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瞑想で地球の時間を感じる

 瞑想って、何時すればいいの?と訊かれて―—
 知恵の道、ギャーナ・ヨガの修行には、いつも内側へ意識を向け続ける努力が大切です。
 
 正解はいつも
 
 それでも、じっくり座って集中する時間は大切です。


2019.7.5燃える夕焼け1

 お勧めは、夜明け前でしょう。
 大地のエネルギーがいちばん高まる時間です。
 植物が、鳥が、虫が、世界が目覚めようとします。
 それは、心のドアをたたく力強いノックのよう。
 私の内なる真我も、深く深く目覚めようとすることでしょう。

 次のお勧めは、日没の前でしょう。
 大地の熱が冷めるとともに、生き物たちの騒々しい気配がすうっと落ち着いきます。
 高ぶっていた気分が治まって、安らぎ始める時間です。
 私の内なる真我も、外側に向かっていた意識を、内側へと向けやすくなることでしょう。


アンモナイト小1

  永遠のように繰り返される時間、季節。
 この大地のエネルギーは、植物がリード役となって流れている気がします。
 朝の光で目覚めて、賑やかに光合成。そのエネルギーを全身に巡らせて眠りにつく夜。
 秋、冬、そしてまた春、夏。
 
 晴れた日は喜びの愛、雨の日は安らぎの愛。
 それを感じ取ることができれば、ステキ。

 科学の世界でも、少しずつ分かってきているようです。
 森が、植物も虫も微生物も含めた、一個の生命体であること。
 それをいうならガイア、地球そのものが、まぎれもなく一個の生命体です。植物も虫も鳥も、微生物もヒトも。
 私の肉体もまた、その一片。
 そして、無限の宇宙の現れです。

 忙しい日には、真の眠りにつく前の15分、心を静める瞑想を。
 心のホコリをはらう、シャワーになりますように。


秋桜の小

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2019年、夏の終わりの風景

2019.7.10田沢湖駅そば

 父が転勤族の企業戦士だったせいで私は、小学校、中学校、高校と各一回ずつ転校しました。小中高大、全部別々の県の学校を卒業しています。プラス、生まれた県…。

 「それで、ご出身はどちら?」

 転校は子どもにとって、人生の大事件です。期待と不安でいっぱい。特に、ドキドキするのは、夏休み明けの転校でしょう。

 私は今も、遠い街の空気をまとったまんまで、初めてのクラスの扉を開けた日のことを、ありありと思い出します。
 
 ○○中学校(高校)〇年〇組。

 それは子供の私にとって、大事なアイデンティティーでした。別れを告げた街の風景、風の匂い。それきり、会えなくなってしまった友達のこと。そのすべてに、本当に決別しなければならない瞬間です。
 受けいれるクラスにとって、私は突然やってくる異邦人です。こちらも、どんな子が来たのか、不安と期待でいっぱい。

 夏休みの宿題? 休み明けの実力テスト? 
 それよりも、新しい学校で、新しいお友達、ちゃんと作れるかな。

 世界と自分との違和。

 前の街の方が好きな私では、ダメかなあ。
 そんな、ヒリヒリと刺すような感覚を抱えたまま、黒板の前、先生の横に立っていた幼い日々。
 私はその瞬間の痛みを、忘れることはないでしょう。

 この頃では、夏休み明けの子供のストレスが、大きな問題になっているようです。
 私がびっくりするのは、大人達が自分が子供だったときの気持ち、感覚を、ちっとも覚えていないこと。
 どうして? 犬猫を理解するより、カンタンじゃないの??
 子どもの頃って、もっとたくさんのものを感じたり、考えたり、できていたでしょう。世界とひとつになる感覚も。
 忘れちゃったなら、大人って悲しいね。

 純粋さや素直さの価値を、皆さっぱり理解しないのも、同じ理由なのでしょう。
 私の気持ちはあの頃のまんま、穢れのない私なのに。
 ちょっとだけ、疲れているけれど。

 
2019.8.27マハラジのセーター (364x448)

 それにしても、田舎の車社会の程度は、私の想像を超えていました。電車とバスが不便過ぎて何処へも行けないから、友だちの居そうな場所へ、なかなか辿り着けません。

 それでも、秋田っぽいノリ、少しだけ分かってきた気がします。東京圏、関西圏と違って、テンションも音程も低めのゆる~い感じ。
 叔父が濃いめの秋田弁で語る遠い先祖の物語が、季節の風の中で、リアリティーを増してゆきます。

 お祭りの太鼓の響き。盆踊り。

 母の話に相づちを打ちながら、編み進めたセーター。季節外れ?
 ヒトの話を聞きながらできる作業が、他に見つからなかったから。
 一次元から三次元を創造する、妙に数学的な作業。世界の創造も、そんな感じかもしれません。
 もうすぐ出来上がります。

 誰かの役に立てるなら、そこがきっと、私の居場所になる。

 生まれ故郷であるはずの秋田で、私は何処のクラスの扉を開けたらよいのでしょう。
 今度はお友達がたくさんできるかしらって昔とおんなじことを考えている。

 あなたは誰?と訊かれても、所属も、資格も無くて答えられないけれど。
 それでもこれが、私の世界。

 同じ種類の人間に、探しても探しても巡り合えませんでした。伝説以外は。
 諸天、神仏は「特別な例だから」と云ってくださるけれど。
 物質世界、現象界は心に映る幻。形や意思を持つ霊たちの世界もまた、幻。物質世界よりは、根源に近いけれど。

 ただ、真我のみが実在。私も皆も、唯一のそこへ帰っていく道の途中。
 

2019.8.20笹川流れ

テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

精神医療の斜め上の世界を飛翔中

2019.7.6富士五合目霧
 冨士山は霧の中。残念。

 今日も友人のヘルプコール1時間。
 先週、2週間分の睡眠導入剤を飲んだ友人の、話し相手やってます。
 そういうお話、得意だし好き!
※本人の了解により、個人情報を一部公開。

 そのコ、ADHDで、小さい頃からいじめられて、今は慢性のうつ病。いわゆる発達障害の二次障害です。
 
 根本的に私は、発達障害を「障害」だと感じたことがありません。
 例えば、自閉症系の方の集中力とロジックは最高にクール。ADHDの方の自由さ、感の良さは、半端なくカッコいい。話していてワクワクします。

 多分、普通の大人なら、「このヒト変!」と思ったら、いじめないけど無視して避けるのが常識でしょう。
 みんなみんなそうやって、賢くトラブルを回避。そして、似た感性や価値観の人同士とだけ付き合って生きているようです。フツーっていう、すごく狭い枠の中で。

 もったいない。そういう変人って、個性的で魅力的で、いろんなことを教えてもらえるのに! そう感じる私って、変わり者? でも今は、寝たきりの障害者でも、生きているだけで価値があると主張すべき時代なんだから。
 これだけは断言できます。私が今まで付き合ってきた発達障害の方に、精神レベルが普通人に劣っている方はひとりも居なかったと――。学校の成績は、イマイチでも。

 世の中には、生まれつき目が見えない人も居れば、生まれつき脳の機能が違うせいで、普通と違う感性で生きている人も居る。彼らは、社会のお荷物でも、特殊能力の天才でもなくて、当たり前に私たちの傍らで生きている人間なのだと思います。


     2019.7.6冨士五合目郵便局

 私は、いろんな意味で変人です。精神病でも、障害者でもないことは、きちんと確認済み。
 例えば、この間会った知人には、「食べ物の好き嫌いがそんなに多いなんて、よっぽど我儘でしつけが悪いのね」と言われちゃいました。
 そういう誤解は、よくあります。実際には、何も言わずに倒れるまで我慢する子供でした。祖母は、「こんな弱い子は見たことが無い」と言っていたとか。お祖母ちゃん、二人の子を亡くし、4人育て上げているので、説得力があります。

 どこがどう弱いかというと――幼い頃は、興奮したり頑張りすぎたりすると、すぐ熱を出したり吐いたり。
 小学校二年くらいから、丈夫になりました。それでも、運動会や遠足の前日に熱を出したり。

 例えば、高校時代に風疹が大流行。でも、卓球部一年生10人の中で、風疹になったのは、私ひとりでした。
――風疹で倒れた先輩の飲み残しのジュースを、10人で回し飲みしたのに。気付かずにやったとはいえ、女子高生って有り得ない。何故みんな、平気なの??
 運動部の基礎トレーニングでも、学校の山登りやハイキングでも、体力不足で脱落するのは、たいていワタシ。皆さんの周囲にも、そんなタイプがひとりか二人、居そうですよね。
 ちょっと大人になると、倒れた場合のデメリットと、我儘と言われるデメリットを勘案して、適当なタイミングで自己主張するようになりました。それでもやっぱり、我儘だの甘ったれだのと言われてしまうけれど。
 私は扱いのややこしい人間ですが、性格そのものには、ややこしいところは全くありません。(多分)

 さて、ここからが大事なポイント。
 障害者も虚弱体質も、手助けを求めるのが難しいという点では似たもの同士なのです。

 気遣いはうれしいけれど、ややこしい奴だとか、我儘だとか言われたらどうしよう。言われなくても、そう思われたらどうしよう。考えると、やりきれない。やりきれないから、頑張ってできるだけ普通のフリをする。多分、そういう習慣の持ち主です。

 障碍者に声を掛けるのが難しい、とはよく聞きますが、どっちもどっち?

 本人にとっては、世間の普通レベル、イコール普通以上の努力が必要なレベルです。この努力は、誰にもほめられないどころか、気付かれないかもしれません。家に帰ってから倒れるけど。

 ようするに、生きてるだけで無理をしちゃってるし、疲れすぎちゃう。
 多分、ヒトと違う感性や知性や障害を抱えて生きている人はみんな、そんな感じなのだと思います。普通のフリしなきゃいいのだけれど、それもまた難しくて。

 発達障害、LGBT等々、人それぞれ感じ方や考え方が異なるのは、私にとって分かりやすい事実でした。
 まだまだ、世間の非常識?なのだとしても。

 そういう訳で、ADHDの友人のお話相手、手助けを喜んでしています。楽しいです。
 問題は、彼等の心の傷を癒しても、彼等の人間関係も環境も、さっぱり治らないこと。

 障害自体は個性なので、治らないし直すべきものでもありません。本人の行動は、根本的に変わらないし、普通にはなりません。障害が理解できない周囲の人々の態度も、変わりません。結果として、本人のストレスが減らないから、また傷ついてしまう。
 NHKが頑張って発達障害の宣伝をしていても、世間の理解ってゼーンゼン、と笑うしかない感じです。
 当たり前の人間同士として、互いに支え合って生きる時代を、本気で願っているのだれど。

 北東北や沖縄など、霊能者が多い地方では、精神病者が神のお告げをする巫女として受け入れられてきた、という説があります。(私もその分類でいいのか?)
 そういう扱いが正しいかどうか、私には分かりません。

 現代なら、占い師、マッサージ師、ヨガや気功指導?
 日本には、変人の居場所が少なすぎ…。


2019.7.14雲昌寺あじさい5 (336x448)

 そして、再び友人のヘルプコール。
 放火事件のテレビでめちゃくちゃ混乱!? 眠れない? それって心の病でもトラウマでもないんとちゃう?(何故か関西弁)

 世界には見てるだけで幸せになれるパワースポットもあれば、悲しみがあふれるだけの場所もある。ヨガと瞑想で感覚が研ぎ澄まされてくると、それが確固とした事実だと分かります。

「○○さん、感覚が鋭いだけだよ。あのテレビ映像には、実際に強烈な苦しみ、悲しみの念がそこにあって、伝わって来る。○○さんは、実際に恐いモノを見て、恐がっているだけじゃん」。

 まさか、友人がうつ病に至った根本的原因ってそれ? いじめられたり叱られたりしたお話は、私もよく聞かされていました。そのストレスの原因に、強い不安感があるのだと。友人は、精神分析を受けていたはずです。
 イロイロ見えたり感じたりする霊能者が、精神病院で妄想扱いされるって、実際によくある話だったの!? そして薬漬け――なるほど、カウンセリングはほとんど無意味。
 精神科医が一流でも、必要な専門分野がずれていては対応不能でしょう。

「あなたの反応は、病気じゃなくて当たり前だよお。ホンマ、ホンマ」。

 そのやさしさに祝福を! でも、今はまず自分が幸せにならなくちゃ。
 ヒトは生まれながら、真我では幸せなんだから。
――アレ? 普通とか当たり前って、今まで言われたことが無かったの?――
 
 霊的修行の最終目的は、本当の自分自身に気付くこと。

 ラマナ・マハルシの智慧の道、ギャーナ・ヨガの瞑想では、肉体が自分ではないと知る訓練をします。それができたら、感情と感覚も、自分ではないと分かってきます。そのようにして余分な殻を脱ぎ捨てていき、最終的に、悟りに至るのです。至福の真我に。
 ヨガと瞑想関係の本には、肉体や感情、感覚の構造が詳しく書かれています。西洋医学的構造でなく、霊的な構造です。そして、それらすべては、自分ではなく、自分の付属物に過ぎないということも書かれているのです。専門的な名称は、さまざまですが、どれも、意味するところは同じです。

 友人に伝えました。

 世界は悲しみに満ちているように見えるけれど、それもまた幻。
 あなたの悲しみではない。あなたが悲しむ必要はない。
 自分自身の感情にも、他人の感情にも巻き込まれる必要はない。
――可哀そうな人達のためには、遠くから祈ってあげて。
 
 意識を内側へ向けて、あなたの考えがどこからやって来たのか、確かめましょう。 
 ほうら、内なる自分をちゃんと見てみれば、ちっとも悲しくない。
 それは、あなた自身の本性です。

 あとは、生身の人間の、意地悪やいやがらせ等々の、悪い感情に巻き込まれないようにしましょう。
 そっちはこれからスタートだね。


     2019.7.14雲昌寺竹林 (336x448)

テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

知識よりも――至上の純粋さこそ

 スピリチュアルに興味を持つと、その周辺のいろいろな情報が集まってきます。

 環境保護はいいけど、どこまで自然優先? 
 ヴェジタリアン、ヴィーガン、マクロビオティック、断食。加工食品は?添加物は?
 お金儲け、ドレスや宝石ともかく、パワーストーンは?
――結婚とか、オトコに興味ある?


2019.6.23郷土の森アジサイ3
 
 いや別に、肉食べても、エッチしても、それで直ぐに高い境地から落っこちる訳ではないんですけれど。

 例えば、ヨガは体の浄化。体がすっきりして、集中力がアップします。
 野菜中心の健康な食事もまた、体を浄化してくれます。すっきりと清らかな気分になります。
 肉体感覚は、精神状態に直結しているので、その種の修行が、瞑想を助けてくれるのは、事実だと思います。肉体、イコール自分という感覚が強ければ強いほど。

 でも、体の浄化以上に大切なのは、心の浄化ではありませんか。
 ホントの自分とは何か? そんな風に意識を内側に向けること。それこそが、心の浄化です。

 すべての原因は、外側の世界でなく内側にあるから、誰も責めない。疑わない。傷つけない。嘘やごまかしをしない。
 そんな清らかさ、純粋さが、何よりも尊い。

 皆みんな、誰でも嘘ぐらい平気でつくって思っています。俗世間で生き抜いていくのに必要だから??
 そうして、傷つけあって生きて――。


2019.6.23郷土の森アジサイ1

2019.6.23郷土の森アジサイ4

 ところで、心の浄化といいますが、実際のところ、どれくらい清らかになればいいのでしょう。解脱の準備OKなのでしょうか。

 ホーリーマザー、サラダ・デヴィさんの清らかさときたら、小学校の低学年レベルでした。ことによると、言葉を話し始めた幼児くらいかも。夫、兼師匠のラーマクリシュナさんの助けがあってこそ、そのまま社会生活ができたのでしょう。
 ラマナときたら、16歳の少年のまま。時折見せる笑顔は、3~5歳児のよう。

 お釈迦様は、弟子のすべてに出家を勧めました。独身主義、質素、正直さや献身や人助け等々。どこの宗教宗派でも、真理や哲学とは直接関係なさそうな戒律が、山ほど作られています。

 解脱、悟りに至るのに必要な清らかさ。それは、俗世間から見ると、危うい、あり得ないくらいのレヴェルである、というのが多分答えです。


2019.6.23郷土の森アジサイ5

 キララ、キララ、赤ん坊のようなラマナの瞳。
 子どものままの純粋さで、生きていればいいだけのこと。

 難しいでしょうか。まあ、確かに。
 原始仏教は、弟子全員に出家を勧めて挫折したとか。釈迦国、滅んじゃってるし。

 私の場合は、社会生活ボロボロ。
 無心に遊ぶ子供のような雰囲気で、お仕事していると、ふざけてるみたいだって。
 愚痴を言ったらキリが無いけれど、純粋さも、純粋さの価値も、びっくりするぐらい理解されません。
  
 それでもまた、神仏の姿を見たりお告げを聴いたりするのは子ども、というのが歴史的事実でしょう。もしくは子供のような純粋な方。
 知識不足、経験不足で、感情のコントロールもできないお子様でもOKでしょうか? 確かに、チャネリングや霊視のできる霊能者には、そういうタイプが少なくないかも。正しいお告げと勘違いがごちゃまぜだったりして…。

 お告げを下さる霊や神様?はきっと、そういう方々が大好きなんだと思います。これは、間違いありません。
 世間の常識と神様の常識が、ある意味では逆転しています。多分、私達みんなが考えているよりもずっとずっと、純粋さには価値があるのです。

 本をたくさん読んで、真理の知識をいっぱい集めても、何年も瞑想修行をしても、それだけでは16歳のラマナにかないません。何も知らない、素直で真っすぐな心こそが至上。

 内なる神、真我を求める修行にも、恩寵は必要。そして、恩寵無しに、瞑想の成功はないと、インドでは昔から言われています。
 恩寵と引き換えにできるモノはない。霊的修行にサットワ、純粋で清らかな心と体が必要だと。

 純粋な魂は、瞑想の手段であり、目標であり、結果なのです。


    2019.6.23郷土も森アジサイ6

テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

訂正:沈黙――愛の言葉をもっと

2019.5.8武蔵国分寺公園から (2)

 これは、ゆるしの物語です。私自身の。

 世の中には、生まれながらに美しい人、生家がお金持ち等など恵まれた方がいます。スポーツの金メダリストも、一流のクラシック演奏家等も、幼い頃から恵まれた環境で指導を受けているのが普通です。
 インド哲学では、そのような幸運は前世の良いカルマの結果と説明されています。
 けれど、皆さん、それでホントに納得できますか? 私は、やっぱりちょっとうらやましい…。
 貧富の差が大きすぎると、テロや暴動の引き金にもなります。男女平等も、LGBTも、発達障害も含めて、せめて社会だけは平等になって欲しいです。

 それでは、瞑想の才能はどうでしょうか。それこそ、前世のカルマなのだけれど。

 この霊性の世界では、十年、二十年古今の書物を読みまくり、お祈りも体の行も瞑想も頑張って頑張って、それでも解脱できなくて当たり前とされています。そんなものかと思っていたとき、何でもサクサク分かる天才が目の前に現れたら、ヒトはどう感じるものなのでしょう。
 頑張って修行をして得た地位、社会的評価。自信。けれど、それらをすべて否定されたような気分になるのでしょうか。

 絶望? 嫉妬? プライドが傷ついた? 他人にウケたい、頭がいいと見られたい。他人にバカにされるいわれはない。そんな感じ?
 そんなもの、捨ててしまえば楽になるのに。捨てても、真実の自分が失われることはないから。

「そんなこと、できるわけない」
「タダの理想、理屈だ」
 それが常識なんでしょうね。
 でも、本当に? 

 ところで、私には「プライド」がさっぱり分かりません。
 自己流の修行を始めた中学時代、真っ先に捨てたのが「プライド」だから。

 瞑想の才能は、本人にさえ分かりにくいものなので、まして他人様にどう見えているのか、分かりません。……自分にカンタンにできることが他人に難しいのってなんでだろ?うーん?

 ここにアルナーチャラがあれば、あるいはラマナ・マハルシなら、何もいわずに「沈黙」の力で相手の心を満たすことができるだろうに。
 
 さて、プライドがちっとも分からない私は、世間ではいじめられっ子。ただし、その日は珍しく、私の方から怒ってしまいました。
 嘘やごまかしなんて、大嫌いだあ。

 そのとき、ホーリーマザー、サラダ・デヴィさんのイメージが現れました。
 私には、霊を直に見る才能が無いというか、無かったはずなので、ビックリ!

      holyMother.jpg
 
「彼は、私の息子たちのひとりです。許してあげてください」

 すべての宗教の融合、愛の道を説いた大聖ラーマクリシュナさんは、ラマナ・マハルシのちょっと前の時代の方でした。サラダ・デヴィさんは、その霊的な奥様です。大聖者が自ら見出して、幼い頃から教育した、本当の意味で一番弟子ともいえる存在でした。
 彼がサラダ・デヴィさんを、カーリー女神の化身として扱った話は、あまりにも有名です。
 彼女は、生まれながらにカーリー女神の化身だったのでしょうか。それとも、素晴らしい訓育の成果で、普通の女性に女神の性質が現れたのでしょうか。私には分かりません。その違いは、わずかかも…。
 分かっているのは、彼女が控えめで清らかな心の持ち主だったこと。文字がほとんど読めなくても、知性と愛に溢れた教えをたくさん残していることです。

 ただし、主婦の立場からの教えは、私にとってはあまり役に立ちません。私は99%ひとり旅、ひとり御飯の人生。
 それでも、「他人の欠点を見つけて何になりますか。あなた自身の心が穢れるだけです」は、シンプルにすごいです。彼女自身が、それを実践しているのですから。
 しかし世界には、一方的に精神的、肉体的な攻撃を受けるトラブルが、少なくありません。欠点や汚点を、無理やり見せつけられるのです。
   ――必要なのはゆるし――。

 息子をゆるせって?

 サラダ・デヴィさんとラーマクリシュナさんとは霊的な関係で、実の息子はいません。弟子たちや熱心な信奉者、熱心な修行者達のことでしょう。彼女は、悟りを求める人々すべての母ともいえる存在なのです。
 カルマの重荷を軽くしてくださる、力のある聖者だったとも伝えられています。

 どちらにしても、彼女の伝記に、こんな言葉はありません。私が勝手に考えたにしては、気が利きすぎているセリフだと思いませんか。
 そう、どうみても、私のキャラから出て来るコトバじゃない。

 そして、何より胸を打たれたのは、サラダ・デヴィさんが、彼の信仰の深さをちゃんと知っていたことでした。彼自身は彼女の幻が見えないし、聞こえていないはず――それでも、ずっとずっと見守っていらした。
 信仰、祈りって神様にちゃんと届いているものなのですね。気付くことができれば、すぐそこにある、神様がいらっしゃる。
 私は元々無神論で、信仰軽視タイプだから、それこそが衝撃!!

 そして、どうなったでしょうか。


2019.5.17立川病院爪草 (419x640)

 神を見るとき、そこに区別の感覚は失われます。それが、悟りとかワンネスとか見神等々の体験の神髄のひとつだと、伝えられています。愛と呼んでよいもの。
 つまり、彼が彼女の息子なら、私の息子。

 私は「私の愛する息子」に、腹を立てることができなくなりました。年上でも目上でも、欠点だらけでも、皆みんな私の困った息子達です。
 仲直りできました。

 いや、100年の前の聖者、神が現れるなんてあり得ない。霊現象なんて、幻覚。ギャーナ・ヨガ、智慧の道が大好きな方に、そういう意見があるのはごもっとも。
 他に、こんなステキな言葉がやってきた現象を、うまく説明できるなら。

 傷ついた心を真に癒しすのは、加害者を憎むことでも罰することでもない。ゆるしであるというのが、真実です。
 怒りや憎しみは、誰よりも何よりも、自分自身の心を傷つけるものだから。

 ホーリーマザー、サラダ・デヴィは、その「息子」を、もしかするとそれ以上に、私自身を癒してくださいました。
 そこで、聞いていらっしゃいますよね。

 ありがとう

 私も、そんなねじれた心を解きほぐす言葉を、いえるヒトになれるといいなあ。 合掌

テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
20世紀インドの大聖者ラマナ・マハルシ、聖地アルナーチャラとの深い縁を支えに、宗教も哲学も超えて行きます。真の自分をみつけるお手伝いが出来たらいいなあ。
私はわたし。
いつだって幸せ。

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