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死の傍らを生きている―――その1

2017.4.27福島1 (640x480) (448x336)
 
 吾妻山の吾妻小富士の山肌にウサギの雪形が現れ、田植えの季節も近いことを教えてくれる。そんな春の日に、新幹線を途中下車して大学時代の友人を訪ねました。
 手には小さな花束。お悔やみを云うための旅です。

 ヒトが何のために生まれて生きて、逝ってしまうのか。その答えは、何処からやってくるのでしょう。
 誰が言えるでしょうか。内なる自己以外の。


2017.4.27山形2 (1) (640x480) (448x336)

 幼いまま逝ってしまう子供は、神様に特別の祝福を貰った子。純粋で清らかな魂ほど、高き所へたどり着ける。けれど、そのような信仰を持たない方へ、どんな言葉をかけましょう。我が子を亡くす以上の悲しみは世に無いものと、昔からいわれているというのに。
 そして何より、子供も夫も無く、両親も元気な私の言葉なんか、届くでしょうか。

 思い出すのは、ずっと同居していた祖母の事。
 祖母は6人の子供を産んだけれど、小さいうちに2人失くしました。その2人目の子は、よちよち歩きの可愛い盛り。忘れがたくて、次に生まれた子に同じ名前付けたと、繰り返し繰り返し聞かされたものです。
 その子、つまり私の叔父が40代で早世したとき、祖母は「子供のお葬式には、もう二度と出ない」と言いました。夫の死なら、ロマンティックに語れるとしても、子供では無理。そういうことだよね。
――― もう二度と―――
 読経が終り葬列が過ぎ去るまで、お寺の門の陰で立ち尽くしていた祖母の瞳の色。今も尚、忘れようとしても忘れられない光景です。

 訪ねた友人の家には、仏壇がありません。祭壇には少女の遺影と朽ちかけた花、遺骨もそのままでした。

 友人は、私と同じ大学、同じ哲学専攻でした。
 西洋哲学では、言葉を数学のように使います。観測、推論、証明etc. それだけで、インド哲学より深い真理を示すことは困難かもしれません。でも、これらの手法は、物事をきちんと考えるための、基礎体力を作ってくれます。結果として、現象学や物理学の世界観は、インド的、瞑想的世界にどんどん近づいてきました。インド哲学と西洋哲学。例えるなら、ハタ・ヨーガは最高に素晴らしいけれど、筋トレも大切って感じでしょうか。
 答えを最初から用意して「信じろ」という「宗教的態度」って、解けない問題のカンニングみたいで、私の趣味じゃない。そのようにして、真理をひたすらに求める態度は、禅、あるいはギャーナ・ヨガに近くて、それも宗教の一形態なのだと、今の私は知っています。
 だから、大学時代の私は、徹底的に無神論でした。友人も、そういう意味では私とおんなじはずだけど。

――― あの子はなんで死んじゃったの?
 神も仏も無いよ!
 成仏なんてさせないよ!

 哀しい言葉。哀しいのは、その子ではなくてあなた自身だって、分かっているよね。
 
 今、私は信じるのではなく、知っているんだよ。
 本当の命、魂は不滅だと。肉体は、形あるものは失われてしまうけれど。
 逝ってしまったあの子は、喜びと光の中にいるよ。
 私が、知っているって、それを信じてよ。

 それだけを、言葉を替え場所を替え、何度も何度も語りかけました。
 言えなかったこと、言わなかった言葉が、私の手の中にいっぱいいっぱい残されました。

 あの子が何のために生まれて来たのか、あなたが何のために生まれて来たのか、教えてあげない。
 多少は分かっていたとしても、言わない。
 愛? 喜び? 成功? そんなお手軽な言葉で誘うのは、趣味じゃない。
 それは、私の嫌いなカンニング。少し意地悪して、ごめんなさい。

 Who am I ? まず、自分自身をもっと知らなくちゃ。
 あの子が何のために生まれて来たかを知りたかったら、あなた自身が何のために生まれ、生きているのか知らなくちゃ。自分が誰なのか。それがイチバンの問題です。
 だから、人生という宿題のヒントが欲しかったら、話に来てください。私の処へ。
 いつでも、いつでも、待っているから。

 言えない言葉の向こうで、山桜が細い枝を天に伸ばし、そっと震えていました。

 今日も世界のどこかで、子供を失くした母が涙を流していることでしょう。
 テレビの動物番組で、初産の仔を失くした母虎が、泣きながら我が仔を食べるシーンを観たことがあります。「これは、私の弔いだ」とカメラを睨みつけました。我が仔の血肉が他の誰かのものになるなんて、耐えがたいと。

 今は私も、あなたの悲しみを悲しみ、あなたの涙を流しましょう。

 生きとし生けるものを死すべき定めに作ったのは、ワタシだよ。
 うん、知ってる。
 そして、それでも幸いは、いつも我らの内にあって、見付けられるのを待っているって。
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続:歴史をさかのぼって――精神のDNA

 分かっていることを追いかけていくと、分からない部分の存在がありありと見えてきます。宇宙の真の姿を探ろうとした天文学者が、暗黒物質の問題にぶつかるように。
 見えてこないものが、私を引き付けて止まないのです。

 
2017.4.4国分寺公園木蓮

 ギャーナ・ヨガ、知恵の道は「肉体が自分ではない」というアイデンティティーがモットーです。それでは、肉体のご先祖様なんて、今生だけの幻。どうでもいいものでしょうか。
 否、私たちが両親から、そして歴史書から多くを学んで育ってきたことは事実です。精神進化のDNAってありそう! 
 ちっぽけなこの星、この国、この両親を選んで生まれた意味を、私は知りたいのです。

 しかし、分からない。何が分からないかって、名字で辿れるのは、男子男系のみ。ぶっちゃけ、誰のルーツも源平藤原等々の大和王朝起源に辿り着くとしたら、1%の真実と99%のウソって感じかなあ……。
 でも、他の歴史、すなわち女系の歴史、失われた民の歴史って、どこにあるのでしょう。

 2015年、群馬で鎧を着た人骨が発掘されて、注目を集めました。この人物は、この地の王だったようです。側で妻子の骨も見つかっていて、そのDNAから、王は目が細くて背が高い弥生系、妻は目が大きくて小柄な縄文系だったと分かっています。縄文人が弥生人へ、敗者が勝者へ嫁ぐ。そのような婚姻は、一般的だったことでしょう。
 
 実は、女系優先のご先祖探しの分野があります。DNAのゲノム解析です。ミトコンドリアDNAが母親からしか伝わらない遺伝子だから、女系のご先祖の研究が、先に始まったのです。
 16万年くらい前に、アフリカにいた、人類共通の祖先に近いとされているミトコンドリア・イブ。7~10万年前に、数十~数百人の一団となってアフリカを出たご先祖様たち。
 縄文人は、アボリジニやタミル人に近い程度に、古い血統を伝える民であったという新説も聞きました。この場合の古いという意味は、コーカソイドとモンゴロイドが分かれる以前の特徴を多く残している、ということです。現代の日本人は、弥生人と縄文人の混血で、DNAの80%は弥生系らしいけれど、私の場合は?
 
 衝撃的だったのは、ホモ・サピエンスに絶滅させられたネアンデルタール人が、ホモ・サピエンスと交雑していたというニュースです。どちらも、ヒト=ホモ族ですから、ネアンデルタールとサピエンスと呼びましょうか。

 科学的な解説は、そちらの専門家に任せるとして、私は霊的進化に的を絞って、仮説を展開したいと思います。
 つまり、神話と科学を結びつけて解釈しちゃうっていうことで。


2017.4.4.国分寺公園つつじ

 ネアンデルタールとサピエンスが混血していると、何が問題なのでしょう。それは、弥生人と縄文人の混血と、どこが違うのでしょう。
 まず、どうして彼らは滅びたのでしょう。
 
 歴史書のウソ。私たちは、正しい方、優れた方が生き残って文明を発展させてきたというイメージを持っていると思います。しかし、歴史書は勝者によって書かれるもの。ナチスより国連! それは良いとしても、戦争で分かるのは、モラルの上下ではなくて戦闘能力の上下のみ。当たり前か…。私たち、正しい文明の下で幸福に生きているって信じたいけれど。
 永い永い歴史の中では、文化とモラルが高い民族の方が敗れて、好戦的な民族がその文化を取り込むという方が一般的でした。マケドニアがエジプトとギリシャの文明を取り込み、それがローマへと受け継がれていったように。秦の始皇帝も、モンゴル帝国も、軍事国家としてスタートしました。日本の武士政権もまた、軍事政権でした。

 失われた民であるネアンデルタールが、劣った種族だったと誰が言えるでしょう。彼らは、サピエンスよりもたくましい肉体を持ち、脳の容量も同等以上。分かっているのは、彼らが道具の進化に興味を持たず、物質文明を築かなかったということだけです。少なくとも、多数の動物を絶滅させながら世界へ広がったサピエンスよりも、平和的な種族だったことは確かです。

 また、ネアンデルタールは、喉の構造上、言葉を持たなかったと推定されています。
 当たり前だけど、コトバって何でしょう。コトバとは、音声を特定のモノと結びつけている記号です。そこには、或るモノを別のモノと区別し、抽象的に実在させるという働きがあります。共通のコトバ、仲間 、法律、社会、国家が実在するという共通幻想。それこそが、我々サピエンスの社会を成立させている、とも言えるのです。

 抽象的実在? 共通幻想? すなわちコトバこそがマーヤー。便利だけれど、私たちを深く深く縛っている鎖です。神のみが実在し、すべてはひとつであるという宇宙観とは、元々真逆のモノ。
 このマーヤーの、最たるものが名前です。真実の私=アートマン=ブラフマン、無限の神性に、本来名前などありません。ラマナ・マハルシが、ほとんど署名をしなかったことは有名です。
 裸のサドゥでない私達には、時間・要件・署名が無いと困るけど。印鑑も!?

 それでは、ネアンデルタールは、高い知性をコトバ以外の何に使っていたのでしょうか。それが、最大の疑問、そして仮説です。
 私は、彼らはテレパシーを使ってコミュニケーションを行っていたのではないかと思います。ウサギ君は、イメージを直接ぶつけて私と会話?してました。ヒトにできないはずはありません。動物とおしゃべりしていたことで有名なラマナも、賛成してくれそうです。
 つまり、ネアンデルタールは、霊的に進化した種族だったと私は推測します。もしかしたら、神の像を刻んだ古代人よりも。

 例えば、同じように道具を発達させなかったオーストラリアのアボリジニが、テレパシーを使う霊的民族であることは、知る人ぞ知る事実です。宗教の先進国インドは、再び独立を勝ち取りましたが、アボリジニやネイティブ・アメリカンの文化は、ほとんど失われてしまいました。霊的文化、テレパシーや予知能力等って、戦闘ではたいして役に立たないものです。(種類が違う?)欧米の超能力の軍事利用の研究も、現在は頓挫しているらしいですね。

 それではネアンデルタールの肉体能力は、戦闘や狩りで優位ではなかったのでしょうか。
 現在、ゾウ、ゴリラ、ホッキョクグマなどの大型の獣のほとんどは、絶滅危惧種です。実際問題として、小柄で集団戦法が得意な種族の方が、生存競争という点では強いのでしょう。ティラノザウルスなどの獣脚類の恐竜が、小鳥となって新しい時代を生き延びたように。

 結論として、敗者であるネアンデルタールが、霊的進化したすぐれた種族だったという仮説は、それほど的はずれではなさそう。テレパシーでは嘘や駆け引きがほとんどできないし(多分)、物欲も少ないとしたら、その知性・精神は、修行者のように純粋ではありませんか。

 ネアンデルタールの血統は、私たちに何をもたらしているのでしょう。もしかしたらそれは、半神の伝説と関わりがあるのかもしれません。
 巨人伝説。精霊の伝説。霊的メッセージを残して去って行った失われた民の伝説。

 異人種との交雑1代目、ハイブリッドが、両方の良いとこ取りで優秀になるのは遺伝学的事実です。ネアンデルタールとサピエンスのハイブリットが、神のごとく優秀だったという可能性はあり得ることです。
 サピエンスの言語能力と闘争心に加え、ネアンデルタールのテレパシー等超能力と、オリンピック選手を凌駕する身体能力を備えたヒトがいたら? 古代人から見て、彼はまさに神の血を引く超人に見えたかもしれません。ギリシャ神話、ギルガメシュ伝説等など。そのような少数派の遺伝的性質は、世代を重ねるとほとんど失われるけれど、DNAには痕跡が残されます。
 ひとつの証拠として、優れた超能力者を多く輩出する地域や民族があるらしいことが、知られています。ラスプーチンやブラヴァツキー夫人を生んだロシア、シャーマンやヒーラーなどの多い沖縄、青森等々。それは多分きっと、古い古い血統、霊的DNAです。

 世界各地に残る神話が、歴史の真実の断片を切れ切れに伝えているかもしれない。その血が、私にも流れているかもしれない。
 そう考えると、すごくワクワクしませんか。
 DNAは、生物学上のアイデンティティー。肉体がマーヤーだとしても、この形を精神の器として選んだ意味は、きっとあるに違いないから。

2017.4.7国分寺陸橋の富士

 ユーラシア大陸の東の端っこにある島々は、多分、ヒトが辿り着く最果ての地のひとつ。
 タミル起源? ロシア起源? 中国南部? 移民、落人、罪人…それらを受け入れ育んできたのが、この国の歴史なのかもしれないと、私は思うのです。そこに古い古い血統が残されているとしても、不思議ではありません。

 鏡の中の顔は何系? ときには、遠い遠い先祖の生き方に思いはせるのも悪くないかな。

 

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超改訂版――歴史をさかのぼって

20161219朝霧1

20161219朝霧2

 先祖が頑張っていたお話って、リアルな歴史っていう感じでワクワクします。東北地方には古い時代の歴史的資料が乏しいし、「歴史書に書かれていることだけが歴史ではない」のだけれど、それでも。
 
 秋田市郊外に、現在、重要文化財となっている古民家があります。江戸時代に肝煎で郷士だった豪農の邸宅、三浦館です。肝煎って、庄屋のことですね。
 それは、私の母方の祖父母の住んでいた家のすぐそば。修繕前はボロボロで、小さい頃はよくもぐりこんで遊び場にしていたっけ。私の先祖と断定できる、いちばん古い記録は、この豪農の歴史の中にありました。

 資料によると、その先祖は桓武平氏。鎌倉時代に相模の国、現在の神奈川県辺りを治めていた三浦氏の末裔と伝えられています。
 うーん、この手の出自説明は、武家の決まり文句。信憑性は不明です。厳密にいうと、姓とは天皇家から下されるもので、名字は自主的に名乗るもの。武士は、源氏、平氏、藤原氏、橘氏の4つの姓のどれかを持っていることになっています。実際にそういう先祖が居なくても。例えば、豊臣秀吉が平氏、徳川家康が源氏を名乗っているのは、嘘ってわけで…。
 それにしても、昔の人は様々な事情で名字を変えてしまうようです。分家したため、あるいは落ち武者となったため。それが、私たちのルーツ探しをブロックしています。(父方の先祖は、明治以前に遡れず断念)。

 相模の三浦氏が桓武平氏起源であるのは、とりあえず史実。その三浦氏が全国へ散っていったきっかけは、和田合戦であったとされています。
 和田合戦が起こったのは、鎌倉初期1213年のこと。原因は、源頼朝亡き後、北条義時と和田義盛の勢力争いでした。この和田義盛が、三浦一族のひとりだったそうです。
 戦いの結果、北条義時が勝利して執権政治を確立したのは、歴史に記されている通り。和田氏は滅亡。三浦一族は、北条氏に寝返った三浦義村を除き、日本各地へ落ち延びることとなりました。その中の一部が、甲斐の国、現在の山梨を経由して、出羽の国、秋田へやって来たようです。
 言い伝えによると、いちばん最初に出羽に来たのは、三浦平太秀憲(ひでのり)。年代などの詳細は不明ですが、その三代後に出羽の国司大名、安東家(安藤?)の家臣として、八郎潟周辺を領地とする浦城の城主を任されていた三浦兵庫守盛永(ひょうごのかみもりなが)のことは、はっきりと記録に残されています。
 八郎潟は昭和の時代に干拓されるまでは、琵琶湖に次ぐ日本第二の広大な湖でした。その湖畔に建つ山城は水に映え、美しかったことでしょう。今は、風と伝説だけが残されています。

 安東家といえば、安倍貞任の子孫(某首相も?)で、後に秋田姓を名乗るようになった、まさに秋田の始祖といえる戦国大名。こちらも、私のご先祖様である可能性は高いのですが、その栄光の歴史は「東日流外三郡誌」などのアヤシイ資料が多いので、取り合えず割愛かな。
 東北地方北部の古代、中世の歴史は、悲しいくらい詳細不明です。坂上田村麻呂のエミシ討伐(討伐された?)の後も、中央の支配があまり及んでいなかったのでしょう。

 三浦家のお話に戻しましょう。この浦城の落城は、湊合戦にまつわる悲劇として語り伝えられてます。以下、「浦城の歴史を伝える会」の資料を中心に進めます。

 湊合戦は、安東家の相続争いが、発端となった戦いでした。それが正確にいつの頃だったのか、資料によりまちまちですが、戦国時代の終わり頃と思われます。
 安東家では、当主亡き後、嫡子が幼かったため、当主の弟、安東城之助愛季(じょうのすけちかすえ)が家督を継ぎました。そして、成人した若殿と叔父甥の間で、正当な後継を争い、戦が勃発。ありがちな話ですね。

 三浦家当主の兵庫守盛永(盛長?)は、武勇に優れた豪の者であったそうです。その妻の名前は花御前とか、松前藩から嫁いだ小柳姫であるとか、どちらの説もあって、不明です。
 盛永は、安東家の若殿、湊安東家に味方して戦い、激しい戦闘の末に敗れました。盛永は城の上流にある叢雲の滝(むらくものたき)の上で自刃したと伝えられています。浦城は落城。身ごもっていた妻も、落ち延びる途中で亡くなりました。

 盛永の遺児、2歳の千代若は、生きて山形の酒田(新潟という説も)へと落ち延びたそうです。元服以後は、三浦五郎盛季(盛末?もりすえ)と名乗りました。その後、湊合戦の勝者、城之助愛季の許しを得て、浦城の近く一日市(ひといち)に押切城という平城を建てました。
 何故、謀反人の子がすんなり許されたのか、城主にまでなれたのか、詳しい記録はありません。三浦家には甲斐や松前に有力な親族が多いので、何らかのとりなしがあったのかもしれません。
 私の祖父の直系のご先祖様、○○兵之介兼次は、重臣のひとりとして若き城主に仕えていたと記されています。

 三浦五郎盛季は、父親譲りの武勇の者だったとか。少なくとも、安東家の役に立つ人材として、将来性を期待されていたことに間違いありません。姫も輿入れし(こっちが小柳姫?)、嫡子の亀若、さらに姫君も誕生。前途洋々でした。しかし、さらなる悲劇が、この一族を襲います。

 重臣のひとり小和田甲斐守が、安東愛季へ密告しました。「盛季は、許された身の上にありながら、安東家への謀反を企てている」と。
 これは、自分の待遇に不満をもっていたための、讒言であったと伝えられています。愛季からの相談事があると聞いて、特別の備えも無しに出かけた盛季は、小和田甲斐守の軍勢に惨殺されました。当時18歳と書かれた資料は間違いとしても若かったことは確かです。(名前や年齢の記載の混乱は、盛季と亀若が親子という説と、兄弟という説の二通りがあるためのようです)。

 「秋田軍記」には、盛季の最期が次のように記されています。
 同行していた兵之介兼次を傍に呼び、「一刻も早くこの変事を押切城へ伝えよ。一族郎党のみを大切にして、山野に隠れて時節を待て。吾、この地に死すとも、三浦の血統を絶やしてならず。吾の仇と思っての謀反ならず」と言い残したと。押切城へ駆け戻った兵之介は、涙ながらにこの命令を伝えたと。盛季の妻子は、兵之介に守られ落ち延びていったのだと。

 年代不詳の伝承の中で、この湊合戦最後の戦いだけは公式の記録がありました。秀吉の惣無事令「大名の私闘を禁じるお触れ」に違反したとのお咎めを受けたからです。伊達政宗が「勝手に隣国を攻めた」と秀吉のお咎めを受けたエピソードは、有名です。ということは1590年頃、今から430年ほど昔のことでしょう。

 盛季を討った小和田甲斐守は、押切城の城主に収まりました。しかし、盛季が怨霊となって幾度となく祟ったため狂死し、城も滅びたと、伝えられています。
 この種の伝説が史実かどうかは不明。しかし、超常現象や悪霊の祟りの是非はともかく、それなりの事件があったのでしょう。三浦盛永と盛季父子の霊を清源寺に祀り、怒りを鎮めたという記録が残されています。(盛季、神サマに昇格?)
 盛季の妻は、すぐに病を得て亡くなりました。残された亀若を成人するまで後見したのが、○○兵之介兼次です。落人狩りを避けて、街道から外れた黒川へ入植。幼い兄弟は山奥の昌東院(寺)に預けられました。そして、開墾を行った後、亀若、後の三浦盛宗を安住の地、黒川へ迎い入れたとされています。

 お祖父ちゃんお祖母ちゃん、ド田舎に住んでるお百姓かなって思っていたけれど、落人部落だったわけですね。「浦城の歴史を伝える会」の資料には、忠臣の誉、○○兵之介と記されています。

 ところで、○○は安東や佐藤のような、東北地方起源の名字ではありません。元々名のある武家であったのなら、三浦家が甲斐の国から出羽へ来たときに、共に従って来た家臣でしょうか。
 ここから先は、記録が無いので推測のお話になります。戦国時代には、様々な大名が興亡を繰り返しており、滅んだ一族の末裔の多くが他国で別の大名に仕えました。播磨の国の守護大名であった赤松氏の支族に○○という姓があること、赤松氏の衰退で関東へ落ち延びた者が居たことが分かっています。三浦家の先祖と○○家の先祖は、甲斐の国で出会って主従関係を結んだ可能性があります。(調査中)

 江戸時代に入ると、三浦家は肝煎の郷士となって、家名を存続させました。庄屋の出自が戦国大名の家臣、という例は多いそうです。
 一方、ただの百姓となった○○家は、「兵助」の名を長男が代々継いで屋号としました。曖昧な資料が多い中で、この部分は事実です。なので○○兵之介、間違いなくご先祖様なのです。もっとも祖父の代に、ヒョースケなんてカッコ悪いから、やめちゃったそうですが。

 県立博物館の展示資料に、明治時代の長者番付がありました。重要文化財となった三浦館の三浦家は、秋田県2位の大地主。アレ、落人部落のつつましいイメージと違う? 兵之介、かなり大規模な開墾を、元家臣団を指揮して行ったのかな。米どころ秋田、この国、この世界の基盤作りに頑張ったご先祖様のひとりだったのでしょう。
 ちなみに、9代前、7代前、最近では4代前に、この三浦家から祖父の家へお嫁に来ている方が居ます。つまり、三浦家のご先祖様のお話、実は私のご先祖様のお話でもあった訳です。
「そのお祖母ちゃん、太っていたってな」
「ンだ!」
いや、そういうDNAはともかく…。(*ノェノ

 秋田市内とはいえ、街道筋からはずれている黒川には、今もコンビニ一軒ありません。祖父母の暮らした古い茅葺き屋根の家の方は、とっくの昔に建て替えられました。けれど、私は覚えています。囲炉裏、土間、井戸。春には山菜を、秋にはキノコと栗、柿を摘んで、馬を飼い、鳥を飼い、身の回りのものを手造りする暮らし。
 また、黒川の地名には、石油の流れる川という意味があります。大規模な油田採掘を試みた曽祖父の夢は破れましたが、小さな油井は今も残されています。跡さえ消えた、小さなトロッコ列車。それもまた、秋田の原風景でしょう。
 父が母との結婚の正式な挨拶に訪れたときは、未だバスが無くて、追分駅から3時間歩いたそうです。その数年後に開通したバスは、過疎で再び廃線となってしまいました。夏休み、冬休みに姉母と一緒にそのバスで里帰りの度に、いつも「よく来た、よく来た」と迎えてくれた祖父母も、とうにいません。

 落人達の物語。遠い昔の出来事のようですが、言い換えれば、政治難民、経済難民、移民です。まさに今も在る問題でしょう。エミシが最後まで抵抗を続けた東北は、難民が最後に辿り着く安住の大地なのかもしれません。
 私達が、生きて来た歴史。伝えていくべきもの。産業革命以前のヨーロッパ人も、江戸時代までの日本人も、90%はお百姓でした。縄文以来の、数千年以上受け継がれてきた人間としての普遍的な生き方が、そこにあるような気がします。
 
 私達は今、意識するしないにかかわらず、先祖の生きようとしたその先を生きているのです。

20170107セリオン

 ところで、私は、自分自身に直接かかわる歴史を調べてみて、妙な後味の悪さを感じました。
 縄文晩期の遺跡が多く残る東北の北部は、縄文文化と血統が濃く残っている地域です。今の私たちが大陸の人々と違うところ、優れていると事があるとしたら、それは多分、縄文由来。なのに、その部分が、ちっとも分からない。

 縄文のDNA。その霊的意味を問うとしたら?
 次回に続きそう。

 

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恋ヶ窪樹林地で

       2017.3.9恋ヶ窪樹林1
2017.3.9恋ヶ窪樹林2

 ただ、空の透明さに立ちすくんでいました。
 冬と春の狭間、昼と夜の狭間のその時。この地を守り給う神(精霊?)がいらっしゃると、人に聞かされた恋ヶ窪樹林地で。
 私は、「見えない」けど、恋というその名のように、愛おしさが語りかけてくる、そんな感じ。
 春の芽生えは、もうすぐそこに。

私は誰…55――生まれてきたこと

2016.11.24逗子の雪1

 東京で、珍しく11月の雪を見た数日後、電話の向こうで、母の声。誕生日だっけ。
 私の生まれてきた日も、寒い日だったねって。午後四時頃。雪が降っていなかったけれど、寒かったよ、と。

 母と私は、クラスメイトだったら絶対友達になっていないだろうな、と断言できそうなくらい、違うタイプです。つまり、母は、性格も知性も趣味も、ものすごく普通。そして、全くモノを考えない。
 思春期の頃、この差は世代のせいかとも思ったけれど、元々全然違うタイプということで、納得しました。よく会話が成立しているもんだなあ(-_-;)

 私の誕生に、何か変わったところは無かったかって? 
 痩せた低体重児で、へその緒が絡まっていて、それで予定よりもだいぶ遅れて生まれたことくらいかな。

――胞衣をかぶって生まれてくる子には、霊能力がある、という民間信仰の真偽は不明。
 
 女って、頭が良いほど不幸ね、という母。

 これ、実際の親戚や知人を思い出してみての、直感データのようです。確かに、優秀な女性がすんなりエリートやセレブにおさまる例が少ないニッポン。金銭的成功、結婚という「女の幸福」に限って考えれば、頭の良さと、はっきりと反比例しています。私の意見の方は、直観ではなく社会学的根拠アリ。

 エート、私ってそんなに不幸に見えるかな?

 日本の女性の社会的地位は、相変わらず。
「4大卒で、文系で、浪人してる?ダメダメ。女はすぐに結婚して仕事辞めるから」
「コネ就職っていっても、田舎には、学校の先生と公務員以外、大卒女子の就職先はないよ」
 これ、私が新卒で就活していた頃に、よく聞いたセリフです。
 それで、都会で適当な三流企業に就職しました。合わなくて辞めて、何度も就活、就活。

 男女雇用均等法があっても、実態は昔も今もそう変わりありません。若い男性なら理解があるかと思うと、さにあらず。無駄にプライドが高くて、やりにくい。
 「オトコをバカにしたお前の方が悪い」って、何度言われたっけ。正義よりも公正さよりも真理よりも、プライドが大事だとしたら、私には理解不能。
 エリートになれないなら、学者になるべきだった? 出家すべきだった? それが何故難しかったのか、今なら分かります。ラマナ・マハルシ以外の誰が、私を弟子や生徒にできたでしょう。
 社会学は、私の専門分野のひとつでしたが、まあ、女性差別の話に関しては、社会学者の上野千鶴子様に任せましょう。

 何様のつもり? 神サマのつもりか、お前は!?と上司(男)に言われたら?
 すべては、確かにBrahman。YES。
――Fire!

 ひたすらに美しくて純粋だった母。控えめだけど、かなり天然。年のせいか、以前よりも大胆で、時々鬱々。このごろは、日本舞踊に夢中です。ステージではいつもセンター。そういえば、運動神経だけは家族でピカイチかな。

 女はだんだん母親に似てくるってホントかな。
 今でもだ私、不幸な女に見えるかしら? 神さまのお話、暴露しちゃう?
 うーん、ほっておこうね。
 
 まあ、そういう母から生まれてきた私です。

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プロフィール

Who‐kuちゃん

Author:Who‐kuちゃん
生きるのが下手で、得意なのが瞑想だけっていうのは自慢…かどうか??自己流の瞑想がインドの聖者ラマナ・マハルシに似過ぎているので、勝手に師、グルと思ってます。
哲学、宗教、音楽、自然etc.難しい話がしたくてたまらない方、遊びに来て下さい。

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