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三回東京・府中でラマナ・サットサン

      Ramana Maharshi (269x448)

 第三回 ヨガとインド哲学で哲学カフェ*
     ラマナ・サットサン


 府中で開くラマナ・サットサンです。
 哲学カフェ的に、気軽に話し合える会にしたいと思います。ギャーナ・ヨガ、知恵の道とは、基本的にそういう勉強スタイルですので、どうぞよろしく。

 「三昧、サマーディ―とは何か」というテキストを用意していますが、個人的な問題や、時事問題も、どんどん持ち込みOK!
 
 20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシの教えに基づいた、インド哲学のお話になります。ただし、あくまで私の実体験と解釈に基づいたものですので、悪しからず。

 前半は、固くなった頭と体をほぐすヨガで準備体操。
 そのあと、瞑想をします。
 後半は、こむずかしい話で盛り上がりましょう。

日時:12月21日(土)18:30~21:30
 ☆前半はストレッチします。
  後半のみ。または途中参加もOK。
会場:府中市市民活動センタープラッツ6階和室1(京王線府中駅直結)

参加費:500円以上の自由料金
※ 飲み物とお菓子の持ち込み歓迎。

 20世紀の南インドの聖者、ラマナ・マハルシは、10代の頃「死の体験」を通して自ら悟り、自己と向き合う真我の探求を指導しました。禅、あるいはお釈迦様の教えに近いといわれる瞑想法です。

 幸福とは何でしょう。
 お金も名誉も愛も、何ひとつ関係ありません。ヒトは生まれながら、幸福に生まれついているので。
 瞑想で感じる安らぎ、心の静寂は、本当の私達自身、真我からやってくるのです。
 必要なのはただ、私とは誰か?と問い続けることだけ。
 それがラマナ・マハルシの、真我の探求です。

*参加希望の方は、コメント欄に書き込んで頂くか、
 連絡先:090-1100-9962 福田まで

 皆様と共に、充実した時を過ごす、お手伝いができたら幸いです。
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テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

私は誰…57――夢見る小石

2019-01-16新城川 2

 今朝は、ラマナ・マハルシの夢を見ていました。一緒に秋田に来てくれて、裸で寒そうなのでコートを貸して、私の実家に一緒に泊まってもらいました。
 イメージできます?変??
 確かにアルナーチャラで、ずっと一緒だよって誓いました♡

 去年の秋に見たアルナーチャラのお山。隅々までエネルギーに満ちて……なのに、それがどのような種類の力だったのか、うまく思い出せません。私の「気」の感覚は、以前よりも鋭敏になっているのに、何故?
 例えるなら、秒速463メートルで回り続ける地球の自転音が、決して聴こえないようなものでしょうか。聴こえないのは、私達が既に地球の一部なので、感じる必要がないから。

 私もまた、アルナーチャラの一部なので、感じる必要が無いのだと、私の直観が教えています。
 あるいはまた、アルナーチャラのパワーと私との共振現象という見方もアリです。
 より強く、より深く、包まれて一緒になって。

 いわゆる気、などと呼ばれる霊的パワーは、波動の一種です。そのため、光や音や電磁波のような物理的な性質があると考えられています。様々な現象が、それで説明できるので。
 精霊や神仏が、電子機器の扱いが得意というのは、多分、「気」に敏感な方々の、共通認識だろうと思います。
 科学的には、あくまで仮説ですが。

 人間の肉体もまた、微細な電子回路で形成されています。それは、仮説ではなく科学的事実。故に、「気」と肉体の電磁的な共振、共鳴というのは、ありそうな仮説といえます。

 強い共鳴現象が起きると、個別の波長という「個」の区別が失われるのかもしれません。
 私とラマナと、私とアルナーチャラと、どっちがどっちなんだっけ?

 それは、私の感じている私のすべて。


2019-01-01不二一元2

 ラマナの夢を見る方は、たくさんいらっしゃるようです。夢って何でしょう。

 神仏の夢や夢のお告げや預言は、古くから知られています。心理学者にも、ある程度?認められている現象です。
 
 夢はあいまいで、幻そのもの。けれど、意識下の繊細な感覚が、映像化されている世界である、という意味では、精神的現実である、ともいえます。現実以上に!? 
 インド哲学の表現を使うと、肉体などの物質が粗雑体、アートマン、真我は超微細体。夢は、精神や神経の場である微細体に属します。つまり、現実よりも、真我に近いということ。
 夢は、真我、神様からのメッセージが現れやすい場なのです。

 ラマナは、深い眠り、心理学的には深層意識やノンレム睡眠の世界について、繰り返し繰り返し説いていました。自分が誰かを知れと。深い眠りの幸いを思い出せと。
 深い眠りは、悟りとほぼ同じ。それは、私の実感と一致しています。寝るだけで悟りは開けない(甘い!)けれど、夢をクリアに意識して見る努力は、霊的な気付き、悟りへのヒントになると言われます。

 私が初めてアルナーチャラの夢を見たのは、25年も昔。岩山を歩くラマナが、振り返って私を見ていたっけ。
 シヴァ神の夢。恋!?
 思い起こせば、その種の夢は、重要な点に関して、ひとつ残らず真実でした。
  
 どうか、忘れないでください。神仏の夢が特別なものであることを。願望や恐れやご都合主義で現れる夢とは、別種だと。心理学的にも、占いや伝承からみても。
 ヒトは誰でも深層意識では神仏、真我です。夢が本物の真我からのメッセージ、神の現れでないと、どうしていえるでしょう。

 手元にアルナーチャラの小石。改めて確かめると、この石の気配と、私の気配がほとんど同じになって、不二一元のノンデュアリティになってしまっている。

 常識の世界から、どんどん離れてしまう!? 
 私は、何を恐れていたのでしょう。
 神様も悟りも、ちっとも特別ではなくて、それが、生まれつきの自然なのに。

 私もまた、日本に放り出されたアルナーチャラの小石みたい。

テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

私は誰…56――サドゥです、と言っちゃう意味

 街のヨガ教室も、マッサージや占いも、続けるためには営業だって大事です。しかし、オリジナルの瞑想体験で指導するとなると、ちょっとばかり厄介です。「その手」の一般的なキャッチコピーって、
「私はスバラシイ体験をした。」
「このスバラシイ教えで皆が救われる?」
「とにかく、みんな自分の望みの幸福を手に入れてハッピーな人生?」
そんな感じ?

 あ、ダメ! なんか痒くなってきちゃった。私は、元々、そーゆー思考停止系の宗教がだいっ嫌いで。
 立派な修行者なら、ほっといても人格を慕って人が集まる筈⁉  という突っ込みが入りそうですね。一理ある。しかし、正しいことをしても正しいことを言っても、理解されないレベルの変人っていうのも、世の中にはけっこう居るわけで…。
 目の前のヒトの言動が分からないっていうのは不愉快です。不愉快なものは、きっと悪いもの。レベルの低いものだろうっていう考え方は、普通だし一般的でしょう。

 ところで根本的に、世間では、というよりもヒトには、悟りも、空も、神様も、理解できなくて当たり前です。(ちゃんと理解出来たら、もう解脱間近?)
 よく分からないけれど、そういう神秘的な世界って、きっと素晴らしいんだろうなって、皆様に理解(誤解?)してもらいたい。そのために、各種聖典や古今の名著があり、お寺や教会があるともいえるのです。
 名声、資格。すなわち、社会的地位による公認! 

 オリジナル瞑想体験は、誰も知らない私だけの秘密。公認というカタチがありません。私は、「不愉快で性格の悪い」アウトサイダーとして生きるしかありませんでした。
 「よく分からないけれど、素晴らしいはず」という見方と、「よく分からないから悪いはず」という見方の間に横たわる、途方もない距離! 

 それが、現在の私の立ち位置です。ため息をついてもしょうがない。
 私は私。
 
2018.8.3帆船みらい1

 ラマナ・マハルシの弟子を自称する、ラマナの熱心な信奉者は、たいてい自称サドゥです。
 自家出家僧、放浪僧と訳される、修行者サドゥ。それで生きていけるなら、貧しくても幸いです。ただし、無資格者の托鉢や寄付集めは、日本では法律違反なので要注意。
 仏教にはお坊さんが居て、キリスト教には神父さん、牧師さん。神社には神職。ムスリムにもユダヤ教にもその種の専門家がちゃんと存在します。ヒンズー教も同じ。認定方法は、それぞれの宗教宗派によって違うけれど、それぞれに決められた修行や手続きが必要とされています。それが世界の常識です。
 サドゥのような、無資格の人間が托鉢するのを認めているのは、インドくらいでしょう。

 二千年以上昔、勝手に家を捨て国を捨てたお釈迦さまは、お坊さんではなくサドゥでした。厳密にいうと、修行するプログラムが有る僧院、というシステムを最初に作ったのが、お釈迦様。だから、それ以前の修行者はみんなみんなサドゥでした。
 もちろん、昔も今も、巫女や預言者、修行者、聖者等々は、世界中に存在していました。しかし、教えと修行を体系化し、その専門家が定住する団体、僧院をキチンと作ったのは、お釈迦様が最初であると伝えられています。
 今も昔も、自分で勝手に出家するサドゥが居る。それが、インドの大切な伝統なのです。偉大な先人達が、サドゥとなって真理を伝えたのだから。

 家出少年となって、聖地アルナーチャラへ勝手に住み着いたラマナも、サドゥでした。

 「死の体験」以後、心が俗世間の人間とは遠く離れてしまった少年は、兄から、勉強もせずに瞑想ばかりしていることを責められ、俗世間にもはや、自分の居場所がないと気付いたと云います。

 私の非常識な言動、仕事について等々を責めたのは誰だっけ? 悪口も、的外れなアドバイスも、たくさんたくさん…。私もまた、心が世間の常識の世界から、遠い遠い所へ離れてしまった場所の住人。普通に就職して仕事して、霊的世界について語らずに暮らしていくのは、とうてい不可能です。――分かってる。
 しかし、日本で生きている私は、サドゥを名乗って生きることができません。資格の為だけに、興味のない勉強をするも、できそうでできません。私じゃない私のフリをして、就職して失敗したように。

 私は、何のために生まれて来たのだっけ? 生きてこの肉体に止まって居る理由とは⁉ 
 誰の助けにもなれないなら、今此処で生きている意味がない。
 私の智慧を誰かの役に立てて、お仕事にする以外に道がないとしたら。

 それにつけても、自分の霊的体験を話すのは、私にはとても難しいことです。超常現象を抜きにしても――
①サマーディ、真我の体験は、深ければ深い程、話すことも表現することも難しくなる。
②そもそも、認識する自己が無くなっている状態で、「誰が何を悟った」と言えるのか。
③結果として、「私は〇〇を悟りました」と明言している世間の自称覚者たちへの、悪口みたい。それもイヤ!
等々考えていたら、なんだかドンドン恥ずかしくなってくるのです。

 既成宗教の批判というか悪口は、お釈迦様もイエス様もやっています。けれど、昔は昔。そこには、数千年の時の隔たりがあります。
 現代の私達には、数千年分の智慧、後知恵のストックがあります。

 最高の智慧を持つ「カミ」が、ヒトの科学者や社会学者や思想家よりも、無知に見える間違いだらけの聖典、教義。それらに基づいた、終わりなき抗争。現代では、宗教や哲学が、世界の良識よりも遅れているように見えるんです。(だから、宗教的発言をするのって恥ずかしい)。
 21世紀は、分離ではなく融合の時代。民族や宗教、性別、障害、LGBT等、お互いの違いを、個性として認め合うべき時代ではありませんか。宗教も個性と考えることは不可能なのでしょうか。
 「群盲ゾウをなでる」という古いことわざ。星の数ほど数多くの聖典も、神の智慧という巨象の、ほんの一部しか表現できてないという例えです。みんな智慧の足りない群盲なのだから、それぞれ違っていても、しょうがない。
 空やサマディーの説明って、物理学で、宇宙の果てに関する説明を聞くような感じ。すべてを語り尽くすことはできないし、語ったところで理解不能。取りあえずは、みんな言葉が少しずつ違っていても、巨象=真我に触れたことが大事です。

 「死の体験で自分が肉体ではないことを知った」というラマナ。
 実のところ、「肉体が自分ではない」という感覚知は、三昧=サマディーでは初歩の段階に過ぎません。そのさらに向こうに、もっと深いサマディー、真我があります。
 とはいえ、ラマナの場合はそれがウリだった⁉……自称弟子たちにとっては、ですが。
 
 その証拠に、ラマナは信奉者たちに、「死の体験を実践しなさい」とは教えていません。ただ、「who am I?」「自分自身が本当は誰なのか知りなさい。」と、繰り返しました。

 私も、自分のやってきた自己流の修行法を、そのまま真似しなさいとは、ヒトに勧ません。
 私は多分、人並み外れて純粋で、人並み外れて集中力があって、自分ひとりでとことん考えるタイプの少女でした。ラマナのように? 思春期だからこその無鉄砲、チカラワザで瞑想できちゃった感じです。
 瞑想の失敗の大部分は、集中力と純粋さの不足といわれています。その詳細は、ややこしくなるのでいずれまた。

 世界は、真理と調和という美しいさざ波にキラキラと揺らめいています。愛と呼んでもいい。
 幸福と愛を思い出す。それは簡単で難しい真理。
 簡単だけど、簡単でないのが、真理を求める道。

 そして幸い。
 
 けれど、ちょっとだけ悲しかったのは、理解されないことによるいじめや嫌がらせや、勝手なお説教etc..
 もっと悲しいのは、お坊さんでもカウンセラーでもないから、助けられる人を助けられないこと。
  「性格の悪い」私のアドバイスなんて要らない? 


2018.5.17矢車2

 ちなみに、インドでは教わらずに、幼くしてサマディーを体験する人をアバター、神の化身と呼びます。普通の人間が修行してなるのが聖者だそうです。ラマナは別名「沈黙の聖者」のはずだけれど、「シヴァの化身」という説も確かに聞きます。インドと日本の文化的差異を、翻訳できてなかった? 
 スピリチュアルの世界では、瞑想の才能の差は、前世までの修行の差である、というのがよく知られた説です。ネットでは、生まれつきの霊能者や宇宙人等々、氾濫しているようだけど? 
 一元論、区別がない境地では、ちっぽけなエゴも、真我も、サマディーの区別も無意味です。聖人たちの区別にも、意味があるとは思えません。

 必要なのはただ、わかりやすい自己紹介、なのでした。

 ラマナやラーマ・クリシュナさんやサイババさんが、一流のアバターなら、私は三流のアバターってところ? あるいは、経歴が似ているから、ラマナ・マハルシの粗悪なコピー。

 そんな感じで締めくくろうと思っていたら、ラマナのお写真からお叱りの声。
 「三流とか粗悪とかいうな!」
 はい、ごめんなさい。
 取りあえず、サドゥっていうセンで。

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

ご機嫌斜め中――癒して癒されたくて

 私は、この頃ご機嫌斜め。
 瞑想の達人!?ともなれば、自分の深層意識を把握していて当然です。うん! 
 僧籍も学位も、カウンセリング資格も無いから、何の証明もできないけれど。

 ようするに、私は現在、心が疲れて安静が必要な状態ってことです。


2018-01-31スーパーブルーブラッドムーン

 精神医学、カウンセリングで扱う心の領域は、深層とはいっても、真の三昧(サマディー)ほどには深くありません。超能力などを研究する学者さんもいらっしゃると思いますが、深層の真我=神。神ご自身を分析できているハズもなく。
 だから、私には心理学ってカンタン。もっとも、自分自身の深層意識を把握して行動できるとしたら、それはもはや隠された深層ではないので、エート!?? キャラは元から崩壊か? 

 根本的に、日本語の心という言葉ってアバウト。インド哲学なら、心はアハンカーラ=自我、チッタ=記憶、ブッディ=判断または良心、マナス=想像または感情と4分類。英語でも、mind=考える心、heart=感じる心と2分類です。
 心を病む、という場合の心は、インド哲学では神経の鞘と呼ばれる部分に当たります。名称や分類法は、翻訳者によってさまざまですが、肉体の鞘、神経の鞘、意識の鞘等々。いちばんの内側の鞘が、魂、真我に相当する歓喜の鞘。それは、絶対に傷つくことも病むことも無い、永遠、普遍のものとされています。

わたしたち、ホントのホントはいつだって幸いで完璧だよ!

 非科学的? 確かに、西洋医学には今は未だ無い身体概念ですが、証明される日はそう遠くないでしょう。
 だから、私は心ではなく「神経」という言葉を使いたいと思います。

 みんな、神経が傷ついて動けないヒトを前にすると、「もっと頑張れ」「もうちょっとやる気を出せば」って言ってませんか。精神医学の本にはどれにでも、「励ましたらダメ」「頑張らせるな」と書いてあるのに。
 しかし、その種の勘違い、無神経を笑うことはできません。他人に同情するには、共感できるイメージというものが必要です。運動しすぎて体が疲れたり、怪我や病気をした場合なら、イメージするのもカンタン。治療やお休みが必要だと、すぐに納得してもらえます。神経の傷の方は見えないから、イメージしにくい、というのが根本的な問題なのです。
 その結果、全治六か月以上の心的外傷も、人格崩壊の危機でも、必要な支えを貰えない。それがこの世界の常識です。病人が無理をして(させられて)、病をこじらせて悪化。心の風邪ともいわれるうつ病でさえ、実際にはなかなか治らなくて、苦しんでいる人がたくさん、たくさん…。悲しいけれど、世間ではよくあることです。
 
私には、そのイメージがアリアリと見えるのに。 
病人を病院の替わりにジムへ行かせるようなアドバイス、止めようよ。


 私はご機嫌斜め中。私の場合、深層=表層なので、自分の神経の状態を観察、分析、把握して、休ませています。例えば、こんな感じ。

――例えば、店先や駅や各種窓口などで、意味もなく待たされたとき、何分でキレそうになる? 例えば、大切な約束に、意味もなく遅れがち。5分? 10分? 時間の感覚が変。例えば、好きな映画やドラマ。盛り上がるはずのシーンが、耐え難い。例えば、大好きなスキーにやっと行けたのに、ゲレンデやリフトで緊張して吐きそう――。

 つまり、好きでも嫌いでも、スリルはすべてストレスになってしまっている。
 暑いのも寒いのも、眩しいのもうるさいのも、蒸れた下着もゴムの感触も、つまらないテレビも、使い慣れないスマホも、何もかも耐え難く、苦しい。苦しくて、堪らない。

 うわ、これってボロボロ。私の神経は、かなりひどい病的状態にあるようです。医者の診断よりも確か?(多分)
 体の傷がヒリヒリ痛むように、私の神経がヒリヒリと悲鳴を上げています。苦しい。
 病院に行って訴えたら、安定剤をたっぷり貰えるでしょう。

 私の場合は、瞑想のテクニックで気持ちを安定させられるので、薬は要りません。アルコールも麻薬も必要なし。(真実の愛と甘いお菓子は少々欲しい…)。

 瞑想も、マインドフルネスも、癒しの効果は抜群。内なる幸いが、いつでも見つけられるはずです。お勧めです。

 ただし、この安静状態は健康状態ではないので、無理はできません。超虚弱で繊細な体調、神経状態であることに変わりはありません。ちゃんと治るには、それなりの時間が掛かるものなのです。今のところ、人並みな言動を保つには、人並み以上の努力が必要です。――疲れるなあ。

 そして、私の場合は達人過ぎて、別の問題が生じます。
 真我は、至福の境地。内なる喜び。つまり、外側に原因がない純粋な喜びです。私の笑顔、意味不明の笑いっていうことになっちゃいます。人はそれをどう解釈するでしょうか。優しそう? 幸せそう? それならうれしいけれど、気味の悪い思い出し笑いやあざ笑いに見えることもあるようです。何しろ私って、「根が神経質」だし。
 そして、もうひとつ、瞑想に入っている私は、誰に対してもエラそうなため口です。高僧も社長も、犬猫も同じように𠮟責(きゃあ~!)。だって、自他の区別さえどんどん曖昧になっちゃうのだもの。(プチ・サマディー?)半分チャネリングしながらしゃべっている、とイメージすれば近いでしょうか。
 しかし、世間の常識って、心の傷のように見えないものは無いというレベルでしたね。
 私のこの変人レベル、後から説明しても意味不明。僧籍も学位も、カウンセリングの資格も無い人間の、くだらない言い訳に聴こえるかもしれません。困ったものです。


紫花菜1

 私はご機嫌斜め中。この神経の傷って、全治六か月くらい? 治療期間は、新たなストレスがやって来ない場合を想定しているのが、難しいところ。

 ナニ? そろそれ新しい仕事を探して、働け?
 無理! でも、少なくとも心の病には詳しいので、そのような方に寄り添ったアドバイスなら、できるかな。
 何よりも、他人を助けるのって、助ける側にとって、最高の癒しです。
 私は、誰かを助けたくて仕方がないのです。
 もちろん、瞑想と真理についてのアドバイスも得意中の得意です。

 各種質問OK。その手のご依頼、お待ちしています。

テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

番外編―神様とおしゃべりって科学的にアリ?

2017.8.15千秋公園ハス1 (448x309)

 これって、「ラマナ・マハルシとおしゃべり」というタイトルのブログなんですけれど、「実際に話をしているはずないじゃん」と思っている方も、今回は眉に唾を付けたままでいいので、最後までお付き合いください。
 
 科学的に正体不明でも、あるのが常識と信じられているモノの代表に、マッサージのツボがあります。実際に効きますよね?
 各種霊現象、超常現象って、私の中ではすでにツボ程度の既成事実なんです。
 それでも、未体験の現象は無数にあって、びっくりさせられる日々です。先日も実は…。

 その前に、そもそも、私って霊能者なの?


2015.12.1明治神宮

 お釈迦様は、元来、神霊も超能力も転生もスルーして教えていました。(知ってたはずだけど)その原点に近い禅宗もまた、その種の現象に関して虚無主義、懐疑主義です。すべては、幻に過ぎないから、神に逢っては神を殺し、仏に逢っては仏を殺し、無我の境地に至るべきであると。
 逆からみると、そういう現象が実在することが、経験として知られてきたという証しです。全く信じていなくても、現れてしまう。真の悟りではないけれど、その少し手前の道の途上で確実に出会うと。

 それはヨガでは、チャクラが開く、あるいはクンダリニー覚醒と呼ばれている現象です。

 科学は、そのような現象を、どこまで解明できているのでしょう。宗教に直結する分野なのでスルー? それでも、臨死体験に限ってなら、資料が多数ありました。臨死体験と宗教体験の類似性は、知る人ぞ知る常識です。研究者の涙ぐましい取り組みには、全く頭が下がります。
 それにつけても、実在する現象であるという、存在の証明は、困難です。優秀なはずの能力者も、実験の現場では成功したり失敗したり。同じ条件なら、誰がやっても同じ結果を再現できるという科学的再現性が、得られないようです。

 私の推測では、これらの実験には、前提となる科学的条件が足りません。そもそも、超常現象を引き起こす未知の微粒子や波動がどのようなものか分かっていない段階で、100%の科学的再現性を期待するのは、無理というものでしょう。

 一方、そんな現象は無いという否定の証明も困難です。嘘つきを探してきて、すべての霊現象を嘘と決めつけるのは、科学ではありません。存在しないモノを存在しないと明言するには、世界中の事例すべてを検証しなければなりません。古今東西のすべての霊能者と霊現象を対象として。これは、論理学でいわれている悪魔の証明、不可能証明になってしまいます。

 それでも、多少分かっていることはあります。

 超常現象を引き起こすのは、電磁波ではありません。しかし、電磁波に近い性質を持つものではないかと推測されています。電磁波の強い場所で霊現象が起きやすい、強い霊能力は磁場を狂わせる等などの現象が知られているためです。
 20世紀の聖者は、神様というラジオ局にチューニングせよと教えました。今なら神様ネット、宇宙ネットにプラグオンかな。媒体は?

 臨死体験の本の中では、霊現象の実在の検証例として、幽体離脱体験をあげていました。幽体離脱中の体験が、実体験なのか、夢なのか、証言者は噓つきかどうか。検証の結果は、著者自身が疑念を晴らせず五分五分…。

 カギは、証言者の信頼性でしょうか。しかし、世の中には疑うことも騙すこともできない存在があります。それは、自分自身です。自分がそのような体験をしたら?

①私は十分に冷静で明晰な状態か? YES!
②私はトリックやごまかし行ったか? NO!
③他人が私にその種のトリックやごまかしを行った可能性はあるか? NO!
④私に、嘘やごまかしをする動機や技巧はあるか?潜在意識も含めて。 NO, NO!


    2017.7.2長野1

 例えばある日、私はカメラのモニターを覗き込んで、目を白黒させていました。パワースポットを眺めている私の目には、普通の風景しか見えません。しかし、レンズを向けたモニターの中には、霊の顔と正体不明の光がはっきりと見えちゃっていました。
 モニターの中でだけ見えていて、確実に写せる。それってまるで、ポケモンGOだあ!

①リアルに見えない私は、全く普通の正常人。
②私のコンパクト・デジタル・カメラに、通信機能もゲーム機能もない。

 要するに、これって科学的再現性のある霊現象だったりして!

 何故、そしてどうやってそれが起こるのか? そのシステムは分かりません。しかし、座敷童がスマホで自撮りするという噂も、聞いたことがあります。多分、コンデジ、スマホ、ポケモンGO等のデリケートな電子機器の操作は、霊現象の主の得意分野なのでしょう。

 いちばん妥当なのは、霊現象の正体は、意思と目的を持つ電磁波に近いものであるという仮説です。エーテル?
 ところで、自分自身の意思と目的を持つとは、自我、心を持つという概念に相当しませんか。個我、アートマン、何と呼んでもかまいません。つまりは肉体を持たない魂が実在するという仮説なのです。
 これは、すごくすごく大事なテーマです。宗教だからってスルーしないで、科学者たちが立証してくれる日が待ち遠しいです。


2017.8.15千秋公園ハス3 (448x336)

 さて、ここからが本題。神様とのおしゃべりが、アリかナシか。大事なのは、お話の中身の方ですよね。

 実は先日、大切な友人の未熟な言動にびっくりして、罵ってしまいました。正式の団体の正式のイニシエーション(洗礼)を受けて、長年修行をしている方なのにと。

 実のところ、私にとって、イニシエーションも各種資格もほとんどナンセンスなんです。
 二十世紀の大聖者ラマナ・マハルシは、イニシエーションを与える、つまり正式の弟子を取らない方でした。グル(師匠)と弟子の区別もなければ、人間と動物の区別もない。だからこその平等と平安です。
 結果として、今も昔もアルナーチャラのラマナ・アシラムには、教団も教義も無し。ただ、「who am I?私は誰か」の言葉だけをよりどころに、彼を慕う「自称弟子」たちがそこに集ってくる。それだけです。

 嘘や間違い、ごまかしは世俗の世界では当たり前。怒る私も未熟…。けれど、信仰や修行に直接かかわる問題ともなると、引くに引けない感じでした。真実、真理を命を懸けて愛しているから。

――失望、悲嘆。

 すると翌日、聖なる御方の優しいイメージが現れて、「彼は私の息子達のひとりです。許してあげてください」と私に告げました。

 生身の人間のように、姿が見えた訳でも声が聞こえた訳でもありません。しかし、その気配と印象が、私自身の内側にはっきりとしたメッセージを残しました。母の悲しみ、母の慈しみ、深い愛と優しさが、私自身の中にもある?
 重いカルマを軽くしてくださるというその御方。ちょっと過保護なお母さんみたいだけれど、その愛情深さ、絆の強さに完敗です。

 ああ、それがイニシエーションの意味だったのですね。
 そしてまたそれは、庇護をうけるその人自身が真面目に修行をしてきたという証し。尊い素晴らしいことではありませんか。

 神様と、あるいは今は亡いはずの聖なる存在とお話ができるかどうか。
 私が正直で正気だから、信じてくださいというだけでは、科学的証明は不十分だけど、これがワタシ。私は、そのような日常を生きています。
 何ができるでしょう。この私に。

 その御方の言葉を、友人に伝えました。
 愛は伝わったでしょうか。見せてあげられたらイイのに。

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プロフィール

Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

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