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新しき年―祈るということの意味を問いたい

2020.1.8唐松神社1-2

 遅くなってごめんなさい。今頃、初詣のお話( /ω)?
 皆々様、お正月にはやっぱり神社やお寺へお参りしたんだろうなあ。
 今回は、クリスマスと結婚式は教会へ、お彼岸とお葬式はお寺へ、お正月は神社へ行く、無節操で無宗教な日本人にとって、祈るってどういう意味があるのか、とことん追求してみました。

 興味があるのはパワースポットと占い? 欲しいのは現世利益だけ?
 
 祈りたい。その気持ちは、誰にとっても大切です。

 子供の頃、神様と仏様ってどこが違うの?という素朴な疑問をもったことはありませんか。日本では、ちゃんと答えてくれる大人は、まず居ないと思います。違う宗教だからって言われて、何となくごまかされた気分。
 これは、お坊さんや神主さん、神父さんが悪いのはなく、本当に知らないのだと思います。そもそも、宗教家は疑うよりも信じるのがお仕事です。自分の宗教以外の宗教はあんまり勉強していません。
 「神とは何か」「人間とは何か」等々のテーマ探求は、哲学者の得意分野なのだと、覚えておいてください。

 インド哲学では、はっきりと答えています。悟りを開いて仏になるとは、神を知ることであり、神に成ることでもあると。
 20世紀初頭のインドの聖者、パラマハンサ・ラーマクリシュナさんは「人生の目的とは、神様に会うことだ」と断言していました。
 パラマハンサとは、神に酔っぱらった聖者という意味です。彼の眼には、実際にその御姿が見えていたのだとか。

 「神を知る」「神に会う」「神に成る」。この三つは、インド哲学ではほとんど同じ意味とされています。
 神様に会うためには、厳しい瞑想修行をして、神様と同等の高い境地に達する必要がある。故に同じだと。
 預言を行うシャーマン、巫女さんは、神様の言葉を聞くその瞬間だけ神に成るらしいです。これには特別な才能が必要だけど、普通人でもお祭り等の儀式なら、ちょっとだけ体験できるのかも…。


ナマハゲ画像2020

 瞑想で悟りを開き、仏様でなくて神様に成る⁉ インドでは、神様と仏様を区別してないようです。ヒンズー教と仏教は似たようなもの、というのが常識らしいです。
 たしかに、護摩の語源はサンスクリット語のホーマ。日本でも、神仏習合の歴史の中で、お寺でも神社でもほとんど同じで焚き方で行われています。

 すべてはひとつ。各種の経典や聖典をたくさん読んだ学者でも、それを理解できる人は少ないけれど――。
 それでも、祈る心がひとりひとりにとって大切なのは、日本も外国も変わりありません。
 
 たかが現世利益、されど――恋や病気や貧困等の苦しみは、世に尽きなくて。
 そしてそれは、スピリチュアル、霊的世界の大切な大切な入口なのです。


2019.11.26修善寺

 私達は、何に祈っているのでしょう。叶えてもらえるの? まず、各種宗教の教義を、軽くおさらい。

 神道には、教義らしい教義はありませんが、祈祷、お守り等のパワーが主な「ウリ」⁉
 以前見たアニメで、女子高生が突然、神社の神様になるお話がありました。お仕事は、超能力で皆様の願い事を叶えること。
 確かに日本人にとって、神社ってそういう場所。鎮守の森の土地神が郷土を守ってくださっている、というイメージには説得力があります。地球の平和を守るSFヒーローよりもリアリティありそう。
 
 一方の仏教、お寺はどうでしょう。
 お釈迦様は、信者全員に出家してお坊さんになるよう勧めました。病人を癒したという記述はありますが、現世利益への欲は苦しみの元だとみなしました。
 遺言は、法灯明、自灯明。お釈迦様自身への個人崇拝(バクティ)は禁止して、弟子ひとりひとりに、法=教えに基づいて、自分で考えるように説きました。
 仏様が人々を救う、という信仰スタイルが生まれたのは、お釈迦様入滅したずっと後の時代です。仏像が作られるようになり、お釈迦様が個人崇拝されるようになりました。ヒンズー教の影響を受けて、如来、菩薩、天部など仏様の種類も増加。中でも菩薩は、救済活動を行っているありがたい御方として、人気が急上昇しました。
 お釈迦様の最初の教えとは全然違う。その良し悪しはともかく、結果として、お寺で願い事を聞いてもらえるようになりました。

 キリスト教やユダヤ教では、願い事OKでしたっけ? 
 イエスは病人をたくさん癒したと伝えられていますが、お金儲けは戒めていました。現世利益ダメそう。
 しかし、信者は復活と癒しという神の奇跡を信じるのが基本です。来世の救い以外の、いろいろな願い事をきいてくれそうです。その長い歴史の中で、偶像崇拝禁止のはずなのに、イエス像と宗教画が大人気。十字架やメダイなども、ほとんどお守りに近い気がします。プロテスタントやユダヤ教などで、お仕事、すなわちお金儲けも応援OKみたい。
 ただし、唯一神エホバが、現世利益を叶えるわけではなさそうです。
 現在のカトリック教会では、具体的な願い事は、守護聖人に頼った方がよいと教えているそうです。そういえば、聖ヴァレンタインは恋人たちの守護聖人でした。


   聖母子ラファエロ1

 ところで、ここで私が伝えたいのは、宗教史でも教義の解説でもありません。その種のお話は、学者その他の専門家に任せておきましょう。

 大事なのは概念ではなく、私たちが自分の体と心で感じていることなんです!

 ちょっと感覚が鋭いヒトなら、聖なる場所や祈りの場所で実際に感じているはずです。清々しさ、荘厳、喜び。
 それを、気持ちいいと感じた瞬間、思うはずです。神話や伝説は、あいまいでテキトーで、そのまんま信じることはできない。でも、思わず手を合わせたくなる何か、尊い存在がそこにある、居ますかもしないと。
 
 ぶっちゃけ、カミっぽい何かが居るという前提で、祈りはちゃんと届いているのか? 願いって叶うものなのか‼
そうでないのなら、私たちの祈りは何の意味もない。
 そんなのはイヤ!

 霊現象についは、インド哲学が詳しいので、そちらの言葉を主に用いて整理します。唯一の絶対神も、八百万の神々も、全部、カミ、と同じ名前で呼ぶのは誤訳というか誤解の元だから。

 まず、エホバとブラフマンなどの無形無限の神様が居ます。唯一神、絶対神、創造神。これは、同じ神様の別の呼び名、ということで良さそうです。
 次に、肉体はないけれど姿や名前、個性があるらしい神々が居ます。これらを、神でなく「精霊」と言い換えてみましょう。これで、ギリシャ神話、インド神話、日本神話の神々、各種シャーマニズムの霊も天使も、精霊としてカヴァーできるかな。
 生きている人間である仏様、神の化身アヴァターや、神の子、預言者などは、取り合えず聖者ということでひとまとめ。

 「無限の神」「肉体はないけど人格を持つ精霊」「聖者」。この三種は、どの宗教にも普遍的に現れる霊的存在なのではないでしょうか。
 仏様=神様。三位一体。それがどういう霊現象なのかを正確に説明するのは難しい。けれど、現世の普通人は、これらの聖なる方々を同じとみなしてよいのです。小さなスマホを、巨大データベースと同じに扱うのと似たような感じ、というと分かりやすいかも。別々だけど、ちゃんとつながっているから。ちゃんと!
 キリスト教では、イエスが神様。仏教とヒンズー教では、悟った人が神様。ラマナ・マハルシの呼び名は、バガヴァン(神)。
 イエスが唯一の神の子だと信じている人々、ムハンマドやクリシュナやお釈迦様等々が最高と信じている人々には怒られそうだけど。

 真理はひとつ。賢者たちは別々の名前でそれを呼ぶ。
 世界にどれほど多くの宗教があっても、同じ真理、同じ神様を別の名前で呼んでいるだけ。霊的修行を通して辿り着く最高の場所、境地は同じ。
 それは、霊現象についても同様です。宗教と言葉が違っていても、同じ現象を別の名前で呼んでいるだけ。それが、インド哲学が語る真理、ウパニシャッドです。


  パールヴァティシヴァ&

 それで、その神様は、私たちを本当にちゃんと守ってくれているのでしょうか。
 私たちの願い、祈りの行方は?

 神様はもちろん精霊も、生身のお坊さんや神父さん以上に高い境地にあります。当然、性欲も物欲もありません。それで、ヒトの恋や受験やお金儲け、健康長寿に、興味をもってくださるものなのでしょうか。
 聖者や神様が要らないといって捨てたものを、捨てた当人に願うのって変? 祈っても叶わないんじゃないの?

 その疑問はもっとも! でも、祈りはちゃんと届きます。そのシステムは多分、こんな感じ。

 スピリチュアルの世界では、能力開発による願望成就が大人気です。気功やヨガや初歩的な瞑想で、精神的パワーがアップして、仕事も恋も成功。その手のお話は、ネットや巷にあふれています。
 でもでも、霊的パワーを目的とする修行は、欲望とエゴを増大させる甘い罠なんじゃないの? 悟りを目指すまじめな修行者にはNG⁉
 しかし、この能力開発のちょっと先に、周囲の人の願いまで叶えるステージがあるのです。願望成就ほどには知られていない現象だけど。

 例えば、パワフルな人がそばにいるだけで、体の調子が良くなったり願い事が叶ったりする、という経験はありませんか。その延長のような現象です。
 実は、霊的にパワーが強い方の傍で、他の一般人も霊能力が使えてしまう場合があるんです。
 気功や霊視が、そばに居るだけの普通人にも起こってしまうのを、私は実際に体験したことがあります。
 霊能者本人が意識して「気」を使っている気配は、全くありませんでした。また、暗示や妄想ではないことも断言できます。強烈なパワーに背中がゾクゾクしたけれど。
 それは、霊能者の作り出す「気の場」だったのでしょうか。場を作っている当事者が、相手の願い事を聞いたり一緒に祈ってたりしていなかったことは事実なのです。互いの場を共有するだけで、その願いが叶ってしまう!

 聖者の伝説には、もっとすごい例がたくさんあります。
 ラマナ・マハルシの沈黙のパワーも⁉ 

 大聖ラーマクリシュナさんは、イエスがたくさんの病人を癒したことについて、「本人は意識していなかっただろう」と述べています。強い力をもつ聖者のそばで、そういう力が働くのって普通なのかも…。もちろん、聖者自身が祈れば、いっそう効果的でしょうけど。

 神社や聖地には、力のある精霊が守り神としていらっしゃいます。アルナーチャラも。
 肉体を持たな精霊には、生身の聖者のような制限がありません。望めば、守りたい人々の願いのすべてを、自分の内側で聞くことができます。それが数千、数万でも。
 精霊は本来、自他の区別があいまいです。祈りを、裁判官のように外側から聞くのではなくて、精霊自身の内側で感じ取るものなのです。頭で考えて合否判定するのとは、ちょっと違う感じ、分かりますか?
 祈る人の願いが精霊自身の願いと深く共鳴したときに、その願いは容易く叶うのです。
 
 清らかな心で、深く信じて熱心に祈れば、きっと叶う。
 私達みんな、当たり前の信仰から始めてよいのです。

 たかが現世利益。されど現世利益。
 神社でもお寺でも教会でもOK。祈るあなたに祝福を!

 合掌

 
   2020.1.8唐松神社2-2
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テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

性愛から普遍の愛へ――肉体が教えてくれるもの

巾着田1 005の2

 悟りを目指す修行者にとって、性欲は大敵です。
 精神的愛と肉体的性愛。それは、深いところで絡み合って修行者を悩まし続けてきました。

 ところで男性は、女性修行者に「私、性欲で悩んでいません」という方が多いことを知っていますか?
 大多数の男性はハタ・ヨーガが下手です。ヒトはそれぞれで、あくまでも一般的傾向ですけど。
 それは、女性の方が体が柔らかいからではなく、女性の方が感覚的で内向的だからです。男性がものごとを論理的に理解し、女性が感覚的に理解する傾向があることは、心理学上の常識。そして、内なる自己と向き合うヨーガには、女性的感覚がメリットとなる場合が多いのです。
 今回は、その感覚を通して分かってくる性のお話。

 内なる神と向き合う。内なる神が、知るべきことをすべて知っている。それは、肉体と向き合う場合にも言えるのだということ。
 あなたの肉体は、数億年の進化の歴史の知恵を宿したあなたの師でもあるのだから。


2019.10.10御嶽山神社狛狼

 「人間とは何か」。人間を、他の動物と区別しているもの、人間らしさとは何か? 
 近年、このテーマに関して、チンパンジーや他の社会性のある動物との比較研究が進んできているようです。中でもEテレの「ダイヤモンド博士の授業」という番組は共感できました。
 動物好きな方なら、動物に感情も、言葉やモラルらしいものもあると知っています。家族愛もあれば、いじめ、失恋、浮気、育児放棄も縄張り争いの死闘も。ヒトと獣の差は、わずかかもしれないと。

 実は、スピリチュアルの世界にはすでに定説があります。魂の進化の法則、と呼んだらよいでしょうか。
 それは、獣は、普遍の愛を理解したときに、ヒトになるということ。

 例えば、見ず知らずの子供が困っていたら、助けるのはヒトの常識、獣では非常識です。もちろん、無慈悲なヒトもいますし、優しい獣もいます。それでも、ヒトが弱い子供を見捨てたら、それが他人の子でも人でなしと呼ばれます。一方、仲間以外の子を助ける野生動物は、珍しいのでニュースになります。その事実は変わりません。
 何より、ヒトだけが食べ物を平等に分けて、同時に食べる習慣を持っています。獣の母は、強い子優先。
 テレビは、私の推測を科学者が解説してくれたっていう感じでした。 
 
 科学者達は、その種の共感力や平等な分け合いをヒトの特徴と考えているようす。それは、スピリチュアルの世界で普遍の愛と呼ばれているものと同じではありませんか。

――ちょっと待って。食事のマナーはともかく、私達人間の社会は、ちっとも平等じゃない。
 ジェンダー、障害、民族等の各種差別と、貧困、そして戦争etc.

 私達ヒトは、普遍の愛を、未だに社会システムとして実現できていません―‐悲しいね。
 社会には今も、競争と不平等という獣の論理が生きています。弱肉強食も、食物連鎖も、大切な自然の原理。この長い歴史を持つシステムは、なんのかんので効率よくできているので。 
 その不平等をおかしいと感じ、変えたいと願うのも、ヒトなのです。

 普遍の愛がヒトの証しなら、宇宙の愛は? 生きとし生けるものたち、すべてへ注ぐ愛とは?
 
 平等で平和な社会の実現という、大きくてピカピカの理想。ユートピア? シャングリア?
 そのための思想が求められた1960~70年代、フリーセックス礼賛の時代がありました。性の自由こそが、精神の自由と平等と平和のカギであるという考え方が主流だったのです。
 結婚イコール社会の束縛? マルクス主義も、ロックンロールも、文学も、精神世界でも、そういう説が高らかに叫ばれていました。オトコの思想家だけでなく、ウーマンリブ運動の女性解放論者も、同様でした。
 
 そこで神話のように語られるのが、誰とでも愛をかわせる絶世の美女、理想の娼婦像です。
 それこそが、普遍の愛、神の領域に近い大きくて深い愛の象徴なの⁉
 All you need is love(Beatls) 愛こそすべてってそういう意味だっけ?
 それは、思春期の女の子にとって、危険な罠でした。
 
 インドには、タントラ・ヨーガという古い修行法があります。性愛の喜びを通して、悟りに至る修行法だそうです。うまくできれば進歩が速いけれど、堕落しやすくて危い修行なのだとか。
 私はその道の専門家ではありません。けれど、自分の肉体の声にしっかりと向き合っていると、見えてくることがたくさんあります。肉体には、数億年の進化の歴史と知恵が宿っているから。
 
 哺乳類の雌は、「子供を作りたいとき、作れるとき」だけしか発情しません。哺乳類の牡は、その相手が務められるように、長期間発情している、というシステムになっています。その結果として、オスはいつでも欲求不満。メスはある程度、自分の意志で発情自体をコントロールできるように、進化しました。
 サピエンスは例外で、いつだって発情可能でしたね。社会性を持つ動物にとって、対人関係はいつでも大きな問題です。ボノボやサピエンスが、子供が欲しくなくても、発情できるように進化したのは、対人関係を円滑にするためという説が有力です。

 女性修行者にとって、性欲をコントロールする肉体的機能を取り戻すのは、難しくないのかもしれません。むしろ、子育て後の女性には、簡単だったりして。 
 男性の修行者さん、ご苦労様です。

 スピリチュアルの世界では現在、性愛は避けるべきもの、という考えが戻ってきました。非婚、未婚の流れは相変わらずですが。
 そして「愛に満ちた平等な社会は、性愛から。いつでも発情、その次は誰とでも発情というのが、正しい進化なのか」という問題が、残されてしまいました。
 援助コーサイをしたがる女子高生は、理想の娼婦という女神に進化を始めているのか?

 実際の私は、どうだったでしょうか。
 「女神」どころか、電車の中で見知らぬ男性と触れるだけで気持ち悪くなるタイプでした。(今も?)本当に愛する人でも、慣れるまで触って欲しくないのが本音。70年代思想からみると、私って、心が狭い女?
 早く大人になろうとして無理をしたがるのは、男子も女子も変わらないようです。

 心が準備不足のままで、暴走していた私の思春期。平気なふりをしなくちゃ、と思いました。でも、体が無意識に拒絶して強張っている。自分で自分を否定しているような気がしてる。
 背伸びし過ぎて体も心も傷ついて、後悔するのは、男子よりも女子という気がします。
 それは、愛が未熟で、足りないから?

 今の私なら言えます。そんなことはないと!

 自由な性愛の流行は、80年代のエイズの流行で、ほぼ終わりを迎えました。それでも、性の問題、子育て問題、そして老人介護の問題が後回しにされたまま、非婚、未婚の流れは続いています。
 政治家風にいうなら、愛ある社会の実現には、これらを担保する必要があるのだけれど。

 ヒトは「自分の家族」、あるいは「自分の居場所」がなくては生きられません。
 赤ちゃんは、親に独占的に愛されて守られて、大人になって旅立ちます。動物も、同じです。
 子供にとって、家族と家庭がどれほど大切か、どんなに語っても語り尽くせません。
 狭い愛し方こそ、愛を学び育てる道なのです。
 法的な結婚が世界から消え失せたとしても、「家庭的な愛のある居場所」は確保されなければなりません。

 そして何より、霊的修行にはグル、主神が必要であると、昔からいわれているのです。それは「特定の形や名前を持つ誰か」である必要があると。
 つまり、独占的な愛を通して普遍の愛を学ぶことが、赤ちゃんから高僧に至るまでの、一般的な道ということになります。

 世界は広いので、タントラ・ヨーガが合う人もいれば、娼婦が天職という女性もいるのかもしれません。でも、娼婦になれない女(男も?)の愛が、狭いとか小さいはずは無い。絶対に。
 私は、いつも誰かを、何かを、たくさん愛しているし、愛したくてたまらないんだから!

 たったひとりの誰かを愛しぬいて、その中に宇宙の無限の愛のカケラ、現れを見つけられたなら――。
 私達きっと、自分の内側、真我にも、同じ愛がたくさんたくさんあることに気付くでしょう。
 世界が、同じ光と幸福に満ち溢れていると。
 民族や宗教などの些細な違いで、言い争うことの無意味さも、きっと分かるはずです。

 ハタ・ヨーガで自分自身の肉体と対話していると、さまざまなことがしみじみと分かってきます。
 例えば、ジャンクフードやアルコールを欲しているのが、胃袋ではなくて満たされない心の方だと。性欲も同じです。
 そして、気付くはずです。ヒトが傷ついたり病気になる原因のほとんどが、肉体ではなく、心の側にあると。心の耳を内側へと向ければ。

 肉体的本能は、世間で思われているほどに低いレベルの意識ではありません。自分自身に本当に必要なものが何か、教えてくれる知恵の宝庫なのだと私は信じています。

 進化の歴史、すなわち形のある愛の歴史。
 内なる自己、自分自身を信じて生きればそれでいい。

 誰もがみんな、真の愛に満ちた幸福な世界に至る道の途中のようなもの。


    2019.10.10御嶽山ケーブル駅

瞑想で地球の時間を感じる

 瞑想って、何時すればいいの?と訊かれて―—
 知恵の道、ギャーナ・ヨガの修行には、いつも内側へ意識を向け続ける努力が大切です。
 
 正解はいつも
 
 それでも、じっくり座って集中する時間は大切です。


2019.7.5燃える夕焼け1

 お勧めは、夜明け前でしょう。
 大地のエネルギーがいちばん高まる時間です。
 植物が、鳥が、虫が、世界が目覚めようとします。
 それは、心のドアをたたく力強いノックのよう。
 私の内なる真我も、深く深く目覚めようとすることでしょう。

 次のお勧めは、日没の前でしょう。
 大地の熱が冷めるとともに、生き物たちの騒々しい気配がすうっと落ち着いきます。
 高ぶっていた気分が治まって、安らぎ始める時間です。
 私の内なる真我も、外側に向かっていた意識を、内側へと向けやすくなることでしょう。


アンモナイト小1

  永遠のように繰り返される時間、季節。
 この大地のエネルギーは、植物がリード役となって流れている気がします。
 朝の光で目覚めて、賑やかに光合成。そのエネルギーを全身に巡らせて眠りにつく夜。
 秋、冬、そしてまた春、夏。
 
 晴れた日は喜びの愛、雨の日は安らぎの愛。
 それを感じ取ることができれば、ステキ。

 科学の世界でも、少しずつ分かってきているようです。
 森が、植物も虫も微生物も含めた、一個の生命体であること。
 それをいうならガイア、地球そのものが、まぎれもなく一個の生命体です。植物も虫も鳥も、微生物もヒトも。
 私の肉体もまた、その一片。
 そして、無限の宇宙の現れです。

 忙しい日には、真の眠りにつく前の15分、心を静める瞑想を。
 心のホコリをはらう、シャワーになりますように。


秋桜の小

精神医療の斜め上の世界を飛翔中

2019.7.6富士五合目霧
 冨士山は霧の中。残念。

 今日も友人のヘルプコール1時間。
 先週、2週間分の睡眠導入剤を飲んだ友人の、話し相手やってます。
 そういうお話、得意だし好き!
※本人の了解により、個人情報を一部公開。

 そのコ、ADHDで、小さい頃からいじめられて、今は慢性のうつ病。いわゆる発達障害の二次障害です。
 
 根本的に私は、発達障害を「障害」だと感じたことがありません。
 例えば、自閉症系の方の集中力とロジックは最高にクール。ADHDの方の自由さ、感の良さは、半端なくカッコいい。話していてワクワクします。

 多分、普通の大人なら、「このヒト変!」と思ったら、いじめないけど無視して避けるのが常識でしょう。
 みんなみんなそうやって、賢くトラブルを回避。そして、似た感性や価値観の人同士とだけ付き合って生きているようです。フツーっていう、すごく狭い枠の中で。

 もったいない。そういう変人って、個性的で魅力的で、いろんなことを教えてもらえるのに! そう感じる私って、変わり者? でも今は、寝たきりの障害者でも、生きているだけで価値があると主張すべき時代なんだから。
 これだけは断言できます。私が今まで付き合ってきた発達障害の方に、精神レベルが普通人に劣っている方はひとりも居なかったと――。学校の成績は、イマイチでも。

 世の中には、生まれつき目が見えない人も居れば、生まれつき脳の機能が違うせいで、普通と違う感性で生きている人も居る。彼らは、社会のお荷物でも、特殊能力の天才でもなくて、当たり前に私たちの傍らで生きている人間なのだと思います。


     2019.7.6冨士五合目郵便局

 私は、いろんな意味で変人です。精神病でも、障害者でもないことは、きちんと確認済み。
 例えば、この間会った知人には、「食べ物の好き嫌いがそんなに多いなんて、よっぽど我儘でしつけが悪いのね」と言われちゃいました。
 そういう誤解は、よくあります。実際には、何も言わずに倒れるまで我慢する子供でした。祖母は、「こんな弱い子は見たことが無い」と言っていたとか。お祖母ちゃん、二人の子を亡くし、4人育て上げているので、説得力があります。

 どこがどう弱いかというと――幼い頃は、興奮したり頑張りすぎたりすると、すぐ熱を出したり吐いたり。
 小学校二年くらいから、丈夫になりました。それでも、運動会や遠足の前日に熱を出したり。

 例えば、高校時代に風疹が大流行。でも、卓球部一年生10人の中で、風疹になったのは、私ひとりでした。
――風疹で倒れた先輩の飲み残しのジュースを、10人で回し飲みしたのに。気付かずにやったとはいえ、女子高生って有り得ない。何故みんな、平気なの??
 運動部の基礎トレーニングでも、学校の山登りやハイキングでも、体力不足で脱落するのは、たいていワタシ。皆さんの周囲にも、そんなタイプがひとりか二人、居そうですよね。
 ちょっと大人になると、倒れた場合のデメリットと、我儘と言われるデメリットを勘案して、適当なタイミングで自己主張するようになりました。それでもやっぱり、我儘だの甘ったれだのと言われてしまうけれど。
 私は扱いのややこしい人間ですが、性格そのものには、ややこしいところは全くありません。(多分)

 さて、ここからが大事なポイント。
 障害者も虚弱体質も、手助けを求めるのが難しいという点では似たもの同士なのです。

 気遣いはうれしいけれど、ややこしい奴だとか、我儘だとか言われたらどうしよう。言われなくても、そう思われたらどうしよう。考えると、やりきれない。やりきれないから、頑張ってできるだけ普通のフリをする。多分、そういう習慣の持ち主です。

 障碍者に声を掛けるのが難しい、とはよく聞きますが、どっちもどっち?

 本人にとっては、世間の普通レベル、イコール普通以上の努力が必要なレベルです。この努力は、誰にもほめられないどころか、気付かれないかもしれません。家に帰ってから倒れるけど。

 ようするに、生きてるだけで無理をしちゃってるし、疲れすぎちゃう。
 多分、ヒトと違う感性や知性や障害を抱えて生きている人はみんな、そんな感じなのだと思います。普通のフリしなきゃいいのだけれど、それもまた難しくて。

 発達障害、LGBT等々、人それぞれ感じ方や考え方が異なるのは、私にとって分かりやすい事実でした。
 まだまだ、世間の非常識?なのだとしても。

 そういう訳で、ADHDの友人のお話相手、手助けを喜んでしています。楽しいです。
 問題は、彼等の心の傷を癒しても、彼等の人間関係も環境も、さっぱり治らないこと。

 障害自体は個性なので、治らないし直すべきものでもありません。本人の行動は、根本的に変わらないし、普通にはなりません。障害が理解できない周囲の人々の態度も、変わりません。結果として、本人のストレスが減らないから、また傷ついてしまう。
 NHKが頑張って発達障害の宣伝をしていても、世間の理解ってゼーンゼン、と笑うしかない感じです。
 当たり前の人間同士として、互いに支え合って生きる時代を、本気で願っているのだれど。

 北東北や沖縄など、霊能者が多い地方では、精神病者が神のお告げをする巫女として受け入れられてきた、という説があります。(私もその分類でいいのか?)
 そういう扱いが正しいかどうか、私には分かりません。

 現代なら、占い師、マッサージ師、ヨガや気功指導?
 日本には、変人の居場所が少なすぎ…。


2019.7.14雲昌寺あじさい5 (336x448)

 そして、再び友人のヘルプコール。
 放火事件のテレビでめちゃくちゃ混乱!? 眠れない? それって心の病でもトラウマでもないんとちゃう?(何故か関西弁)

 世界には見てるだけで幸せになれるパワースポットもあれば、悲しみがあふれるだけの場所もある。ヨガと瞑想で感覚が研ぎ澄まされてくると、それが確固とした事実だと分かります。

「○○さん、感覚が鋭いだけだよ。あのテレビ映像には、実際に強烈な苦しみ、悲しみの念がそこにあって、伝わって来る。○○さんは、実際に恐いモノを見て、恐がっているだけじゃん」。

 まさか、友人がうつ病に至った根本的原因ってそれ? いじめられたり叱られたりしたお話は、私もよく聞かされていました。そのストレスの原因に、強い不安感があるのだと。友人は、精神分析を受けていたはずです。
 イロイロ見えたり感じたりする霊能者が、精神病院で妄想扱いされるって、実際によくある話だったの!? そして薬漬け――なるほど、カウンセリングはほとんど無意味。
 精神科医が一流でも、必要な専門分野がずれていては対応不能でしょう。

「あなたの反応は、病気じゃなくて当たり前だよお。ホンマ、ホンマ」。

 そのやさしさに祝福を! でも、今はまず自分が幸せにならなくちゃ。
 ヒトは生まれながら、真我では幸せなんだから。
――アレ? 普通とか当たり前って、今まで言われたことが無かったの?――
 
 霊的修行の最終目的は、本当の自分自身に気付くこと。

 ラマナ・マハルシの智慧の道、ギャーナ・ヨガの瞑想では、肉体が自分ではないと知る訓練をします。それができたら、感情と感覚も、自分ではないと分かってきます。そのようにして余分な殻を脱ぎ捨てていき、最終的に、悟りに至るのです。至福の真我に。
 ヨガと瞑想関係の本には、肉体や感情、感覚の構造が詳しく書かれています。西洋医学的構造でなく、霊的な構造です。そして、それらすべては、自分ではなく、自分の付属物に過ぎないということも書かれているのです。専門的な名称は、さまざまですが、どれも、意味するところは同じです。

 友人に伝えました。

 世界は悲しみに満ちているように見えるけれど、それもまた幻。
 あなたの悲しみではない。あなたが悲しむ必要はない。
 自分自身の感情にも、他人の感情にも巻き込まれる必要はない。
――可哀そうな人達のためには、遠くから祈ってあげて。
 
 意識を内側へ向けて、あなたの考えがどこからやって来たのか、確かめましょう。 
 ほうら、内なる自分をちゃんと見てみれば、ちっとも悲しくない。
 それは、あなた自身の本性です。

 あとは、生身の人間の、意地悪やいやがらせ等々の、悪い感情に巻き込まれないようにしましょう。
 そっちはこれからスタートだね。


     2019.7.14雲昌寺竹林 (336x448)

テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

知識よりも――至上の純粋さこそ

 スピリチュアルに興味を持つと、その周辺のいろいろな情報が集まってきます。

 環境保護はいいけど、どこまで自然優先? 
 ヴェジタリアン、ヴィーガン、マクロビオティック、断食。加工食品は?添加物は?
 お金儲け、ドレスや宝石ともかく、パワーストーンは?
――結婚とか、オトコに興味ある?


2019.6.23郷土の森アジサイ3
 
 いや別に、肉食べても、エッチしても、それで直ぐに高い境地から落っこちる訳ではないんですけれど。

 例えば、ヨガは体の浄化。体がすっきりして、集中力がアップします。
 野菜中心の健康な食事もまた、体を浄化してくれます。すっきりと清らかな気分になります。
 肉体感覚は、精神状態に直結しているので、その種の修行が、瞑想を助けてくれるのは、事実だと思います。肉体、イコール自分という感覚が強ければ強いほど。

 でも、体の浄化以上に大切なのは、心の浄化ではありませんか。
 ホントの自分とは何か? そんな風に意識を内側に向けること。それこそが、心の浄化です。

 すべての原因は、外側の世界でなく内側にあるから、誰も責めない。疑わない。傷つけない。嘘やごまかしをしない。
 そんな清らかさ、純粋さが、何よりも尊い。

 皆みんな、誰でも嘘ぐらい平気でつくって思っています。俗世間で生き抜いていくのに必要だから??
 そうして、傷つけあって生きて――。


2019.6.23郷土の森アジサイ1

2019.6.23郷土の森アジサイ4

 ところで、心の浄化といいますが、実際のところ、どれくらい清らかになればいいのでしょう。解脱の準備OKなのでしょうか。

 ホーリーマザー、サラダ・デヴィさんの清らかさときたら、小学校の低学年レベルでした。ことによると、言葉を話し始めた幼児くらいかも。夫、兼師匠のラーマクリシュナさんの助けがあってこそ、そのまま社会生活ができたのでしょう。
 ラマナときたら、16歳の少年のまま。時折見せる笑顔は、3~5歳児のよう。

 お釈迦様は、弟子のすべてに出家を勧めました。独身主義、質素、正直さや献身や人助け等々。どこの宗教宗派でも、真理や哲学とは直接関係なさそうな戒律が、山ほど作られています。

 解脱、悟りに至るのに必要な清らかさ。それは、俗世間から見ると、危うい、あり得ないくらいのレヴェルである、というのが多分答えです。


2019.6.23郷土の森アジサイ5

 キララ、キララ、赤ん坊のようなラマナの瞳。
 子どものままの純粋さで、生きていればいいだけのこと。

 難しいでしょうか。まあ、確かに。
 原始仏教は、弟子全員に出家を勧めて挫折したとか。釈迦国、滅んじゃってるし。

 私の場合は、社会生活ボロボロ。
 無心に遊ぶ子供のような雰囲気で、お仕事していると、ふざけてるみたいだって。
 愚痴を言ったらキリが無いけれど、純粋さも、純粋さの価値も、びっくりするぐらい理解されません。
  
 それでもまた、神仏の姿を見たりお告げを聴いたりするのは子ども、というのが歴史的事実でしょう。もしくは子供のような純粋な方。
 知識不足、経験不足で、感情のコントロールもできないお子様でもOKでしょうか? 確かに、チャネリングや霊視のできる霊能者には、そういうタイプが少なくないかも。正しいお告げと勘違いがごちゃまぜだったりして…。

 お告げを下さる霊や神様?はきっと、そういう方々が大好きなんだと思います。これは、間違いありません。
 世間の常識と神様の常識が、ある意味では逆転しています。多分、私達みんなが考えているよりもずっとずっと、純粋さには価値があるのです。

 本をたくさん読んで、真理の知識をいっぱい集めても、何年も瞑想修行をしても、それだけでは16歳のラマナにかないません。何も知らない、素直で真っすぐな心こそが至上。

 内なる神、真我を求める修行にも、恩寵は必要。そして、恩寵無しに、瞑想の成功はないと、インドでは昔から言われています。
 恩寵と引き換えにできるモノはない。霊的修行にサットワ、純粋で清らかな心と体が必要だと。

 純粋な魂は、瞑想の手段であり、目標であり、結果なのです。


    2019.6.23郷土も森アジサイ6

テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

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Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

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