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死の傍らで――忌中

   忌中につき、しばらく更新をお待ちください。

2017.10.21父と見た大平山 (448x294)

2017.10.31柿すだれ (448x324)
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死の傍らを生きて…3――父の入院

   2017-10-14新城川白鳥 (373x448)

 朝、父が吐血し救急車で病院へ行く事になりました。
 テーブル周りや洗面台が血だらけになって、止まらないので焦ったけれど、舌癌が少し進んで、口の中をちょっと切っただけ…。軽傷と云えば軽傷。けれど、今後このような症状を繰り返す可能性は大という説明を受け、ホスピスへの入院が決まりました。

 もう、家へ戻ってくることは無いのかしら。父の手を引いて川の白鳥を見た、あれが最後のお散歩?

 私にできることなんて、あまり無いのかもしれません。気を入れても、全治できないなら気休めにしかならないかもしれない。
 お酒と塩辛いもの、以前は煙草も大好きだった父。人は己のカルマを自ら受け入れて、生きるしかないのです。


   2017.7.29土崎港夕暮れ2-2

 私は、私にできることをする。今居るこの世界に対して。ただ、それだけ――。
 

テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体

番外編―神様とおしゃべりって科学的にアリ?

2017.8.15千秋公園ハス1 (448x309)

 これって、「ラマナ・マハルシとおしゃべり」というタイトルのブログなんですけれど、「実際に話をしているはずないじゃん」と思っている方も、今回は眉に唾を付けたままでいいので、最後までお付き合いください。
 
 科学的に正体不明でも、あるのが常識と信じられているモノの代表に、マッサージのツボがあります。実際に効きますよね?
 各種霊現象、超常現象って、私の中ではすでにツボ程度の既成事実なんです。
 それでも、未体験の現象は無数にあって、びっくりさせられる日々です。先日も実は…。

 その前に、そもそも、私って霊能者なの?


2015.12.1明治神宮

 お釈迦様は、元来、神霊も超能力も転生もスルーして教えていました。(知ってたはずだけど)その原点に近い禅宗もまた、その種の現象に関して虚無主義、懐疑主義です。すべては、幻に過ぎないから、神に逢っては神を殺し、仏に逢っては仏を殺し、無我の境地に至るべきであると。
 逆からみると、そういう現象が実在することが、経験として知られてきたという証しです。全く信じていなくても、現れてしまう。真の悟りではないけれど、その少し手前の道の途上で確実に出会うと。

 それはヨガでは、チャクラが開く、あるいはクンダリニー覚醒と呼ばれている現象です。

 科学は、そのような現象を、どこまで解明できているのでしょう。宗教に直結する分野なのでスルー? それでも、臨死体験に限ってなら、資料が多数ありました。臨死体験と宗教体験の類似性は、知る人ぞ知る常識です。研究者の涙ぐましい取り組みには、全く頭が下がります。
 それにつけても、実在する現象であるという、存在の証明は、困難です。優秀なはずの能力者も、実験の現場では成功したり失敗したり。同じ条件なら、誰がやっても同じ結果を再現できるという科学的再現性が、得られないようです。

 私の推測では、これらの実験には、前提となる科学的条件が足りません。そもそも、超常現象を引き起こす未知の微粒子や波動がどのようなものか分かっていない段階で、100%の科学的再現性を期待するのは、無理というものでしょう。

 一方、そんな現象は無いという否定の証明も困難です。嘘つきを探してきて、すべての霊現象を嘘と決めつけるのは、科学ではありません。存在しないモノを存在しないと明言するには、世界中の事例すべてを検証しなければなりません。古今東西のすべての霊能者と霊現象を対象として。これは、論理学でいわれている悪魔の証明、不可能証明になってしまいます。

 それでも、多少分かっていることはあります。

 超常現象を引き起こすのは、電磁波ではありません。しかし、電磁波に近い性質を持つものではないかと推測されています。電磁波の強い場所で霊現象が起きやすい、強い霊能力は磁場を狂わせる等などの現象が知られているためです。
 20世紀の聖者は、神様というラジオ局にチューニングせよと教えました。今なら神様ネット、宇宙ネットにプラグオンかな。媒体は?

 臨死体験の本の中では、霊現象の実在の検証例として、幽体離脱体験をあげていました。幽体離脱中の体験が、実体験なのか、夢なのか、証言者は噓つきかどうか。検証の結果は、著者自身が疑念を晴らせず五分五分…。

 カギは、証言者の信頼性でしょうか。しかし、世の中には疑うことも騙すこともできない存在があります。それは、自分自身です。自分がそのような体験をしたら?

①私は十分に冷静で明晰な状態か? YES!
②私はトリックやごまかし行ったか? NO!
③他人が私にその種のトリックやごまかしを行った可能性はあるか? NO!
④私に、嘘やごまかしをする動機や技巧はあるか?潜在意識も含めて。 NO, NO!


    2017.7.2長野1

 例えばある日、私はカメラのモニターを覗き込んで、目を白黒させていました。パワースポットを眺めている私の目には、普通の風景しか見えません。しかし、レンズを向けたモニターの中には、霊の顔と正体不明の光がはっきりと見えちゃっていました。
 モニターの中でだけ見えていて、確実に写せる。それってまるで、ポケモンGOだあ!

①リアルに見えない私は、全く普通の正常人。
②私のコンパクト・デジタル・カメラに、通信機能もゲーム機能もない。

 要するに、これって科学的再現性のある霊現象だったりして!

 何故、そしてどうやってそれが起こるのか? そのシステムは分かりません。しかし、座敷童がスマホで自撮りするという噂も、聞いたことがあります。多分、コンデジ、スマホ、ポケモンGO等のデリケートな電子機器の操作は、霊現象の主の得意分野なのでしょう。

 いちばん妥当なのは、霊現象の正体は、意思と目的を持つ電磁波に近いものであるという仮説です。エーテル?
 ところで、自分自身の意思と目的を持つとは、自我、心を持つという概念に相当しませんか。個我、アートマン、何と呼んでもかまいません。つまりは肉体を持たない魂が実在するという仮説なのです。
 これは、すごくすごく大事なテーマです。宗教だからってスルーしないで、科学者たちが立証してくれる日が待ち遠しいです。


2017.8.15千秋公園ハス3 (448x336)

 さて、ここからが本題。神様とのおしゃべりが、アリかナシか。大事なのは、お話の中身の方ですよね。

 実は先日、大切な友人の未熟な言動にびっくりして、罵ってしまいました。正式の団体の正式のイニシエーション(洗礼)を受けて、長年修行をしている方なのにと。

 実のところ、私にとって、イニシエーションも各種資格もほとんどナンセンスなんです。
 二十世紀の大聖者ラマナ・マハルシは、イニシエーションを与える、つまり正式の弟子を取らない方でした。グル(師匠)と弟子の区別もなければ、人間と動物の区別もない。だからこその平等と平安です。
 結果として、今も昔もアルナーチャラのラマナ・アシラムには、教団も教義も無し。ただ、「who am I?私は誰か」の言葉だけをよりどころに、彼を慕う「自称弟子」たちがそこに集ってくる。それだけです。

 嘘や間違い、ごまかしは世俗の世界では当たり前。怒る私も未熟…。けれど、信仰や修行に直接かかわる問題ともなると、引くに引けない感じでした。真実、真理を命を懸けて愛しているから。

――失望、悲嘆。

 すると翌日、聖なる御方の優しいイメージが現れて、「彼は私の息子達のひとりです。許してあげてください」と私に告げました。

 生身の人間のように、姿が見えた訳でも声が聞こえた訳でもありません。しかし、その気配と印象が、私自身の内側にはっきりとしたメッセージを残しました。母の悲しみ、母の慈しみ、深い愛と優しさが、私自身の中にもある?
 重いカルマを軽くしてくださるというその御方。ちょっと過保護なお母さんみたいだけれど、その愛情深さ、絆の強さに完敗です。

 ああ、それがイニシエーションの意味だったのですね。
 そしてまたそれは、庇護をうけるその人自身が真面目に修行をしてきたという証し。尊い素晴らしいことではありませんか。

 神様と、あるいは今は亡いはずの聖なる存在とお話ができるかどうか。
 私が正直で正気だから、信じてくださいというだけでは、科学的証明は不十分だけど、これがワタシ。私は、そのような日常を生きています。
 何ができるでしょう。この私に。

 その御方の言葉を、友人に伝えました。
 愛は伝わったでしょうか。見せてあげられたらイイのに。

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松林で秋を探す

      2017.8.21新城川コスモス

 新城川は、父のお気に入りのお散歩コースです。河原には咲き始めたコスモス。
 爽やかな空がうれしくて、足を延ばして海沿いの松林まで歩きました。

 カメラが曲っているのではありません。木々の傾きは、風の向きを示しているのです。
 海からの強い季節風に、いつもさらされている林。その厳しさと逞しさ、豊かさが、ふいに私の胸を突きます。
 ひと気のない遊歩道は、緑の匂いばかり濃くて、カマキリ、バッタ、シマヘビ等の天下。そして、木や草の芽が柔らかな顔をのぞかせていて、足の置き所に困ります。なんという柔らかさかしら。
 蝉しぐれが去って、もう秋の虫の季節だというのに、潮の香りと光の色が夏のままでした。
 本当に、今年も暑くて長かったものね。

2017.8.27松林1 (1)

2017.8.27松林2

 日々、痩せて衰えていく父。それでも、慣れた道を歩む足取りは、意外にしっかりとしています。
 
 こんな、何でもない風景が、愛おしくてたまらなくなる。いつか時が過ぎたら、きっと。
 そんな予感がします。

死の傍らを生きて…2――桜の下で逝くもの送るもの

2017.4.30大潟村

 春爛漫の5月、父は舌癌ステージⅣの診断を受けました。黄金週間で遊びに来ていた私達姉妹と、母と、父本人とでその宣告を聞きました。
 
――それって末期がんってこと? 

 担当医師の話によると、舌癌は質の良くないがんだそうです。放射線治療や抗がん剤で、完治できないと。

――ようするに、手術しないとすぐ死んじゃうって意味? 

 もうリンパに転移しているから、手術も大変です。まず、舌がほとんどなくなり顎の形も変わる。食事の味わいも、おしゃべりもほとんどできなくなって、胃ろうで栄養補助になる可能性が高いと説明されました。

「父は、自分の好きにするでしょう。それでいいよね」
青ざめる母の横で、私が代表してそう応えました。
 私達家族は冷静で、冷静すぎて、医師には不思議に見えたでしょうか。

 この宣告の日の深夜、大叔母の訃報。大きな事件って、重なるものですね。
 大叔母は95歳。祖父の妹です。出戻りのひとり暮らしだったので、実家の甥姪、すなわち母の兄弟一同で介護していました。つまり、自分の家のお葬式のような騒ぎになったということです。
 いくらひとり身であっても、人一人この世を去るには、いろいろと面倒な手続きや作業があるものですね。既に高齢の甥姪たちは、夜遅くまで駆けまわっていました。私の役割といえば、車の送迎と、全日程に出席してサクラになるくらいでしたが。
 お葬式のサクラ? 予想通り、離婚先に残した実子も孫も来なくて、友人も一組だけという寂しい式でした。

 どうしても、考えずにはいられません。私だってひとり身だから。未婚で親族も少ないから、行く末は、もっと寂しくなるのかしらと。
 先月の、幼い少女の葬儀と比べて、別れを惜しむ声が少なすぎるは仕方がないことだけど。

 火葬もシンプルに、お坊さん抜きでした。私は、水を供えるついでに、こっそりとインドのマントラを唱えました。ガンジスに漂う煙を思い出しながら。そして、窓の外は、未だ満開の山桜。

 願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月の頃

 これは西行法師の歌。西行は、その願い通り春に亡くなったと伝えられています。如月は2月のことですが、旧暦を新暦に直すと3月。秋田の山桜は、今が盛り。だから、この歌の通りだよね、という母。
 山も川も、再生の喜びを謳う季節。花に送られ、大好きだった実家のお墓に入ることができた叔母さんは、きっと幸いだねって。

 そのようにして、黄金週間は瞬く間に終わり、父の検査と治療が始まりました。

2017.5.10国花苑関山

 ひと通りの検査の後、あらためて医師から治療方針を聞かれた父は、担当医師と家族の前で、宣言しました。
「89歳です。私のトシの5年生存率は、元々1~2割でしょう。これまで通りの普通の生活を、できるだけ続けられるようにしてください」
 つまり、手術はしないってことです。家族一同、納得。医師は、まだまだ体力がある父に手術を勧めたいようで、反対する者はいないのかと見渡していました。

 医学界、というより自然派の健康法を好む人々の間には、食べられなくなるイコール本来の寿命であるという説があります。臓器移植だけでなく、点滴も輸血も胃ろうも、自然の法則に反していると。
 生きとし生けるものは、そんな寿命、肉体の終わりを、受け入れるべき? それは、苦しみでなく幸福な最期だって、ホントのホント? 
 少なくとも、どこかで「不自然な」治療に見切りをつけるべきという考え方には、私も賛成です。
 ウサギ君の最期も似たような状況でした。歯が悪くなって食べられなくなり、手術もできなくて、点滴、点滴。どこで治療を打ち切るべきか悩みました。きっと、安らかな最期だったと信じています。けれど、その似たような判断を、今、実の父がするなんて。

 人は生きて死ぬ。そんな当たり前が、簡単なようですごく難しい。

 私の中で、神のごとき視線が静かに見守っていました。人は自らの死を受け入れられるものなのかと。
 ちなみに父は、無宗教を自認する日本人のひとりです。
 
 マラソンも山登りも山菜取りもスキーもできなくなって、頭も体もすご~くドン臭くなった父だけど、未だ介護は必要なし。それで、少しでも長く生きたい、そのためには何でもしたいって気持ちに、ならないのかな。
 フツーの無宗教の日本人は、お迎えも再生もホントにあるって、フツーに信じてるものなのかな。だとしたら、それって無宗教ではないんだけれど。

「できれば、2020年の東京オリンピックで、聖火ランナーをやりたいですな。聖火はきっと、ご近所を走るでしょうから」
 OK、きっとその願いは叶うでしょう。
 この桜、2020年の春も父と一緒に見られますように。

 
2017.5.10国花苑1

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プロフィール

Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
生きるのが下手で、得意なのが瞑想だけっていうのは自慢…かどうか??自己流の瞑想がインドの聖者ラマナ・マハルシに似過ぎているので、勝手に師、グルと思ってます。
哲学、宗教、音楽、自然etc.難しい話がしたくてたまらない方、遊びに来て下さい。

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