンネスとか見神等々の体験の神髄のひとつだと、伝えられています。愛と呼んでよいもの。
 つまり、彼が彼女の息子なら、私の息子。

 私は「私の愛する息子」に、腹を立てることができなくなりました。年上でも目上でも、欠点だらけでも、皆みんな私の困った息子達です。
 仲直りできました。

 いや、100年の前の聖者、神が現れるなんてあり得ない。霊現象なんて、幻覚。ギャーナ・ヨガ、智慧の道が大好きな方に、そういう意見があるのはごもっとも。
 他に、こんなステキな言葉がやってきた現象を、うまく説明できるなら。

 傷ついた心を真に癒しすのは、加害者を憎むことでも罰することでもない。ゆるしであるというのが、真実です。
 怒りや憎しみは、誰よりも何よりも、自分自身の心を傷つけるものだから。

 ホーリーマザー、サラダ・デヴィは、その「息子」を、もしかするとそれ以上に、私自身を癒してくださいました。
 そこで、聞いていらっしゃいますよね。

 ありがとう

 私も、そんなねじれた心を解きほぐす言葉を、いえるヒトになれるといいなあ。 合掌

テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

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