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知識よりも――至上の純粋さこそ

 スピリチュアルに興味を持つと、その周辺のいろいろな情報が集まってきます。

 環境保護はいいけど、どこまで自然優先? 
 ヴェジタリアン、ヴィーガン、マクロビオティック、断食。加工食品は?添加物は?
 お金儲け、ドレスや宝石ともかく、パワーストーンは?
――結婚とか、オトコに興味ある?


2019.6.23郷土の森アジサイ3
 
 いや別に、肉食べても、エッチしても、それで直ぐに高い境地から落っこちる訳ではないんですけれど。

 例えば、ヨガは体の浄化。体がすっきりして、集中力がアップします。
 野菜中心の健康な食事もまた、体を浄化してくれます。すっきりと清らかな気分になります。
 肉体感覚は、精神状態に直結しているので、その種の修行が、瞑想を助けてくれるのは、事実だと思います。肉体、イコール自分という感覚が強ければ強いほど。

 でも、体の浄化以上に大切なのは、心の浄化ではありませんか。
 ホントの自分とは何か? そんな風に意識を内側に向けること。それこそが、心の浄化です。

 すべての原因は、外側の世界でなく内側にあるから、誰も責めない。疑わない。傷つけない。嘘やごまかしをしない。
 そんな清らかさ、純粋さが、何よりも尊い。

 皆みんな、誰でも嘘ぐらい平気でつくって思っています。俗世間で生き抜いていくのに必要だから??
 そうして、傷つけあって生きて――。


2019.6.23郷土の森アジサイ1

2019.6.23郷土の森アジサイ4

 ところで、心の浄化といいますが、実際のところ、どれくらい清らかになればいいのでしょう。解脱の準備OKなのでしょうか。

 ホーリーマザー、サラダ・デヴィさんの清らかさときたら、小学校の低学年レベルでした。ことによると、言葉を話し始めた幼児くらいかも。夫、兼師匠のラーマクリシュナさんの助けがあってこそ、そのまま社会生活ができたのでしょう。
 ラマナときたら、16歳の少年のまま。時折見せる笑顔は、3~5歳児のよう。

 お釈迦様は、弟子のすべてに出家を勧めました。独身主義、質素、正直さや献身や人助け等々。どこの宗教宗派でも、真理や哲学とは直接関係なさそうな戒律が、山ほど作られています。

 解脱、悟りに至るのに必要な清らかさ。それは、俗世間から見ると、危うい、あり得ないくらいのレヴェルである、というのが多分答えです。


2019.6.23郷土の森アジサイ5

 キララ、キララ、赤ん坊のようなラマナの瞳。
 子どものままの純粋さで、生きていればいいだけのこと。

 難しいでしょうか。まあ、確かに。
 原始仏教は、弟子全員に出家を勧めて挫折したとか。釈迦国、滅んじゃってるし。

 私の場合は、社会生活ボロボロ。
 無心に遊ぶ子供のような雰囲気で、お仕事していると、ふざけてるみたいだって。
 愚痴を言ったらキリが無いけれど、純粋さも、純粋さの価値も、びっくりするぐらい理解されません。
  
 それでもまた、神仏の姿を見たりお告げを聴いたりするのは子ども、というのが歴史的事実でしょう。もしくは子供のような純粋な方。
 知識不足、経験不足で、感情のコントロールもできないお子様でもOKでしょうか? 確かに、チャネリングや霊視のできる霊能者には、そういうタイプが少なくないかも。正しいお告げと勘違いがごちゃまぜだったりして…。

 お告げを下さる霊や神様?はきっと、そういう方々が大好きなんだと思います。これは、間違いありません。
 世間の常識と神様の常識が、ある意味では逆転しています。多分、私達みんなが考えているよりもずっとずっと、純粋さには価値があるのです。

 本をたくさん読んで、真理の知識をいっぱい集めても、何年も瞑想修行をしても、それだけでは16歳のラマナにかないません。何も知らない、素直で真っすぐな心こそが至上。

 内なる神、真我を求める修行にも、恩寵は必要。そして、恩寵無しに、瞑想の成功はないと、インドでは昔から言われています。
 恩寵と引き換えにできるモノはない。霊的修行にサットワ、純粋で清らかな心と体が必要だと。

 純粋な魂は、瞑想の手段であり、目標であり、結果なのです。


    2019.6.23郷土も森アジサイ6
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テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

訂正:沈黙――愛の言葉をもっと

2019.5.8武蔵国分寺公園から (2)

 これは、ゆるしの物語です。私自身の。

 世の中には、生まれながらに美しい人、生家がお金持ち等など恵まれた方がいます。スポーツの金メダリストも、一流のクラシック演奏家等も、幼い頃から恵まれた環境で指導を受けているのが普通です。
 インド哲学では、そのような幸運は前世の良いカルマの結果と説明されています。
 けれど、皆さん、それでホントに納得できますか? 私は、やっぱりちょっとうらやましい…。
 貧富の差が大きすぎると、テロや暴動の引き金にもなります。男女平等も、LGBTも、発達障害も含めて、せめて社会だけは平等になって欲しいです。

 それでは、瞑想の才能はどうでしょうか。それこそ、前世のカルマなのだけれど。

 この霊性の世界では、十年、二十年古今の書物を読みまくり、お祈りも体の行も瞑想も頑張って頑張って、それでも解脱できなくて当たり前とされています。そんなものかと思っていたとき、何でもサクサク分かる天才が目の前に現れたら、ヒトはどう感じるものなのでしょう。
 頑張って修行をして得た地位、社会的評価。自信。けれど、それらをすべて否定されたような気分になるのでしょうか。

 絶望? 嫉妬? プライドが傷ついた? 他人にウケたい、頭がいいと見られたい。他人にバカにされるいわれはない。そんな感じ?
 そんなもの、捨ててしまえば楽になるのに。捨てても、真実の自分が失われることはないから。

「そんなこと、できるわけない」
「タダの理想、理屈だ」
 それが常識なんでしょうね。
 でも、本当に? 

 ところで、私には「プライド」がさっぱり分かりません。
 自己流の修行を始めた中学時代、真っ先に捨てたのが「プライド」だから。

 瞑想の才能は、本人にさえ分かりにくいものなので、まして他人様にどう見えているのか、分かりません。……自分にカンタンにできることが他人に難しいのってなんでだろ?うーん?

 ここにアルナーチャラがあれば、あるいはラマナ・マハルシなら、何もいわずに「沈黙」の力で相手の心を満たすことができるだろうに。
 
 さて、プライドがちっとも分からない私は、世間ではいじめられっ子。ただし、その日は珍しく、私の方から怒ってしまいました。
 嘘やごまかしなんて、大嫌いだあ。

 そのとき、ホーリーマザー、サラダ・デヴィさんのイメージが現れました。
 私には、霊を直に見る才能が無いというか、無かったはずなので、ビックリ!

      holyMother.jpg
 
「彼は、私の息子たちのひとりです。許してあげてください」

 すべての宗教の融合、愛の道を説いた大聖ラーマクリシュナさんは、ラマナ・マハルシのちょっと前の時代の方でした。サラダ・デヴィさんは、その霊的な奥様です。大聖者が自ら見出して、幼い頃から教育した、本当の意味で一番弟子ともいえる存在でした。
 彼がサラダ・デヴィさんを、カーリー女神の化身として扱った話は、あまりにも有名です。
 彼女は、生まれながらにカーリー女神の化身だったのでしょうか。それとも、素晴らしい訓育の成果で、普通の女性に女神の性質が現れたのでしょうか。私には分かりません。その違いは、わずかかも…。
 分かっているのは、彼女が控えめで清らかな心の持ち主だったこと。文字がほとんど読めなくても、知性と愛に溢れた教えをたくさん残していることです。

 ただし、主婦の立場からの教えは、私にとってはあまり役に立ちません。私は99%ひとり旅、ひとり御飯の人生。
 それでも、「他人の欠点を見つけて何になりますか。あなた自身の心が穢れるだけです」は、シンプルにすごいです。彼女自身が、それを実践しているのですから。
 しかし世界には、一方的に精神的、肉体的な攻撃を受けるトラブルが、少なくありません。欠点や汚点を、無理やり見せつけられるのです。
   ――必要なのはゆるし――。

 息子をゆるせって?

 サラダ・デヴィさんとラーマクリシュナさんとは霊的な関係で、実の息子はいません。弟子たちや熱心な信奉者、熱心な修行者達のことでしょう。彼女は、悟りを求める人々すべての母ともいえる存在なのです。
 カルマの重荷を軽くしてくださる、力のある聖者だったとも伝えられています。

 どちらにしても、彼女の伝記に、こんな言葉はありません。私が勝手に考えたにしては、気が利きすぎているセリフだと思いませんか。
 そう、どうみても、私のキャラから出て来るコトバじゃない。

 そして、何より胸を打たれたのは、サラダ・デヴィさんが、彼の信仰の深さをちゃんと知っていたことでした。彼自身は彼女の幻が見えないし、聞こえていないはず――それでも、ずっとずっと見守っていらした。
 信仰、祈りって神様にちゃんと届いているものなのですね。気付くことができれば、すぐそこにある、神様がいらっしゃる。
 私は元々無神論で、信仰軽視タイプだから、それこそが衝撃!!

 そして、どうなったでしょうか。


2019.5.17立川病院爪草 (419x640)

 神を見るとき、そこに区別の感覚は失われます。それが、悟りとかワンネスとか見神等々の体験の神髄のひとつだと、伝えられています。愛と呼んでよいもの。
 つまり、彼が彼女の息子なら、私の息子。

 私は「私の愛する息子」に、腹を立てることができなくなりました。年上でも目上でも、欠点だらけでも、皆みんな私の困った息子達です。
 仲直りできました。

 いや、100年の前の聖者、神が現れるなんてあり得ない。霊現象なんて、幻覚。ギャーナ・ヨガ、智慧の道が大好きな方に、そういう意見があるのはごもっとも。
 他に、こんなステキな言葉がやってきた現象を、うまく説明できるなら。

 傷ついた心を真に癒しすのは、加害者を憎むことでも罰することでもない。ゆるしであるというのが、真実です。
 怒りや憎しみは、誰よりも何よりも、自分自身の心を傷つけるものだから。

 ホーリーマザー、サラダ・デヴィは、その「息子」を、もしかするとそれ以上に、私自身を癒してくださいました。
 そこで、聞いていらっしゃいますよね。

 ありがとう

 私も、そんなねじれた心を解きほぐす言葉を、いえるヒトになれるといいなあ。 合掌

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ジャンル : 心と身体

カルマの法則のその先へ

 サイの角を狙っていた密猟者が、ゾウに踏まれライオンに食われたというニュースが、ちょっとだけネットを騒がせて消えました。
「因果応報」というコメントを集めて。


密猟者ライオンに食われる

 因果応報。インド哲学の、カルマの法則に相当する仏教用語です。
 カルマはサンスクリット語では行為を意味します。自分の行いは巡り巡って、すべて自分自身に返ってくるというのが、カルマの法則です。良い行いは良い運命を、悪い行いは悪い運命を。
 それは、スピリチュアルに興味を持ったら、最初に覚えるべき宇宙の法則。だから、悪いことをしてはいけません、という風なお説教につながります。
 しかし、問題は多分、そこじゃない。

――ワタシは、何も悪いことをしていない。それなのに、何故、こんな不幸な目に合うの?
 カルマの法則が宇宙の真理なら、今、ワタシが苦しんでいる原因が、過去世のカルマのせい?
 ワタシが生まれてくる前の、ワタシの知らないカルマなのか――

 不条理な事故、災害、病、あるいは事件に巻き込まれ、大切な何かを、誰かを無くす。そんな苦しみ、悲しみが、今、この瞬間にも世界中にあふれています。遠いアフリカやアジアの果てだけでなく、私達の傍らにも、たくさんたくさん。
 だから、自分の苦しみの意味を知りたい。過去世のカルマに解決の糸口があるかもしれないと、考えるもののようです。

 私は、この記事の、因果応報というコメントの羅列が、どれほど悲しかったか。
 でもそれって、ホントの本当にカルマの法則の結果でしょうか?

 普通の日本人には、想像できないかもしれない。亡くなった密猟者が、「絶滅危惧種の密猟」という現代的モラル、法を犯しているとしても、家族を養うために命を懸けて仕事をしていたのかもしれない。他に生きるすべがなかったのかもしれないと。

    2019.3.28庭の紅梅

 お金のために生命を狩っているのは、実のところ、漁師も酪農家も、農家も変わりません。ヒトは、他の命を頂かなければ生きられないように生まれついているのだから。
 そして、貧しさゆえに、法を犯しても、奪ったり殺したりしなければ、自分と自分の家族を守れない人々が居る世界が、実際にある。それが当たり前のそんな世界では、密猟者は尊い自己犠牲者なのかもしれない。自分のモラルも、命までも捧げて生きて死んだのかもしれない。
 ヒトがAIとネットの助けを得て、ホモ・サピエンスからホモ・デウスに進化を始めているとしても、世界が5次元へアセンションしているとしても、私達の地球には未だ、無知と貧困で苦しんでいるヒトの方が多い。それが現実です。

 一方、犯罪は、あくまで個人の問題。貧しくても、犯罪者にならずに生きる道は、きっとある。犯罪を選ぶのは、やはり本人の悪いカルマである、というのも正論です。しかし、刑法を重罰化しても、犯罪が減らないのも、よく知られている事実です。

 他人を責める前に、理解したい。いつも、いちばん弱いもの、いちばん苦しんでいるもの達に心を寄せ、行動する人間でありたい。それが私の切なる願いなのです。悪人正機?

 内乱や、密猟や、森林伐採による、自然破壊。飢餓。アフリカから聞こえてくるのは、そんな悪いニュースばかりかもしれません。その原因を、欧米諸国による破壊と搾取の歴史だけで説明することはできません。
 現代の日本では、災害で街が徹底的に破壊されても、普通の人が犯罪者になることはありません。そういう社会です。その違いは、どこにあるのでしょう。

 原因はきっと他にある。解決法も、きっとある。日本に住んでいる私達に関係ないなんて、どうか言わないでください。地球を、愛の星に進化させたいと望む気持ちが、あなたに少しでもあるなら。


2019.3.28庭の紅梅2

 現代のポップスは、黒人音楽の強い影響を受けています。それは、アフリカ的精神の現れ。
 フレーズとリズムの繰り返し繰り返しが、今という時間を、感性のすべてで楽しむことの素晴らしさを語っています。
 それに対して西洋音楽は、メロディーとハーモニーで起承転結がはっきりしているのが特徴です。始まりから終わりへ、一直線に流れる時間、絶対普遍の時間が西洋的な時間感覚です。
 日本では、江戸時代までは絶対時間ではなく、季節ごとに違う時間でした。宵越しのお金は持たなかった?
 アフリカ的精神と欧米的精神では、時間の流れの感覚が、根本的に異なっています。過去は現在に記憶として刻まれ、未来は現在に可能性として内包されている。存在するのは、今この瞬間だけ。それが多分、アフリカ的時間感覚です。(コレ、私の大学の卒論とテーマが被っている…)。

 ちょっと待って? 今に集中して今をきちんと生きる。それは、マインドフルネス瞑想の入口で、明るくて楽しい生き方のベース。素晴らしいことではありませんか。
 明日、明後日のことを思い煩う必要はない。それが多分、アフリカが西洋文明にもたらした福音です。子供が生まれる前に、大学の学費を心配する日本人や欧米人と、今を生きて楽しむことが全てのアフリカ人と、どちらが幸せでしょう。

 西洋とアジアとアフリカと、どれが上とか下とか、よく知らないで判断するのは間違いという気がします。

 しかし、この時間感覚は、悪い方へ転んでしまう場合もあります。アメリカでは、貧しくても子供を良い学校へ行かせたがるアジア人と、貧しさから犯罪者予備軍に育つ黒人、という図式が常識のようです。人種差別の原因のひとつが、黒人社会の犯罪率の高さにある、とよく聞く話です。

 そして、アフリカ大陸の、終わらない政治的混乱、内乱。自然破壊。
 政治も教育も、十年先百年先を考えるのがグローバルスタンダートです。そんな時代に、今しか考えないのが常識の世界観は、対応できません。貧しさが追い打ちをかけて、皆が皆、自分の目先のことしか考えないから、犯罪に走ってしまうのです。
 犯罪が普通の世界で育ち、他の生き方が見つけられない人々の世界が、今も現実に存在しているのです。
 モラル? 因果応報? 誰が誰を罰するというのでしょう。

 カルマには、行為という以外に、心の癖という意味合いがあります。
 普通の人が犯罪に走ることが少ない日本にも、プロの犯罪者や、犯罪集団は依然として存在しています。彼らに、世界はどのように見えているのでしょう。
 もしかすると彼らは、奪わなければ生きられなかった古い過去世の性質が、今も抜けていないのかもしれない。平和が目の前にあっても、見えていないのかもしれない。人類の百万年?の歴史の中で、飢餓はいつも最大の敵だったから。
 ヒトは皆、自分の心がイメージした自分自身の反映された世界に生きているのです。

 密猟者が、家族のために犠牲になる人生を選んだのだとしたら、それはそんなに悪いカルマであるはずはない。絶滅の危機や密猟の危険などをすべて知りながら、サイの角を買い求める行為こそ、悪いカルマである。以上が私の見解です。

 あなたがもし、終わらない不条理、不幸に苦しんでいるなら、思い出してください。あなたが感じている世界が、あなた自身の心の現れ、思い込みで出来ていることを――。

 博愛や幸福がウソに見えてしまう、ゆがんだメガネで見える世界。欲望や妬み、悲しみ等々の方が本物に見える世界。それこそが、カルマ、心の癖です。それに気付くことができたなら、苦しみはもうじき終わるはずです。
 自分で選んだ世界で、自分自身の未熟さに気付いて成長する。ヒトは誰もが、世界を作っている神である。それこそがカルマの法則なのだと、私は考えています。

 地球のため、この世界のため、私に何ができるでしょう。
  教育の普及と経済の支援は、もちろん必要です。私には無理だけど。
 愛と助け合いで生きる道がある。そういう社会が作れると、発信し続ける。
 今は、それだけ。


2019.4.8国立の桜1

テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

はみだし者達へ、LOVE LETTER

     2019.1.7唐松神社1

 心の病って、体の病と違って、見えないから分かり難くてもしょうがない? 
 そんなことはないはずです。目と耳と、こころを開いて向き合えば。

 例えば、死ぬこと。誰にとっても、最高に悪いこと、悲しいこと、怖いことですよね。
 モノの本に、肉体という衣を脱ぎ捨てる死=三昧(サマディー)、すなわち至福の境地であると、繰り返し繰り返し説かれていても。
 誰にとっても。そう、誰にとっても多分――。

 ところが、私には、死を悲しいと感じる感覚が、生まれつきありません。
 幸せで気持ちよくて―――あんな世界に戻れるなんて、うらやましい……。
 ごめんなさい。私ってヒトの気持ちが分からない心が冷たい人? 異世界の住人みたい?

 太宰治の「人減失格」は、生まれつき食欲を知らない主人公が、挫折してゆく物語でした。
 死は、食欲以上に根源的な問題です。それを知らないのは「人間失格」の主人公以上に、世間と逆の価値観で生きていることになりそう。
 しかし実のところ、私は「人間失格」には、あまり共感できません。ヒトとヒト、感覚や価値観がそれぞれ違うのは当たり前で、それで不幸になるか幸福になるかは自分次第。本人の自由意志、というのが私の見解です。

 勝手に不幸になるな!

 そう言い切れるのには、ちゃんとした理由があります。
 私には、死の恐怖の欠如と同時に、もうひとつ別の変わった性質がありました。身近なヒトの喜びや悲しみ、痛みを、自分自身のものと区別するのが困難だったのです。自分と異なる感覚や価値観を理解するのは、簡単でした。

 これは、優しさや気配りではありません。死の喜びを実際に覚えています。そして同時に、目の前のヒトの悲しみや痛みも、実際に感じてしまうのです。自分自身の心と身体で。たとえ証明できなくても。
 違う人間同士、共感しあえる瞬間って、本当に幸せ。宗教や思想信条の違い、人種や民族や性行動の違いを理解し認め合うことは、大切です。これからの地球人類に、平和をもたらす礎となるはずです。

 しかし今は未だ、私はきっと、現代の精神医学では、敏感すぎる子ども、社会的不適応者という「病」に分類されるだけでしょう。共感しやすく傷つきやすい心。私がヒトを理解しても、ヒトが私を理解できないという矛盾。言葉や態度で、石をぶつけられ続けるような人生――。
 やっぱり、「人間失格」?

    2019.1.7唐松神社2


 私はこれまで、ヨガの教室や瞑想などの場面で、様々な個性を持った方々と接する機会がありました。
 例えば、うつ病や神経症、統合失調症などの心の病を抱える方々。あるいはLGBT、自閉症スペクトラム障害、ADHDなどの方々。発達障害は、厳密には病気ではありませんが、生きづらさ故に心身の病も併発、という例は少なくありません。
 霊視やリーディング等ができる霊能力がある方々も、似たようなタイプです。繊細過ぎたり非常識だったりする場合が多くて、生きていくのは本当に大変です。

 私も、皆も、世間から外れた、外されたはみだし者。
 今、私は、そんなはみ出し者達の手助けができるのではないか、と考えています。
 深い理解と共感に基づいて。
 ヒトと違うことを恥じることも隠すことも、不幸を感じる必要もない。石をぶつけたいヒトは、勝手に投げつければいい。それでも、ラマナ・マハルシは至福のままだったのだから。

 それは、ヒトが生まれながらに持っている至福です。
 私の場合、それを思い出すのがちょっと遅くなったせいで、神経ボロボロ。治療の必要は無いけれど、些細なストレスや緊張で疲れ果ててしまいます。基礎体力?が無いのって、情けない。
 それでも、魂はずっと幸せだったと、今なら言えます。本当の本当に。

 苦しみも、死も、何もかも恐れる必要は無い。
 ヒトの魂は、真我はいつも幸せ。
 愛に満ちている。
 はみだし者達皆みんな、純粋でキラキラ輝いていて、ステキなんだもの。
 
 あなたが、暗黒と不条理と悲しみしか、世界に見出すことができないのなら――。 
 それでも、手を取って肩を抱いて、寄り添うことはできるでしょう。
 
 今は未だ、それしかできない。
 はみだし者達へ、限りない愛と共感を贈ります。


 2019.1.28熱海桜2


 

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ジャンル : 心と身体

第二回東京・府中でラマナ・サットサン

      Ramana Maharshi (269x448)

 第二回 ヨガとインド哲学で遊ぶ会*
     ラマナ・サットサン


 20世紀の南インドの聖者、ラマナ・マハルシは、10代の頃「死の体験」を通して自ら悟り、自己と向き合う真我の探求を指導しました。禅、あるいはお釈迦様の教えに近いといわれる瞑想法です。

 幸福とは何でしょう。
 お金も名誉も愛も、何ひとつ関係ありません。ヒトは生まれながら、幸福に生まれついているので。
 瞑想で感じる安らぎ、心の静寂は、本当の私達自身、真我からやってくるのです。
 必要なのはただ、私とは誰か?と問い続けることだけ。
 それがラマナ・マハルシの、真我の探求です。

日時:3月9日(土) 18:00~20:30
会場:府中市市民活動センタープラッツ 6階和室1(京王線府中駅直結)
参加費:自由料金(500円以上)

*参加希望の方は、コメント欄に書き込んで頂くか、grace_ofshiva@yahoo.co.jp/まで連絡いただけると嬉しいです。
 当日の飛び入りも、大歓迎です。
*前半18:00~普通のヨガと呼吸法、後半19:00~ラマナ・マハルシの教えに基づく瞑想会になります。

 質問やテーマを大募集中。気軽なご参加や冷やかし大歓迎です。

主催者の自己紹介:10代の頃から、自分を見つめる瞑想を自己流で実践してきました。大学では西洋哲学を専攻。その後、ヨガを始めてラマナ・マハルシを知り、インドに行くこと4回。インド哲学も、インド人の僧侶から直接習っています。
 ラマナ・マハルシとは、一心同体、ノンデュアルという感覚を持つに至りました。

 皆様と共に、充実した時を過ごす、お手伝いができたら幸いです。

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プロフィール

Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

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