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秋田でラマナ・サットサンガします

      Ramana Maharshi (269x448)

 ヨガと瞑想の勉強会*ラマナ・サットサン

 7月27日はインド暦では、グル・プールニマというお祭の日。インド哲学やヨガなどの師匠、偉大な先人に感謝をささげる日ということになっています。

 20世紀の南インドの聖者、ラマナ・マハルシは、10代の頃「死の体験」を通して自ら悟り、自己と向き合う真我の探求の道を指導しました。禅に近い、あるいはお釈迦様の教えに近いといわれる瞑想法です。
 インドへは行けなくても、この日にラマナ・マハルシの恩寵を感じながらの勉強会・瞑想会ができるなら、ステキですよね。

主催者の自己紹介:10代の頃から、自分を見つめる瞑想を自己流で実践してきました。大学では西洋哲学を専攻。その後、ヨガを始めてラマナ・マハルシを知り、インドに行くこと4回。インド哲学も、インド人の僧侶から直接習っています。
 瞑想について、ヨガについて、インドについて、何を聞いても答えられる(多分)ので、どうぞ質問・疑問をどんどんぶつけてください。難しい相談は、むしろ大好き!?
 ただし、今まで主催者がこのような場を設けてこなかったのは、口下手で人見知りというのが一因です。質問は、あらかじめコメント欄にご記入いただけると嬉しいです。(管理者のみと指定すれば非公開OK)

 皆様と共に、充実した時を過ごす、お手伝いができたら幸いです。

日時:7月27日 19:00~21:00
会場:ALVE 秋田市民交流プラザ 4階和室
参加費:1000円。

*瞑想の準備に、簡単なヨガと呼吸法の指導も致しますので、ヨガマットかバスタオル、もしお持ちなら、ラマナ・マハルシの本を一冊ご持参ください。

せっかくのお祭りなので、盛り上がりましょう。
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ジャンル : 心と身体

東山魁夷の世界へ 

2018.6.28御射鹿池1

 大好きな東山魁夷さんの絵の世界と噂に高い、蓼科高原の御射鹿池へ行って来ました。
 江戸時代に作られた大きくない池なのだけど、さすがの水鏡です。バスツアーなので、ゆうるりと水の色の変化を楽しむ余裕は無かったのが、少し残念だけど。


2018.6.28御射鹿池2

2018.6.28御射鹿池4

 空の色も、水の色も、見る人自身の心の色を映すもの。だから、東山魁夷さんのような一見平凡な芸術には、深層意識、真我の深さそのものが透けて見える気がします。

 芸術と宗教は、昔から深い関係がありました。キリストの生涯を描く宗教画から始まった洋画は、正にドラマチックです。中国絵画の影響を受けた日本画は、中国絵画よりも圧倒的に静寂。それは、茶道の侘び寂びと、そのベースにある禅の美意識という気がします。
 つまり、空の世界。抽象画家も、風景画家も、己の心を描がいているのです

 静けさと平安。
 透明さ、純粋さ、深さ。
 映っているのは、わたし。
 見つめているのも、わたし。


2018.6.28御射鹿池3

私の季節が始まります。

    2018.5.9バラ1

 神代植物園のバラは、盛りを過ぎてもなお満開でした。

 今さらですが、私はあり得ないほど口下手です。原稿を担いでいるときにも、営業ができません。それは言葉、会話を完全に忘れるほど、瞑想に没入したから。だからこそ、沈黙の聖者ラマナ・マハルシに共感!
 もっとささやかな体験を他人様へお伝えして、それを天職とされる方は多いようです。ネットに氾濫する噂はピンキリ。私とは無縁と思っていました。これまでは。

―――口下手な人なんていくらでもいるよね…瞑想やヨガで気が上がってノボセてるんじゃない?…霊を見てお告げする霊能者も珍しくない、普通だよetc.―――そう言われちゃうと、もう、どうしていいか分かりません。
 ロジックで論点をぐいぐい突っ込んでくれたら、サクサク答えられるのに。つまりこれは、私のロジックではなく、相手の思い込みの問題。他人の常識に挑む話術ってどんなのでしょう??

 ワカンナイ!

 なんでも常識の範囲でだけ考える。人生は不幸って決めつけて、闇だけを見つめる。誰だって、嘘とごまかしと我儘だらけに違いないっていう「本音」におびえ、瞑想もあきらめて、現状維持。そんな例のなんと多いことか! 
 怖がらなくていいよ。あなたも真我、至福という言葉が空回り。故に私は沈黙――!?
 それでは、これは? スマホにギンギンに明示されました。非論理的な現象が嫌いの私の理性に挑戦するかのように。


   あなたは魂を無くした人、
   心が闇に沈んでいる人に
   寄り添い救う人です。


 これって誰の言葉? 何処からやって来たの?
 内容の方は、心当たりがあるといえばあるけれど―――。
 人を助けるためには、まず、助けを呼んでもらわないといけません。


2018.5.9神代植物園バラ9

2018.5.9バラ5

2018.5.9神代植物園バラ7

 助けが必要なら、助けてって言ってください。私に。
 私はここに居ます。
 

2018.5.9神代植物園バラ8

2018.5.9バラ4

 私にそれ以外の、何ができましょう。

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死の傍らで…古城の物語

2018.3.31浦城杉

 故郷の歴史をを訪ねて、古城の跡の山を訪ね歩きました。

 戦国時代後期、天正の頃、400年以上昔に滅んだ浦城。その跡地は、八郎潟とその向こうの日本海、男鹿半島を見下ろす山の上にありました。
 この地を治めていた戦国大名は、安東(安藤?)氏。当時、湊城(現在の秋田港付近)を本拠地とする湊安東氏と、脇本城(男鹿半島付近)を本拠地とする脇本安東氏に分かれて、激しい相続争いを繰り広げていたそうです。

 浦城の城主、三浦兵庫守盛永は、湊安東氏に味方して戦い敗れました。脇本安東氏の軍勢に取り囲まれた浦城は、多くの兵と共に落城。城主の盛永も、自刃して果てたと伝えられています。
 廃墟となった城は、長い時の流れの果て、ありふれた里山となっていました。勝者の側の方の脇本城も、今は無い。それが、400年という時間の力です。


2018.3.31浦城2

2018.3.31浦城4

 それは、私の遠いご先祖様の物語。血がつながっていると知っている。それだけで、遠い過去のお話が、現実的な色彩を帯びて胸に迫ってくるのって不思議ですね。

 石垣ひとつない山城でしたから、保存会の方々が杭を立てて道を整備してくださらなかったら、跡すら定かでなかったことでしょう。頭が下がります。
 その中で、経文石だけが妙な存在感を放っていました。
 これは、非業の死を遂げた方々の魂を慰めるために、小石にお経を書いて山の上に奉納されたもの。そこだけ、戦国という時代の生々しい匂いが残されている気がしました。
 山の麓には、三浦氏ゆかりの尼が庵を結んで供養していたそうです。今は、碑が残るのみ。

 私は、八郎潟が干拓される前の、琵琶湖に次ぐ広大な湖だった頃の風景を見たことがありません。今ではほとんどが農地になっています。きっと、昔々は城の眼下に満々と水をたたえていたことでしょう。
 見晴らし台では、残存湖とその向こうに広がる日本海と男鹿半島が、登り疲れた私達を優しく迎えてくれました。


2018.3.31浦城1

 案内してくれた叔父は、元先生。ここが本陣、ここが井戸、ここが馬場。平時の生活は麓の館で等々、熱く語ります。確かに、自然の地形ではないと分かるけど、今は杉木立ばかり。
 木立の下では、エンレイソウとキクザキイチゲが見頃。カタクリが未だつぼみだったのが残念でした。

 母がつぶやきました。「うち(母の生家)は三浦氏の元家老で、姻戚だけど、お祖母ちゃんは、脇本のアンドーだよね」。

 そう! 確か、母方の祖母は、脇本生まれで旧姓アンドー。浦城を攻め落とした敵将の末裔。そうじゃないかとは思っていたけれど。

 実のところ、源平合戦の源氏と平家も、関ヶ原合戦の武将たちも、敵味方、姻戚関係だらけです。そういうのって、歴史に詳しい方々には常識かも!? 古くは、縄文系、弥生系の争いでも、敗者は名前を無くしても姻戚を通して生き残っているのが普通です。ネアンデルタール人も、デニソワ人も、多分ね。
 それに比べたら、400年後の私が、敵味方、両方ともご先祖というのは普通かもしれません。


2018.3.31浦城エンレイソウ

2018.3.31浦城カタクリ

 日本海から渡ってくるこの風は、昔も今も同じでしょうか。
 失われたものと残されたものと。ご先祖様は、ここで何を思っていたのでしょう。
 そして、悲しみは癒えたのかしら。

 ここは、ご先祖様たちが命を懸けて戦った因縁の地。
 何のために? 何をかけて? 
 それを、空しいものと評価するのは簡単です。けれど、彼らが一生懸命生きたからこそ、今の私が居るのです。

 ヒトが何のために生まれて生きて、死んでいくのか。それが分かれば!
 父のようにも、母のようにも生きられない悲しみは? (ラマナのように?どうやって?)

 三月の風は、まだ少し冷たい。梅も桜も木蓮も連翹も、同時に咲き誇る爛漫の春は、もう少しだけ先です。


2018.3.31浦城キクザキイチゲ

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死の傍らを生きて――五能線の旅

2018.3.18五能線1 (448x328)
荒々しい海岸線の向こうに浮かぶ、男鹿半島。

 五能線は、海と山の狭間、早春の白神山地を見上げる日本海の沿岸を、ゆっくりと走って行きます。鄙びて古ぼけた、ひと気のない車両、駅、風景。東京の電車を見慣れた目には、すべてが宝物のようです。お天気イマイチでも、ステキ。山は近すぎて良く見えないけれど。

 近いから見えない、というのは自分の親も同じこと。
 父が、他人から見たらどういうタイプの男だったのか、よく分かりません。娘から見た父親って、臭くて口うるさいだけのおっさんだったりするわけで。


2018.3.18五能線3 (1) (448x336)
波打ち際の露天風呂から、日本海に沈む夕日が見えるという、不老ふ死温泉を目指します。

 父は、家事を全くしない、というかできないくせに家の中では妙にいばっている、昔風の男でした。
 昔風の父と、就職経験ゼロで専業主婦の母。
 
 私という精神のDNA。

 とても普通とはいえない?霊的世界をひとり歩む私の両親が、わりと普通っていうのは変な話です。それでも、インド人(=ヒンズー教徒)がインドの精神文化、伝統の中で育っこそインド人であるように、私も日本の、両親の精神文化、伝統の中で育って今の私に成りました。それを否定することはできません。
 日本では、家庭で宗教を教えません。子供は親の背中、手を合わせる姿を見て、信ずべきものを覚えてゆくのが一般的です。それが信仰の形なのだと思います。敢えて神様の名前を呼ばなくたって。

 私という入れ物の中で、何が受け継がれ、何が捨て去られたのか、思わずにいられません。


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白神の山に抱かれた駅。電車は、1~2時間に一本程度。

 「何故、もっと出世しなかったのか」。それが、父についてよく他人から言われることです。つまり、「あれほど有能な人物なら、一流企業のトップ、もしくは政治家などに登り詰めて然るべきだったのではないか」、という意味でしょう。
 父は、普段は無口ですが、驚くほど弁の立つ男でした。生来の反骨精神と、広範囲の知識に裏打ちされた正論は、聞く人を圧倒したものでした。文章力もあって。(私は有りえない口下手)。そして、技術者としての能力に裏打ちされた、状況判断力、実行力。
 つまり、父が有能だったのは事実でしょう。けれど、大企業なら他にも人材はいくらでもいるんだろう、くらいに私は思っていたけれど?

 父は、電力の技術者だったのです。

 若い頃は生意気過ぎて、上司や目上の人にはイマイチ受けなかったという噂です。それでも、大きな事故や問題の多いプロジェクトを優先的に担当または派遣され、陣頭指揮をしていたそうです。できる奴、使える奴、という評価は貰っていたようですね。

 父から、自分の仕事の話を聞かされたことはありませんでした。家では何もしないでゴロゴロしているだけ。幼稚園くらいの頃には、父親の役割とは何なのか、さっぱり分からなかったくらいだもの。それでも、よくスキーや山登りなどに連れて行ってくれたので、良い父親だったといえるでしょう。マイペースすぎて、ムッとさせられることも多かったけれど。自分の事を、説明しないんだから。
 父が仕事について、そこそこ話すようになったのは、あの震災の後。ほんの数年前です。退職してから歳月が過ぎて、守秘義務が無くなったと判断したのかもしれません。

例えば、「宮城、岩手の震災で、何で秋田が停電するの?発電所なら近くにあるのに」と訊けば、
「大きな変電所があっちの方にあるからだ。電気の性質として…」etc. という感じ。
そして、「馬鹿な奴らめ。廃炉が怖くて、すっかり腰がひけているぞ」と。

――電気の技術って、発電所のタービンを回したり、送電線に上ったりすることだけじゃないんだ? 必要な電力の量も発電量も、日々刻々と変わるもの……そりゃそうだ。どこでどれくらい発電した電気をどうやって街へ、まんべんなく廻すのか?人間の活動をマクロで把握して予想を立てる必要があります。明日の予想はもちろん、5年先、10年先も予想して、計画的に仕事をしているそうです。この予想、予定が実際の消費量を下回ると、即停電というヤバい事態に。知らなかった!

 例えば、コンピュータのハードの一流エンジニアだったら、どんなに複雑な電子回路でも、一遍見ただけでちゃんと分かって、サクサク改造したり直したりできると思います。専門外の人間から見たら、ほとんど魔法です。それって最高にカッコイイ。
 一方、機械でない電力の方の一流技術者って、その種の理解や管理を、都市、あるい国家レベルでやっている感じなのでしょうか。血液を全身に送る心臓と血管について、熟知している名医のように?
 現代社会は、電気への依存の度合いをどんどん高めています。電気が無くなれば、コンピュータもスマホも、暖房も調理も、通信も。結果としてお仕事全部が動かくなくなります。太陽フレアでそれらがすべて失われたら、文明そのものが崩壊すると云われているくらいだもの。そんな社会に私たちは生きています。

 確かに、人間の社会は、長い長い電子回路で繋がれている大きな電子機械のようなものです。
 人間の肉体は、ミクロで微細な電子回路なのだけど、文明社会もまた、大きな肉体をまとった獣のようだね。

 具体的に何の仕事をしているのか、私にはさっぱり分からなかった父ですが、もしかしたらカッコいいのさらに上を行っていたのかもしれません。だって、文明、社会をひとつの電子回路のように仕切る力があったのでしょう。国家予算や交通・流通という国家の大動脈を支配する政治家やお役人とは、別の立ち位置。否、似たような感じ!?
 父の妙に偉そうな態度の一因は、文明、国を自分が支えてきたという自負にもあったようです。(家電や戸の立て付けは上手く直してくれなかったけどね)。
 
 それでは世界はどう見えていたのでしょう。
 
――私の世界。私は今、ここに居ます。
    すべては掌上の幻――


2018.3.18五能線5 (448x306)
こんなうら寂しい風景が愛おしいのって変ですか。絶景露天風呂の方は撮影禁止。

 父と白神の山へ登ったときの思い出を、しきりに話す母。百名山踏破は途中で挫折したけれど、ほんとに山が好きでした。

 父が他人から見て、どういうタイプだったのか、やっぱり分かりません。もしかしたら、潔癖過ぎて真面目過ぎて有能過ぎて、親しみやすいというより近寄り難い人間に見えていたのかなって、今は思っています。私と似たところ、多少は在るのかどうか、やっぱり不明。
 お彼岸には、父が何より好きだった日本酒をお供えして、乾杯しました。母は下戸なので、私ひとりで。

 近所の川沿いの道は、いつの間にか桜が植えられて整備され、「さくらロード」という看板が立っています。それが父のアイデアであったことを、他人から聞かされて初めて知りました。町内会活動を頑張っていたことは知っていたけれど。

 花の季節はもうすぐそこ。

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Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
生きるのが下手で、得意なのが瞑想だけっていうのは自慢…かどうか??自己流の瞑想がインドの聖者ラマナ・マハルシに似過ぎているので、勝手に師、グルと思ってます。
哲学、宗教、音楽、自然etc.難しい話がしたくてたまらない方、遊びに来て下さい。

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